暗澹に笑う

 空の闇が深まってきても、雨は続いている。壁一枚隔てた宿舎にも、そのじめじめした空気が伝ってきている気がした。


「ソルヴェイの無実を証明するのは無理、よ」


「だから、それはどうしてだ」


「どうしても。魔族のねぐらを見つけ出すほうが早いんじゃない?」


 意見を曲げるつもりがなさそうなロゼールさんに、スレインさんがやや強い調子で噛みつく。街であったことが相当不愉快だったのか、珍しく機嫌が悪そうだ。


 ロゼールさんは暇を潰すというようなことを言って、ソルヴェイさんに会いに行っていたらしい。それについて詳しくは語ってくれそうにないが、ちゃんとした根拠があって断言しているように見える。


 ソルヴェイさんが疑われたままでいるのはもやもやするが、仕方ない。

 ヨアシュたちを見つける方針に切り替えたところで、マリオさんが切り出す。


「薬を摂取していた人たちに共通している特徴はないかな? 身分とか、生活圏とか……」


「全員小汚ぇ野郎ばっかだったぜ。あちこち回ったが、ゴキブリみてぇにどこにでもいやがる」


「ソルヴェイのこと以外に何か言ってなかったかい?」


「なんもねぇよ。あんまりうぜぇから絡んできた時点で即ぶん殴った」


 ゼクさんは腹立たしげにふんと鼻を鳴らす。そこでヤーラ君が気まずそうに顔を上げた。


「えっと、つまり……手がかりは何もない、ということですか?」


 誰も何も言わなかったのが、それが事実であることを物語ってしまう。私たちは迷路の行き止まりにぶち当たってしまったらしい。


「また街を見回って、情報を集めるしかないな」


「チッ、めんどくせぇ」


「文句があるならここで待ってるか?」


「誰もンなこと言ってねぇだろ!! テメェからぶん殴ってやろうか、ああ!?」


「ゼク、焦っているのはお前だけじゃないんだ。我慢もできないのか?」


「あの、喧嘩はやめてください!」


 ヒートアップしそうになっているスレインさんとゼクさんを、慌てて止めた。今日は2人ともやけに気が立っていて、言い合いはやめてくれたものの、釈然としない顔をしている。


 街も、支部の中も、仲間たちも、じわじわと何かに蝕まれていっているような感じがする。


 それから数日はほとんど何も成果が上がらないまま、降り続く雨が暗澹とした何かを積もらせていくような日々が続いた。



  ◆



 欲望と暴力と狂気が入り乱れたこの「最果ての街」に、別の濁りが生じているらしい。軒下に座って街を眺めている赤犬は、ぼんやりとそのにおいを感じ取っていた。


 何もやることがないときは、こうやって外で遊び相手を探すのが常だった。弟いわく街中に薬物中毒者が溢れていて危険とのことだが、退屈が紛れるのなら女の子だろうと暴漢だろうと構わなかった。


 先に目についたのが前者で、赤犬はさっそく声をかけに出た。顔が好みだったのと、金を持ってそうだったからだ。


「ねぇねぇお姉さん、暇なら僕と遊ばない?」


「あら、失礼。あたしこれから別の人と約束があるの」


「ちぇー」


 赤犬は口を尖らせるが、深追いはしない。育ちの良さそうな女の後ろ姿をなにとはなしに見送っていると、同じく品の良さそうな男が向こうから来るのが目に入った。高そうな傘からはみ出た女の細い手がひらひらと揺れる。


 未練はなかったものの、自分の顔にかなり自信がある赤犬は男の相貌を凝視する。なるほど目鼻立ちはくっきりしていて悪くはない。が、どうにも陰気臭い表情で、そんな奴と付き合って楽しいのかという疑問は湧いた。


 傘で隠れていても女が嬉しそうなのはわかる。一方男のほうは死んだような目のままで、幽霊のように彼女に近づき――殴り倒した。


 傘は宙を舞い、洒落たドレスが雨水に汚れる。戸惑う女が起き上がる前に、男はさらに何発も拳を叩きこんだ。


「や、やめっ……!! なんで!? 助けてぇ!!」


 悲痛な金切り声が響く中、赤犬は腕を組んで小首を傾げる。


 ――助けたほうがいいのかな? でも僕には関係ないし。誘いに乗ってくれたのなら、すぐにぶっ飛ばしに行ってたんだけど。まあ、暇といえば暇だしなぁ……。


 そんなことを悠長に考えながら、暴力の現場に歩み寄る。気づいた男が涎を垂らしたまま血走った目で睨んでくるが、赤犬は無視して女の顔を見下ろすようにしゃがみ込む。


「これって派手な痴話喧嘩?」


「ちがっ……お願い、助けて……」


「そっちの言い分は?」


「うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ……お前には関係――」


 バキッという衝撃音がして、男が真横に吹き飛んでいく。品のいい顔は建物の壁にぶつかって平らにならされ、青白い皮膚を放射状に噴き出た鼻血が赤く染める。


 男の横面に叩き込んだ右手をひらひらさせながら、赤犬はため息をつく。ナンパは不発、男は手ごたえなし。


 せっかくだからもう少しからかってやろうかと男に近寄ると、何か妙なにおいに気づく。人工的な、甘いにおい。

 それの正体は、呻き声とともに明かされた。


「ク……クスリ、くれぇ……」


 この男が凶行に及んだ理由を、すべて察した。


「君も『Q』にハマっちゃった口かぁ。どこで貰ったの? やっぱり<勇者協会>?」


「あぁ……あの、エルフの女……!! も、もう手持ちがないんだ……誰も持ってない……早くあれをキメないと……ああぁぁ」


 あまり頭脳労働には自信のない赤犬にもピンと来た。「Q」を流している者が、中毒者を増やして儲けようというクチでないのなら――彼らが満足する量を流し続ける必要はないのでは? 一通り流通が終わったら、供給がストップするのでは?


 嫌なにおいを感じ取った赤犬は、人通りの多いほうへ走った。


 案の定、街は騒然としていた。わけのわからないことを喚き散らしながら、通行人に馬乗りになって皮膚が剥がれるまで引っ掻いている男。家の壁を人間だと思って、涙と鼻水を撒き散らしながら薬を求める女。徒党を組んで店を襲うも、敵と味方の区別がつかず仲間同士で殺し合うゴロツキたち。


 この混乱も以前は敵の縄張りだけにとどまっていたが、街全体に拡大したらどうなる?

 少なくとも弟の胃に穴が空くのは確実だ、と赤犬は苦笑する。


「ここまできたら、さすがにあの人も動くかな……」


 長いこと留守にして<勇者協会>に居ついている彼に思いを馳せて、期待に胸が躍るのを抑えられなかった。



  ◆



 混乱を極めた街の惨状を、建物の屋上から見下ろしている2つの影。うち背の低いほうの少年――ヨアシュは、粗末な傘の下からさも愉快そうな笑みを覗かせる。

 隣のナオミはいつものおどおどした顔で、目下の景色と主人である少年を交互に見る。


「これはヨアシュ様的にも、成功……で、いいんですよね? ね?」


「十分だよ。ありがとう、ナオミ」


「よかったぁ……」


 彼女は大げさに腕で額の汗を拭った。やってることは大胆で残虐なのに、やけに心配性だ。


「君も、『ドクター・クイーン』も、どちらも天才だよ」


「あわわ、照れちゃいますぅ。で、でもっ、これはほとんどクイーンさんのお陰というか……。よくクイーンさんを見つけられましたね?」


「ギャングの人たちのお陰で、<勇者協会>にいるのはわかってたからね」


「協会といっても、人いっぱいいるじゃないですかぁ」


「だって、あんなに卓越した技術を持ってる人なら限られてくるし……それに、わかるんだ。こういうことを考えるのはどんな人間かって」


「さすがヨアシュ様ですねぇ」


 ふにゃふにゃ笑っているナオミだが、クイーンの研究をここまで活用できる彼女も相当なものだとヨアシュは評価している。


「さて……ここからが本番だよ」


 これからのこと――特に<ゼータ>の行く末を考えて、ヨアシュはさらに笑顔を歪める。この混乱の渦に巻き込まれて、彼らが破滅の運命に狂乱する様を見るのが、楽しみで仕方がなかった。

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