第2話 職場の先輩・アサシガ

 

 翌日、クドラ山害獣事件の企画書を見てもらおうと編集長のもとにいくと、先客がいた。


 背がすらりと高くて端正な顔立ち、先輩記者のアサシガだ。編集長に原稿を確認してもらっているようだ。


 彼はリューサ出版社の絶対的エースであり、アサシガがいるからリューサ出版社は業界トップの座を維持していられる、というのが業界内の一般認識だ。


 ルーロンの憧れの存在であり、目標だ。


 アサシガはルーロンの熱視線に気づく様子もなく、自身の書いた原稿に目を通す編集長を涼しげな表情で見つめている。


 やがて編集長は原稿から顔を上げた。


「うん、今回もバッチリだ。お疲れさま」とアサシガにねぎらいの言葉をかけた。


 ありがとうございます、と頭を下げてから原稿を受け取ったアサシガがくるりと身体を反転したため、後ろにいたルーロンと向き合う状態となった。


「お疲れさまです、先輩!」


「おう、ルーロンか。1人で記事を書くことになったんだって?」


 先輩が私の近況を把握してくれている、それだけで心臓が跳ね上がった。


「はい!題材の目処めどがついたので、編集長にこれで進めていいか確認するところです!」


「そうか、うまくいくといいな」


 ありがとうございます、とルーロンは先輩に頭を下げた。


 本心を言うと編集長よりよっぽど優秀なアサシガに企画案を見てほしいくらいだ。


 編集長に企画書を渡した。

この時が仕事の中でもっとも緊張する瞬間だと先輩から聞いていたけど、なるほどその通りだな、と思った。


「クドラ山の害獣事件か・・・」


 編集長が眉間にシワを寄せた。


「ダメですか?」


「ダメというワケではないけど・・・」と編集長は歯切れ悪く呟いて腕組をした。


「この事件はもう解決してるだろう?何を掘り下げるつもりだ?」


「それは、これから取材して調べていくつもりですけど」


 そうか、と言ってから編集長はアサシガを呼んだ。え、なんで?


 はい、とアサシガがやってきてルーロンの隣に並んだ。フワリと良い匂いがした。


「なんでしょうか」


「ああ、ルーロンがクドラ山の事件を調べたいと言っているんだが、どう思う?」


「クドラ山の・・・害獣事件ですか」


 アサシガがチラリとルーロンに目を向けてから、すぐに編集長に視線を戻して口を開いた。


「正直、今から追いかけても何も出てこないと思います。すでに王国軍から正式な発表が出されているわけですし、同じ内容をなぞるだけになるかと思いますが」


 そうだな、と編集長は頷いて、企画書をルーロンに返した。


「そういうワケで、別の題材を探した方がいい」


 ルーロンは企画書を受け取ったが、返事はしなかった。


 ◆◇◆◇◆◇


 業務終了時刻となり、周りの同僚達が帰り支度を始めるなかで、ルーロンはアサシガの席に目を向けた。


 彼は一心不乱な様子で原稿に向かっていて、帰る様子はない。


 ルーロンは先ほどの物とは別の企画書の制作を始めた。急いで書く理由はないけど、アサシガと2人きりになる理由をつくりたかった。


 ◆◇◆◇◆◇


「あれ、まだいたのか」


 すぐ近くから声をかけられて資料から顔をあげると、アサシガが真横に立っていた。集中していて全然気づかなかった。

 先輩の目つきが普段より柔らかい、もう仕事は終わったようだ。


「はい、資料を読んでまして」


「資料て、クドラ山の?」


「いえ、それは先ほど却下されたので、別の題材のものです」


「そうか、そんな急がなくてもいいと思うけど、頑張ってるんだな」


 先輩が労いの言葉をかけてくれた。よし、すんなり本題に入れる流れだ。


「先輩、質問があるんですが、いいですか?」


 なに?と言いながらアサシガは近くにあったデスクの椅子を引いて腰を下ろした。


「先輩はどうして先ほど編集長に呼ばれたんですか?」


 え?とアサシガがまばたきをした。


「なぜ編集長は私の出した企画書で、先輩の意見を求めたのかなって」


 ああ、と先輩は納得した表情を見せてから「実はな」と切り出した。


「あの事件、俺も記事にしようと思った時があったんだよ」


「え、そうなんですか?」


 初耳だった。自分が最初に目をつけた題材だと思ったのに。

 でもその相手が先輩だと思うと、悔しさと嬉しさが混ざったような不思議な気分だった。


「2週間くらい前に編集長に企画案を出して、了解をもらったんだけどな」


「どうして記事にしなかったんですか?」


「さっき編集長の前で言った通りだよ。新しい情報を得られなかったからだ」


 そう、この事件は王国軍が管理する山の中で起きたために一般人の目撃者がおらず、発表されたこと以外のネタを掘り起こしづらいのだ。先輩が話を続ける。


「一応知り合いの兵士で、見合った金額を払えばどんな軍事機密でも提供してくれる奴がいるんだけど、そいつに借りをつくってまで調べるネタではない、と判断したんだ」


 そうだったんですね・・・とルーロンは納得した表情をつくって頷いた。


 この際だから気になることを全部訊いておこうと思った。


「先輩はクドラ山についてどう思っていますか?」


「え、クドラ山について?害獣事件じゃなくて、クドラ山そのものについて?」


 アサシガが虚を突かれたような表情でルーロンの言ったことを復唱した。


「はい、あの山って一般人は入山禁止になってるじゃないですか。どうしてだと思いますか?」


「どうしてって、防魔鏡ぼうまきようがあるからだろ?」


 予想通りの返答だった。


―――防魔鏡とは、クドラ山の山頂付近にあると言われている結界のことで、憎魔ぞうまと呼ばれる魔物が生息する魔証地区ましようちくと繋がる穴を塞いでいると言われている。


「先輩はその伝説を本気で信じてるんですか?」


「伝説の真偽しんいを今さら問う必要はないと思うけどな。お前は魔証地区の伝説と今回の事件が関係あると思っているのか?」


「いえ、別にそういうわけじゃないですけど・・・」


いくら尊敬する先輩でも、ここで自分の考えを全て言うつもりはない。


「まぁ、どちらにしても今のお前にはまだ難しい案件だよ」


 アサシガの一言が、逆にルーロンの負けず嫌いの導線に火を点けた。


「言いましたね先輩。それじゃ、もし私が今回の害獣事件で、王国軍の発表とは違う真相を暴いた記事を書けたら、一人前と認めてくれますか?」


 はぁ?と先輩は困惑した表情をつくった。言わなくても分かります、何言ってるんだコイツ?て思いましたよね?


「そりゃ認めるだろうけど・・・さっき編集長に却下されたばかりだろ?」


「別の取材をするふりをしながら進めていきます」


「そんなのすぐばれるに決まってるだろ」


「それでもかまいません、お願いします、編集長には黙っててください!」


 ルーロンは椅子から立ち上がって頭を下げた。


 しばらくしてから「分かったよ」と息を吐くような声が聞こえた。顔を上げると先輩は呆れたような笑っているような奇妙な表情をしていた。

 それでもとびきりのイケメンには変わりないけど。


「やれるだけやってみな。編集長には俺からうまく言っておくから」


「ありがとうございます!」


 ルーロンはもう一度頭を下げた。

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