先輩命令

 ようやく光を取り戻したヤーラ君の眼は、赤黒い血にまみれた両手を前に小刻みに揺れている。


「ああ……僕はまたやってしまったんですね……。レオ先輩に、取り返しのつかないことしておいて、また……」


「バーカ、気にすんなっつってんだろ。腕の一本じゃ、このレオニード様は崩れねぇんだよ」


 やっと理解した。ヤーラ君がレオニードさんに抱いていたのは、恐怖心じゃなくて――罪悪感だったんだ。


「……エステルさん――ごめんなさい。僕、知らないうちにこうなっちゃうんです……。全然、覚えてなくて……。もっと早く、言うべきだったんですけど……すみません」


 私は気力も体力も喪失して座り込んでいるヤーラ君に近づき、目線を合わせた。


「いいんだよ」


 もちろん私は彼を責めるつもりなんて毛頭ない。きっと、誰にも相談できずにずっと一人で悩んでいただろうから。きっと、それは私が頼りないせいでもあるから。


 だんだんと状況を飲み込み始めたのだろう、ヤーラ君は改めて全身血染めになった自分の姿を見回している。


「ひどい血だ……僕は、何人殺しました?」


「ここにいたのは子供を誘拐して売ろうとしてた悪い人たちで、君は子供たちを助けたんだよ。私のことも、助けてくれたし」


「なんだお前、正義のヒーローじゃねぇか。さてはあれだな? 可愛い女の子にだけ優しいんだろ、この野郎」


 レオニードさんがへらへらと茶化すけれど、ヤーラ君の表情は沈んだままだ。


「でも……他の皆さんにまでひどいことを……。僕なんか、皆さんの仲間になる資格ないです。本当に、ごめんなさい」


 悲しくなるくらい背を縮めているヤーラ君を前に、レオニードさんは困ったように息をつく。


「じゃあ俺のパーティ戻るか? お前いなくて結構困ってるぞ。ランクも下がっちまったし……あと、俺の部屋を掃除する奴がいなくてな」


「……」


 返事の代わりに、爪を噛む。私はその小さな肩にそっと右手を乗せた。


「ヤーラ君、覚えてる? 私、最初の頃に言ったよね。『私はこのパーティで、<ゼータ>で、魔王を倒すつもりだ』って。<ゼータ>は6人いないといけないの。わかる? 5人じゃ足りないの」


「でっ……でも、またこんなことになったら……」


「俺がやる」


 その頼もしい声を上げたのは、ゼクさんだった。


「俺がテメェに負けるわけねぇだろ、ドチビが」


「さすがゼクの兄貴、パネェっす」


 本当になんとかしてくれそうな言い方だったから、レオニードさんも感心している。


「見ろよ、ヤーラ。悔しいがよぉ、ゼクの兄貴含めて、お前の仲間みんなめちゃくちゃ強そうじゃねーか。リーダーは可愛いお嬢ちゃんだしな! ちくしょう、羨ましいぜ!」


 ヤーラ君は少し視線を上げて、私たち一人一人の顔をなぞっていった。誰も、拒んでいる人なんていないはずだ。


「私たちには、ヤーラ君の力が必要なんだ。協力してくれないかな?」


「……――僕で、よければ」


「よかった! ありがとう!」


 レオニードさんは、私の顔を見てニッと親指を立てた。



  ◇



 面談室にパーティメンバー以外の人を入れるのは初めてなので、なんだか変な気分だ。レオニードさんは背もたれを揺らしながら、記憶を辿るように目線を浮かせている。


「5年くらい前だったな。魔物が街ン中に出たっつって、俺の故郷も近かったから、俺らが駆り出されたわけよ。そんときはまだDランだったし、大したことねぇだろうなと思って現場の家に行ったんだ」


「そこが、ヤーラ君のお家だったんですね?」


「ああ。ひどかったぜ。思い出したくもねぇ。ドア開けた瞬間くっせぇ臭いがして、キッチンで夫婦仲良くくたばってんだ。身体が半分くれぇしか残ってなくて、ウジが湧いてて……まず、ゲンナジーの野郎が吐いた」


 レオニードさんは嫌そうに顔を歪めていて、私もたぶん同じような顔になっている。


「で、地下があったから行ってみたんだ。監禁部屋みてぇになってて、鍵がぶっ壊れてた。最初に目に入ったのはクソと小便まみれのきったねぇベビーベッドだ。そこで、ラムラの野郎が貧血起こしやがった」


 そのベビーベッドにいた幼い子供が、アーリク君だったのだろう。


「そこの隅にうずくまってたのが、ガリガリに痩せ細ったあいつだった。あいつは『弟が父さんと母さんを食べた』と呟いた。何があったか、アホな俺でも察しがついた。最後に俺がブチギレて上の死体を蹴っ飛ばしに行った」


 私はいろいろなことを思い出した。

 待ち合わせに遅れて不安を与えてしまったこと。お肉が食べられないと聞いたこと。スレインさんに捕まえられたときに叫んでいたこと。


 そうだ。ヤーラ君の様子がおかしくなる前、赤ちゃんの泣き声がしていた。それがトリガーだったのかもしれない。


「初めてアーリクを見たときは俺らも大パニックだったな。夢中で戦ってたらなんとか消えてくれてよ。で、俺はあいつを保護して、魔物騒動はクソ親父のせいにしてやった」


 私が聞いた「父親が危険生物を生み出した」という話は、レオニードさんたちが考えたものだったんだ。


「昔はまだあいつもアーリクも弱かったからなんとかなったが――さすがに潮かもな」


「……いいんですか」


 あのホムンクルスはヤーラ君の魔力と一体化しているようで、またいつ出てきてもおかしくないという。

 そのときに、レオニードさんたちがいなくても彼を止められるだろうか。


「何言ってんだよ。初めてなんだぜ、ヤーラが攻撃しなかった相手なんて。あんたなら任せてもよさそうだ。なんつーか、悪いことしちまったな」


「いえ、気にしないでください」


「あんときゃ、頭に血が上っててよぉ。そもそも俺ら全員、ヤーラが出ることには反対だったからな。今思えば、さすがに仲間傷つけたとあっちゃ弁解のしようがねぇやな。だが、つい弟分がお前らに奪われたっつー気になっちまって」


「私も最初は変なチンピラだなぁって思ったけど、レオニードさんがいい人でよかったです」


「変なチンピラだぁ!? どっから見ても超イケメンの好青年だろうが!! 惚れろ!!」


「怒鳴られても無理です!!」


 ドアが開くと、ちょうど私たちが話題にしていた当人が顔を覗かせた。


「ヤーラ君。みんなの様子はどうだった?」


「はい。えっと、スレインさんの火傷はアンナさんが綺麗に治療してくれて、マリオさんの魔道具は協会の職人さんが直してくれました。ロゼールさんの腕も大したことないみたいです」


「よかった」


 子供たちも無事保護され、人身売買グループは当然ほぼ壊滅。一件落着だ。

 ほっとしていたところで、レオニードさんがニヤリと口の端を上げた。


「ヤーラ、ちょうど今お前んとこのリーダーを口説いてたとこなんだ」


「えぇっ!? ダメですよエステルさん、こんなだらしない人!!」


「誤解だよ!! レオニードさん、やめてくださいよ!」


「ハハハ! つーか誰が『だらしない人』だこの野郎!」


「事実です。自分の部屋だけならまだしも、共用スペース酒瓶だらけにして! 誰が片付けてると思ってるんですか!!」


「どこかの小人さんだと思ってたが、違うのか?」


 ああ、この2人って本当に兄弟みたいに仲が良いんだな――なんて、なんだか微笑ましくなってくる。


「もう、知りませんからね。自分のことは自分でやってくださいよ。……これからは、別々、なんですから」


「……ああ」


 だからこそなのだろう、小言を浴びせていたヤーラ君の顔に、徐々に寂しさみたいなものが立ち込めてきていた。


「あの……先輩。すみません。僕、本当に――」


「しつけぇなー。そんなに詫び入れたきゃ……――魔王の首でも持ってきな」


「……はい!」


 晴れやかなレオニードさんの笑顔に、ヤーラ君は深々と頭を下げた。

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