最果てクライシス

 気まずい沈黙が流れていたオフィスに、<伝水晶>越しのドナート課長の落ち着いた声だけが響いた。


『エステル、今どこにいる?』


「西方支部の庶務課です。仕事のお手伝いを……したかったんですよ」


『なるほどな……。まあいい、昨日はどうだった? 変わったことはあったか』


「……正直に話したほうがいいですよね?」


『もちろんだ』


「えーと……現地の勇者の皆さんと喧嘩になって、建物に穴が空きました」


 私がありのままのことを話すと、課長はしばらく黙ってしまい、後ろでレミーさんが大爆笑しているのが聞こえた。


『怪我はなかったか?』


「無事です。ここの勇者さん達以外は」


『……だろうな。それ以外にトラブルは?』


「あの……街に着いたときもいろいろあって、要するに……喧嘩がありました」


 笑っていたレミーさんも大人しくなり、『さすが「最果て」』と呟く声がした。


『まあ、ある意味想定の範囲内だ。ただ……聞いているかもしれないが、その街には規模の大きいギャング組織があるそうだな。そいつらとは問題を起こさないほうがいい』


「はい、気をつけます。でも、ここの支部長がお金払って従ってるみたいだから、大きな揉め事にはならないんじゃないですかね」


『……そうなのか?』


 課長は知らなかったみたいだけど、代わりにレミーさんがぱしっと手を打って補足する。


『ああ、あの金権ガマガエル! あの野郎、他は全部クソだが財力だけはいっちょ前でよ。西方支部の業績なんて最悪も最悪だから、本部から金は出せねぇとかで、あの野郎が幅利かせてんだと』


『そんな話、誰に聞いたんだ』


『経理のおばちゃん』


 情報源がだいぶあれだけども、支部長もゼクさんたちの暴れっぷりを見てすくみ上がっていたし、変なことはしてこないだろう。たぶん。


『ともかく、油断はするな。何かあったらすぐに相談してくれ』


「はい。ありがとうございます」


 通信が切れたのと入れ替わるように、部屋の外からドタドタと騒がしい足音が近づいてきた。

 開いた扉から、ひどく慌てた様子の狐さんの姿が見えた。


「た、た、た、大変だぁ!! ファースの旦那ぁ!!」


「なんだよ狐、やかましいな」


 ファースさんは彼に対しては無遠慮というか、自然体だ。アイーダさんは通話中からそうだったけど、周りに一切関心がないように仕事に打ち込んでいる。


 ただ1人大騒ぎしている狐さんは、その慌てようも納得するほどの衝撃的な報告をした。


「し、下の! ロビーに! ギャング連中が来やがった!!」


「……え?」


 ペンが無機質にサラサラと走る音だけが、静まり返った部屋に残された。



  ◇



 ロビーは昨日見た光景と似ていて、今にも噛みついてきそうな荒々しい相貌の人たちがずらりと並んでいる。


 このピリピリした雰囲気に気圧されそうになったけれど、<ゼータ>の仲間たちも一緒だから、私はなんとかキリッとした態度を保とうと頑張っていた。


 他の勇者や職員たちは遠巻きに見ているだけで、ファースさんと狐さんは仲良く壁に隠れてびくびくしている。

 レミーさんに散々馬鹿にされていた支部長はというと、意外にも落ち着いているように見える。


 荒くれ者たちの中心には、青い短髪を逆立てた四角い眼鏡の獣人の男が厳然と立っている。おそらく彼がこの集団をまとめているのだろう。

 犬耳を生やしたリーダーは、眼鏡にかけた手で表情を隠しつつ、口を開いた。


「最近来た新参連中が、この街でデケェ顔してるらしいじゃねぇか。協会の勇者だそうだが、どのクソだ」


「は、『青犬』様。あちらのパーティでございます」


 支部長はゴマスリ顔で、「青犬」と呼ばれたリーダー格に私たちのいる方向を指し示している。

 なるほど、初めからターゲットが私たちだから、支部長はあんなに平気そうな顔してたんだ。


「誰が頭張ってる」


「私が」


 彼からは昨日の熊男みたいな下品さは一切感じられず、粗野な物言いながら知的な印象を受ける。

 私の顔を見ても「ほう」と呟いただけで、連れの人たちみたいに笑ったり馬鹿にしたりはしない。この人なら、話が通じるかもしれない。


「お嬢ちゃんよ。あんまり好き勝手されるとな、こっちも面子が立たねぇんだよ。わかるな?」


「はい。でも、こちらからトラブルは起こしていません」


「どっちが悪ィかなんて聞いてねぇ。あんま騒ぎを大きくすんなってんだ。とりあえず、今回の件で1つ落とし前つけてもらおうかい。お嬢ちゃんだけこっちに来な」


「待てよ」


 抗議するように威圧的な声を発したのは、ゼクさんだった。


「勝手に話進めてんじゃねぇぞ、犬ッコロが。テメェらには関係ねぇことだろ。何偉そうにふんぞり返ってんだ、ザコどもが」


「ちょっと、ゼクさん……」


「なんだとコラァ!!」


 業を煮やしたのか、向こうの1人がずかずかと出てきてゼクさんに掴みかかる。


「青犬さんにナメた口利きやがって、手ぇついて謝れや!!」


「あ? すっこんでろ、クソザコが!」


「やめてくださいよ!」


 今にも喧嘩になりそうだったので、私は慌てて2人の間に入った。

 が、私のようなひ弱な人間が屈強な男2人を止められるはずもなく……。


「どけ、ガキが!!」


「きゃっ!」


 どん、と男に手で思いっきり押し飛ばされて、私はよろよろと後退し――場所が悪く、転倒した先にカウンターがあって、その角に後頭部を強打して気を失ってしまったのだ。



  ◇



 次に目が覚めたときには、背中に柔らかい布団の感触があって、すぐ目の前には心配を通り越して憔悴しきっているような顔のヤーラ君がいた。


「ああ、エステルさん!! よかった。気分はどうですか? 痛いところは?」


 まだ頭が少しぼんやりしているけれど……周りを見る限りここは宿舎の寝室で、すっ転んで気絶した私はこのベッドまで運び込まれたみたいだ。

 後頭部がズキッと痛む。撫でてみると、小さなこぶができていた。


「あー……まだちょっと痛いけど……大したことはないよ。他のみんなは?」


「外です」


「外? なんで――」


 と、急に地響きのような音が轟いて、新築同然の宿舎がミシミシと軋む。


「な、何!?」


「エステルさんはお気になさらず、ゆっくり休んでください」


 今度は遠くから爆発音のようなものが何度も響いて、ゆっくり休むどころじゃない。ヤーラ君は平然と医療器具の片付けなんかをしている。


 どうにも気になってしまって、「ちょっとだけ」とヤーラ君に断ってベッドから下り、カーテンを開けて窓から外の様子を覗いた。


 まず、隣にあったはずのビルがなくなっている。


 お陰で見晴らしがよくなったので、音のしていたほうをじっと目を細めて観察する。煙を立てて崩れる建物、逃げ惑う人々、通りを埋め尽くすような瓦礫と倒れた人の山。何これ、世界の終末?


 崩れかけのビルとビルの間を飛び回る人影、そこだけ別世界になったかのように広がる氷の海、電光石火に人を斬りつける旋風のような何か、大岩のような瓦礫を持ち上げる大男――ちょっと待って待って待って!!


「ねえ、ヤーラ君!? ゼクさんたち何やってるの!?」


「エステルさんが突き飛ばされたのを見て、皆さん怒っちゃって。いや、僕も頭に来ましたけどね」


「それはすっごくありがたいんだけどね!? このままだとこの街滅びちゃうよ!!」


「いいじゃないですか、こんな街どうなったって」


「ダメーッ!!」


 私は急いで<伝水晶>を起動する。みんなは街のあちこちに散らばっている。連絡をつけたかったけれど、誰も応答してくれなかった。


「……ごめん。私、みんなを止めに行ってくる」


「え? いや、まだ休んでたほうが――」


「急がなきゃ……街の人たちを、みんなから守らないと!!」


 自分でも何を言ってるのかよくわからなかったが、ヤーラ君の制止も振り切って、私は駆け足で部屋を出た。

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