Drug Up

 決勝まであと2勝というところで、ルール無用のイカサマファイトと化した闘技場の運営側はゼクの3回戦の相手にとんでもないものを用意したらしい。

 もはやここまで来るといっそすがすがしいな、とゼクは乾いた笑みを浮かべる。


 そもそもこの大会は武器や防具なしで素手で戦うルールである。薬物の使用も禁止だが、それは今はどうでもいい。


 目の前には、分厚い甲冑に身を包み、太い剣を携えた騎士のような恰好の男。


「おい。さすがに無理があんだろ」


 レフェリーは気まずそうに目を反らしている。彼も物申せる立場ではないのだろう。ここまでくると、むしろ同情したくなった。

 観衆も面白ければいいと思っているのか、特に気にする様子もなくわーわー騒いでいる。


「……そっちがその気ならいいけどよぉ」


 もうさっさとインチキ連中を片付けて、決勝であの面白そうなチビと早く戦おうと腹に決めた。

 ゴングが鳴る。


 甲冑の男はさっそくそのぶっとく長い剣を振りかざし、ぶん、と一直線に刃を落とす。

 ゼクは逃げも隠れもせず、真正面からその剥き出しの白刃を両の手のひらでがしりと挟んで受け止めた。両手にぐっと力を込めれば込めるほど、ぴたりと止められた刃にみしみしとヒビが入っていく。


「こんなクソナマクラで……俺に勝てると……思ってんじゃ、ねぇぞコラァァァ……!!」


 とうとうその鉄の塊は音を立てて砕け、場内はわっと沸き上がる。


 しかし、武器を破壊したとはいえ敵は甲冑。装備のないゼクは依然不利なままだ。あの頑丈な鎧に、包帯で保護しただけの拳が入るとは思えない。どうにか中身にダメージを与える方法を模索しなければ――


 だが、そう考えるのはゼクにとってはなんだか癪だった。なぜこんなルール違反の卑怯者にごちゃごちゃ考え事をしなければならないのか。

 鎧が何だ、とゼクは鼻息を荒くする。敵は装備のせいで動きがのろい。拳を入れるだけなら容易い。


「うらぁ!!」


 ごぉん、と響いたシンバルのような音に観客たちは仰天する。

 砕けたのは金属か手の骨かわからないが、無謀にも鉄に包まれた男のボディに正拳突きを叩きこんだゼクは、ニタリと笑っている。


 立て続けに鎧を素手で殴り続ける様に、誰もが正気を疑っただろう。圧倒的有利な立場にある鎧の男も、恐怖からかほとんど反撃できずにいた。手の皮膚が裂け、血を滴らせながらも攻撃をやめないゼクは、明らかに異常だった。


「どうしたァ!! 殴り返して、みろ、よ!! カカシか、テメェは!! まるっきり、手ごたえ、ねぇ、なァ!!!」


 ついにグシャッと鈍い音をたてて、鎧の真ん中に穴が空いた。

 おおお、と聴衆は騒ぎ立てる。もはや賭けとは無関係に不利な状況を拳1つで覆す展開を楽しんでいるらしかった。


 ようやく鎧の男も自分がやられるという危機感を覚えたか、必死で拳を突き出した。ゼクはあえてよけずに顔面で受け止める。


「ぬりぃんだよ、ボケが!!」


 今度こそ、ゼクの血まみれの拳が相手の腹にずっしりと食い込んだ。


 甲冑の男は短い呻き声を上げて崩れ落ちる。間髪入れずに場内が狂ったような騒ぎになった。

 その劇的な光景に、主催者席にいる坊主頭の男だけが苦虫を噛み潰したような顔になり――ニット帽の少年だけが、静かに、しかし心底嬉しそうに不気味な笑顔を浮かべていた。



  ◆



「もう、何考えてんですか!! 素手であんなもの殴るなんて!!」


「うるせぇ~なぁ~。むかついたんだよ、いいだろ」


「よくないです!! 他にやりようはあったでしょう。よりによってこんな……」


 控室で包帯を巻きながらくどくど文句を垂れるヤーラに、ゼクはさも面倒くさそうに抗議する。毎日これを聞くレオニードも大変だろうなと思ったが、奴に関してはほぼ自業自得なので同情の余地はなかった。


 ややこしい説教は、コンコンと戸を叩く音で中断された。

 この場所で2人を訪れる人間に善意のあるものなど1人もいないはずなので、当然警戒する。


「こんちはー! すごかったね、さっきの!」


 こんな地下の怪しい空間にはまったく似合わない、明るい声。


「……なんだ、おめぇかよ」


「フレッドさん」


 ヤーラの呟きで、ゼクはこのニット帽の少年の名前はそんなだったかとおぼろげに思い出す。


「負けちゃいねぇだろうな」


「もちろん! 次勝ったらいよいよだね。僕はあんな馬鹿みたいなズルしないから、安心して」


「どうやって俺に勝つつもりだ? おちびちゃん」


 そんな煽りなど慣れているのか、フレッドはふふんと軽く笑ってゼクの身体を舐めるようにじっくり見上げた。


「言った通りさ。その、ぶっとい首を……噛みちぎってあげる」


「ははははっ!!」


 ゼクは決して嘲っているわけではない。純粋に戦いを楽しめそうな相手が来たことを歓迎しているだけで、それは歯を見せて笑っているフレッドにも伝わっているようだった。


「準決勝、ちゃちゃっと終わらせてよ。僕、『待て』は苦手なんだ」


 遊ぶ約束を楽しみにしている子供のように、フレッドはウキウキしながら出て行った。



 そろそろ試合に行くかと2人も控室を出て、外が騒然としているのに気がついた。そのわけも、床に何かを引きずったように残っている赤い跡を見てすぐに察する。


「腹を食い破られたんだよ! 医者も呼べねぇってのに、畜生!」


「イカレてるとしか思えねぇ、あのガキ……!」


 騒ぎの中からそんな声が聞こえて、誰がやったのか見当がついた。

 ヤーラは青ざめるが、ゼクはますます嬉しそうに笑う。


「……ゼクさん……本当に、大丈夫ですか?」


「誰に聞いてんだよ、ボケ。俺が負けるわけねぇだろ」


「……そうですね。じゃあ、聞き方を変えます。手加減、できそうですか?」


「殺しはしねぇよ」


 さっさと準決勝も終わらせてやろうと、ゼクはリングに向かっていく。



  ◆



 今度の対戦相手が甲冑をつけていなかったことにはとりあえず安心したが、妙にニヤつきながら何かの液体が入った瓶をがしゃがしゃ振っているのを見て、少なくとも今までの連中と同じくフェアプレーの精神は皆無なのだろうと悟った。


「よお、そいつは栄養剤が何かか?」


「いったん飲んじまうと他の客も殺しかねねぇ代物さ」


 どうやら正気を失うタイプの薬物らしいが、もはやゼクは驚きもしない。大人しくさせるのが少し骨かと思う程度だった。


 相手が酒のように瓶の中身をあおっている傍ら、スタッフらしき男がゼクに近づいてくる。


「付き添いの少年から、これをと」


 ヤーラの性格はよく知っているので、あの心配性が自分の怪我を気遣って薬の差し入れをすることに対して何も違和感を覚えなかった。


「ちょっと、待ってください!!」


 その声が届く前に、ゼクは差し入れの薬をすべて飲み干してしまった。


 なおもリングに近づこうとするヤーラを、別の黒服の男たちが取り押さえる。その後ろには、先ほどまで主催者席に座っていた男がいた。


「無駄だ、小僧。あれは全身の筋肉を麻痺させる毒だ。飲んだらあっという間に全身に回る。それであの凶暴化の薬をキメた野獣に勝てると思うかな?」


 その言葉で事情を飲み込む。

 ゼクは自分の手が震えていることに気づく。身体が熱くなる。頭がぼーっとしてくる。


 朦朧とした中で、ヤーラの必死な、というより呆れを含んだような怒鳴り声が聞こえてきた。



「何やってんですか、この馬鹿!! 薬、逆ですよ!!」



 対戦相手が泡を吹いて倒れ、びくびくと痙攣し始めたところで――ゼクの意識はどこかに吹っ飛んだ。

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