第19話 先輩の忠告
ルーロンが職場に着いたのは昼休みの時間が終わった頃だった。
昨夜のうちに編集長に連絡をしてワンパの件を報告していたので、今日は休んでもいいと言われていたが、無理を言って途中から出社する許可をもらっていた。
編集長に挨拶を済ませてから自分の席に腰を下ろした。
編集長はルーロンの件を誰にも話していないようで、午後出社してきた彼女に気をかける者は誰もいない。
と思っていたら背後から名前を呼ばれた。振り返るとアサシガだった。
「よう。今晩空いてたら飯いかないか?」
「ありがとうございます。でもあいにく、今夜は先約が入ってるので」
そうか・・・と先輩は考える素振りを見せた。
「それなら、今からお茶でも飲みにいかないか?編集長には俺から許可をもらっておくから」
どうにも逃がしてくれないつもりらしい。
※ ※ ※
アサシガの案内してくれた店はオシャレな内装の喫茶店だった。
アップルティーとケーキをご馳走になった。
二人とも食べ終わり、店員が皿を下げたところで先輩が本題に入った。
「午前中、ロナカがうちの部署に来たんだ」
「本当ですか?」
いったい誰がロナカに話したのだろう。その辺の情報網はよく分からない。
「ああ、真っ青な顔でうちの部署の前をウロウロしてたから、声をかけて話を聞かせてもらったんだ。大変だったみたいだな」
「ええ、まぁ」と苦笑いを返した。
「それで、ワンパは何か有益な情報をくれたのか?」
ルーロンがしっかりと頷いた。「はい、それはもう、とても」
「そうか、もう記事に出来そうか?」
いえ、とルーロンは正直に首を振った。
「記事にするにはあと二段階の確認事項があります」
「二段階・・・」
何気ない口調で呟いた先輩は、手元のアップルティーに目を向けたまま動かなくなった。
「え?ちょっと、先輩、どうしました?」
ルーロンがアサシガの顔の前で手を振るとハッとしたように彼女に目を向けた。
「ああ、すまない・・・」そう言って笑って見せたがぎごちなく、明らかな作り笑顔だ。
「どうしたんですか?体調でも悪いんですか?」
「なぁルーロン、その二段階っていうのはいつ分かりそうなんだ?」
「え?」何故そんなことを訊くのか、訊いてどうするのだ。
「順調にいけば今日の夜と、後は明日ですかね」
「・・・・」アサシガが再び考え込む仕草を見せた。
「先輩、さっきから何ですか?言いたいことがあるならハッキリ言ってください」
アサシガはしばらく難しい表情のまま固まっていたが、意を決したようにルーロンの目をまっすぐ見つめてきた。
「なら言わせてもらう。この案件から手を引け」
「・・・言ってる意味が分からないんですけど」
「この取材はここらでやめておけと言ってるんだ」
「何故ですか?納得のいく説明をしてください」
ルーロンの口調から温度が失せた。代わりに胸の中では怒りの炎が揺らめき始めている。
「俺はこの業界に入って十二年経つ。いろんな事を経験して、いろんなものを見てきた」
「それは存じ上げております」どうしても言葉にトゲが入ってしまう。しかし先輩はかまわずに話を続ける。
「その中で、本当に危ない目にも何度かあってきた」
『私もちょうど昨晩、そんな目に合いました』と言ってみようかと思ったけどやめておいた。
「そんな経験もあって、俺の中で記者の勘ってヤツがある時生まれたんだ」
「記者の勘・・・?」まだ話の結末が見えない。いったいこれは何の話なんだろう。
「記事にできそうな題材を見つけて、取材をする前にどの程度の記事になるか、なんとなく分かるようになるんだ」
確かに良い感じの題材を見つけて張り切って取材を進めていくと、尻すぼみになってボツになることが多い。だけど、そんなのは経験を積んでいけば誰だってある程度の予測はつけられるようになるものじゃないのか。
「そしてその中で、絶対に手を出しちゃいけない題材というものもなんとなく分かるようになった」
「手を出しちゃいけない題材・・・」ルーロンが繰り返すと先輩記者は頷いた。
「ああ、これは五年前の話になるんだけど、当時俺を記者としてやっと一人前として見てもらえるようになってきて、いろんなネタを片っ端から記事にしていた。
しかしその中に、題材を見ただけで悪寒が走るようなものが混ざっていた。それでも取材を進めようとしたら高熱が出て一週間寝込んだ。久しぶりに出社すると、その起案書がなくなっていた。当時、俺のことを目の仇にしていた先輩が勝手に自分の記事としてまとめて編集長に提出していたんだ。もっとも俺はその記事を書く気はなくなっていたから放っておいた。そしたら」
ここで先輩は一拍間を空けた。
「その先輩は二日後、汽車にはねられて死んだんだ」
「それで、このクドラ山獣害事件も悪寒が走ってやめたんですか?」
皮肉を込めて言ったら「ああ、そうだ」とあっさり頷かれた。
「クドラ山の起案書を書いたとき、ものすごい悪寒が走った。別に思い入れがあるわけでもないし他に書ける題材はいくつかあったから編集長に頼んでこの起案書は取り下げてもらった。そしたら一ヶ月後、お前が似たような起案書を上げてきた」
「それじゃ、なぜ私のことを止めずに、応援するような事をしたんですか?」
「お前がここまでやるとは思っていなかったからだよ。さっき、あと二段階と聞いた時にこれまで感じたことのないほどの寒気が走った。同時に俺の頭の中で、やめておけ、これ以上は踏み込むな、と誰かが叫んだ気がした」
―――バカバカしい。
ルーロンの中でアサシガへ憧れの念がどんどん薄れていくのを感じた。
仮に先輩の言ってることが事実だとして、私の身に危険が及ぶとするなら、それは昨晩の出来事だ。それを乗り越えた私は必ず記事を書きあげててみせる。
「先輩、大変参考になるお話、ありがとうございました」
ルーロンは先輩に頭を下げて席を立った。
「待て、話はまだ終わってない」
「すみません、このあと人と会う約束がるので」
ルーロンは手短に断りの言葉を伝えてさっさと店をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます