隣の殺人鬼

 ヤーラは今、殺人鬼と2人きりになっている。


 彼が「殺し屋」と呼ばれているのは、異名や比喩のようなものとばかり思っていた――というより、そう思いたかった。しかし、彼は本物のそれだと、今は確信できる。


 アウトローと呼ばれる人間には2種類いる。「殺すぞ」と脅すだけで実際には手を出さない者と、何の予告もなしに本当にやってしまう者である。


 前者はチンピラと呼ばれる平和主義者たちで、徒党を組んだり荒々しい言動で脅したりしてなるべく戦わずに事を済ませようとするため、後者である本物の危険人種を忌避している。


 <エクスカリバー>や<アブザード・セイバー>のようなチンピラたちの中で育ったヤーラは、そういう危ない人間には絶対に近づいてはいけないと教育されていた。


 ――しかし、それが自分のパーティの仲間で、今は彼に頼るしかないとしたら、どうだろう?



「動くものの気配はないね。見えない罠があるかもしれないけど。どうだい?」


 彼は持ち前の人懐こい笑顔を浮かべつつ、周囲を観察している。


 薬草を採っていたら突然迷宮に入り込んだと言ったら、どのくらいの人が信じるだろう。


 実際そうなってしまったのだから仕方がない。そこは遺跡の内部のように、煉瓦造りの長い廊下が続いていて、入口も出口も存在しないようだった。


 錬金術を使う過程で、対象物を構成する物質を把握することができる。

 だが、この迷宮はあまりに広すぎて、すべてを見通すことはできない。ただ、中の空気や壁などは魔力に満ちていて、これが人工的なものだというのはかろうじてわかる。


「この空間全体が魔術でつくられたものみたいで、そこらじゅう魔力だらけなので、何とも」


「そっかぁ」


 先ほどリーダーであるエステルに事態を報告したものの、外界と隔絶したこの空間に助けが来るとは期待できなかった。


「……こんな魔法、人間には無理ですよね。やったのは――」


「魔人だろうねー」


 緊張感のない声だ。敵陣営に魔王の娘がいる時点で予想できる事態ではあるが、それにしたってのん気すぎる。侮っているわけではなく、やることは変わらないということなのだろう。


「こうなると、さっき頼んだものが必要になりそうだね」


「……。殺傷力の高いものは、手持ちでは難しいです」


「0.1秒でも相手の動きが止まれば上出来だよ」



 毒を作ってくれ、と彼は依頼してきた。野草を摘みながら、ついでのように。


『たとえばなんだけどね、相手を即死させるものとか、逆に生かしておいて身体の機能だけ麻痺させるものとか、激痛を与えるものとか、そんなの。できるかなぁ?』


『でき……ないことは、ないですけど』


『別に、強制はしないよ。君の良心が咎めるのならね』


 良心。

 ヤーラだって、当然誰かを傷つけたり、命を奪ったりなどしたくはない。


 ――あれだけ殺しておいて、何を今更?


 犯した罪は消えない。痛む良心などないのかもしれない。それでもためらってしまうのは、ただ逃げたいだけだからかもしれない。卑怯だな、と思う。


 話はうやむやになったまま、2人はここに迷い込んだ。



「……とりあえず、今使えそうなものをお渡ししておきましょうか」


「ありがとう。君の自衛のために使えるものは残しておいてね」


 今ある薬はすべて魔物を想定して作ったものだが、当然人間にも害がある。彼が人間に使ったとして、自分の罪がなくなるだろうか?

 かといって、敵を攻撃しなければやられるのはこちらだ。


 ヤーラは思いつめたように爪を噛む。


「君の薬を使うのはぼくだから、君は関係ないよ。それに、敵を無力化するのは必要なことだから」


 いつもの穏やかで平坦な口調だったが、その言葉はいつもより一層冷たく響いた。心なしか、仮面のような笑顔が少し無表情に近くなっている気がした。


 ――マリオさんは僕を気遣ってくれているんだな……。


 それは、エステルやレオニードがしてくれるような温かいものではなく、むしろ逆で、完全な合理性から発せられる恐ろしいほど冷徹な気遣いだった。


 だからこそ、「優しいからそう言ってくれるんだ」などと否定しようがなく、雑多な感情をどかしてでも受け入れなければならないような重みがあった。



 ふとマリオが立ち止まると、つられてヤーラも足を止めた。


「――あれ、何に見える?」


 彼が指さした先には、その向こうに白い光が見える扉のようなものがあった。


「出口ですかね」


「そう。突然こんな場所に迷い込んで、どこまで続くかわからない廊下を歩かされて、あんなものが見えたら、普通の人はどうすると思う?」


「喜んで出ようとします」


「だろうね。つまり、意識があれにしか向かなくなる。――横か上下だ」



 バン、と何かが発射される音とほぼ同時に、ヤーラの身体は後ろに引っ張られた。



 さっきまで自分が立っていた場所に鉄の矢が突き刺さっていて、ヤーラは足がすくむ。


「右か。しかも君を狙っていたな」


 よく見ると右側の壁に小さな穴が空いていて、矢はそこを通ってきたらしかった。


「わざわざ煉瓦造りにしたのは穴を目立たなくさせるためか。でも――魔法による攻撃じゃなかったな。この空間をつくるのに相当な魔力を割いているとすれば、トラップは物理に頼らざるを得ないのかな。わざわざヤーラ君を狙ったということは、敵はどこかでぼくらを見ていて、トラップを遠隔操作しているのかも」


 慌てる素振り1つなく、冷静に観察して推理を導いている。その態度が、今さっき命を狙われたという恐怖を薄れさせてくれた。


「いろいろなことを想定しておいて。今みたいに矢が飛んでくる、落とし穴がある、岩が落ちてくる、たくさんのトゲが突き出てくる、とか」


「はい」


「でも、いいかい。一番想定しておかなきゃいけないのは――想定外のことが起こるかもしれない、ってこと」


「……それが起きたら、どうすればいいですか」


「状況をすばやく把握して、とにかく生き残るための行動を取る。マイナスはゼロなのが一番いい」


 ――ああ、マリオさんの中では、僕は数字の「1」に過ぎないんだ。


 いや、ヤーラだけではない。彼にとっては、敵も味方も――彼自身でさえ、すべて数字のようなもの。誰が死んでも、マイナス1という数値に変わりはない。


 だから、誰を殺そうと何の感情も動かないのだ、きっと。

 けれど、その冷血さが、かえって心地よかった。



 ――マリオさんなら、僕が記憶をなくしてしまったときでも、迷いなく殺してくれるんだろうな。


 それが、何よりの安心材料だった。

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