キミにもう一度。

ネコヅキ

キミとの出会い。

「どういう事だよこりゃぁっ!」

 大きな戦斧を壁に立てかけ、ガチムチな戦士が声を荒げて飲み干した水袋を投げた。袋は弧を描いて壁に当たり、近くに居た未だ幼さが残る女性が『ひぅ』と小さな悲鳴をあげる。

「テメェ、ホントにトレハンか!?」

「ほ、ホントですよぉ……」

「カードを見せろ! カードを!」

 ビクビクしながら差し出した一枚のカード。それには、ルネエル・フレージュ十六歳。職業トレジャーハンターと書かれていた。

「どうやら本当の様ですね……」

 横からカードを覗き込んだ杖を持つ痩せた男は、信じられない。といった風で首を振る。

「ハンッ! どうせ偽造したんだろ!」

「ぎ、偽造なんてしませんっ!」

「だったらなんで、ミミックしか引かねぇんだよ!」

 ガチムチな戦士がビシッと差したその先には、直前に倒した宝箱の残骸が転がっていた。

 ミミックは決して弱い魔物ではない。擬態能力が高く、毒霧や麻痺霧を吐き出す個体。魔法をも扱う個体もおり、その戦闘力は高い。中級探索者パーティあたりでは負ける事は無いがそれなりに苦戦する。ましてや下の上くらいのパーティなら一つ間違えば死に直結するくらいだ。

「一度や二度なら話は分かる。だがな! 五回連続ってフザケてんのか!?」

「そ、そんな事言われても私にはサッパリ……」

 俯き、人差し指同士をくっつけ合うルネエルに、ガチムチの戦士がブチギレた。

「もういい! オマエとの契約はここで破棄だ!」

「えっ?! か、帰りは?! そ、それにお金……」

「役立たずに払う金なぞ無い! 街へは一人で帰れっ!」

「それは困りますっ! 五層から一人でなんて帰れませんっ! もし、魔物が現れたら……」

「そんときゃ死ね」

「ひっ!」

 ガチムチの戦士、華奢な感じの女武闘家。そして、痩せ細った魔法使いの冷淡な視線がルネエルに突き刺さる。

「異存は無ぇよな」

 冷淡な視線をルネエルから逸らす事なく無言で頷くメンバー。

「満場一致だ。オマエとの契約は解除する」

 ガチムチの戦士が持っていた、ルネエルのカードに変化が起きる。パーティ状態を示していた項目が消え失せ、ソロ状態である事が示される。それを確認したガチムチの戦士は、カードをルネエルへと投げて返した。

「え、あ。あの、ちょっと待ってくださ──」

 パーティから除外されてもなおすがりつくルネエル。その眼前に、大斧の先端に取り付けられた槍状の鋭い切っ先を突き付けられて息を呑んだ。

「いいか? ついて来たら魔物のエサにしてやるからな」

 その言葉がトドメだった。

 ルネエルは腰が抜けたようにペタンと地面に尻をつき、目から涙が零れ落ちる。泣き叫ぶ様な事はしなかった。騒げば魔物を引き寄せかねないからだ。けれど、そういう理由で泣き叫ばなかった訳ではなく、ただ単に不安と恐怖と信じられない気持ちで感情がパンクしてしまい呆けていただけだ。


 ルネエルが腰を上げたのは、ガチムチな戦士達が消えて暫くしてからの事だった。

「ぐすっ……帰らなきゃ……」

 壁に手を付き立ち上がる。そしてそのまま横倒しになり、脇腹を強かに打って顔を歪めた。

「いつつつ何なのよもう……ここって?!」

 そこは十畳ほどの正方形な部屋だった。天井は表とたいして変わらない高さで石畳が敷かれ、石材で出来ていると思しき壁が取り囲む。

「こんな所に隠し部屋が……」

 室内をぐるりと見渡し、部屋の隅に置かれた小さな物体が目に入った。

「青い、箱?」

 通常の宝箱は木製だ。時折石棺の様な箱が置かれている場合もある。しかし、そこに置かれているのは材質が分からない青い宝箱。トレハンギルドでも噂にすら聞かない非常に珍しい箱だった。

「普通より小さいけど、どうして感知出来なかったんだろう……」

 ルネエルは宝箱に掌を向けて集中し『エコーロケーション』を放つ。掌から宝箱にだけ反応する魔力波を放ち、反射して戻ってきた魔力波で宝箱の位置を特定するトレジャーハンターのスキルだ。ベテランにでもなると遠くの宝箱も分かるという。だが、ルネエルはまだ駆け出しな為に感知範囲は狭い。そして目の前にある青い宝箱からは何の反応も見られずルネエルは首を傾げた。

「全然反応が無いんだけど……まさか幻とか?」

 そんな事があるのかと思いつつも、バッグに手を突っ込んで何かないかと探す。指先にコツリと当たったのは、ダンジョン探索に必須な固形食料だった。それを小さく千切って宝箱へと投げ付ける。千切った固形食料は放物線を描いて宝箱に当たって裏側へと消えてゆく。幻では無い事を知ったルネエルはホッと胸を撫で下ろすのと同時に邪な考えがよぎった。

(あれを持ち帰る事が出来たら、私は一躍有名人になれる。そうしたらアイツ等も……)

 確かに青い宝箱という非常にレアな箱を提出できればその評価はグググンと上がる。が、宝箱は察知出来ても魔物はそうはいかない。武器らしい武器も持たないルネエルにとって、道中一度でも魔物と遭遇してしまえば死は免れない事を失念してしまっていた。

「ふひひひ……」

 誰かが居たら引くような、気色悪い含み笑いをしながら青い箱を持ち上げた。持った感じそれほどの重量はない。しかし非常に珍しい青い箱。中身は魔力を宿した何かだろうと予想する。

(どうか魔道具マジックアイテムでありますように……)

 つい最近、トレハンギルドで聞いた話。とあるダンジョン内で見付けた宝箱に、魔力を宿した武器が一振り入っていたという。そしてそれはルネエルの目玉が飛び出たくらいに高値で売れたのだというのだ。

 頭に思い描いたモノが現実になりますように。と目を閉じて祈りを込め、意を決して蓋を開ける。そして、その場に凍り付いた。

 青くて美しい見た目の外側からは想像もつかない、漆黒というべきその中身に浮かぶまん丸なつぶらな瞳。キラキラとした輝きすらも纏っていると錯覚すら覚える目が二つ。真っ直ぐにルネエルを見つめ返していた。

「ひぃっ!」

 魔力を宿した装備品を手に入れ、一躍有名人になった妄想は爆散し、手にしていた箱を放り投げる。

「ンミミミ……ミミックッ!」

 パーティで会敵したのならともかく、ソロでのミミックとの遭遇は死を意味する。ルネエルにとって本日六度目の正直は最悪の形となって目の前に現れた。

「いやぁ……来ないでぇ……」

 首をブンブンと振りながら、弱々しい声を上げて後退る。しかしそこは十畳程度の狭い部屋。あっという間に部屋の角に追い詰められた。

(に、逃げられないっ!)

 部屋の入り口は、慌てて放り投げた所為もあって青ミミックのすぐ近く。ダッシュで駆け抜ける僅かな間にルネエルを殺す事は容易い。それどころか、換気口も無いこの部屋で毒霧や麻痺霧を放たれればそれだけでジ・エンドだ。

(あああ……詰んだ)

 床にべチャリと座り込む。項垂れるその姿はまるで燃え尽きて真っ白になったボクサーのよう。

 その足元に一体どういう原理かは分からないが突然、青ミミックが滑る様に移動をし、つぶらな瞳でルネエルを見上げる。

「ひぃっ! え……?」

 悲鳴を上げたのも束の間、青ミミックの奇妙な行動にルネエルは目を見開いて驚いていた。

 青ミミックがとった奇妙な行動。それは、ルネエルの足首に箱を擦り付ける。その姿はまるで小動物が甘えている様。

「え……えっ?!」

 ルネエルも脳内が混乱していた。見た目は探索者を幾人も葬ってきた凶悪なモンスター。しかし今の行動は小動物と何ら変わらない。差し出したその手にも擦り付け始める始末だ。一瞬、可愛いと思ったルネエルも即座にそれを払拭する。

(何を考えているの?! 相手は凶悪なモンスター。ミミックなのよ!?)

 そう思い直しても、懸命に身体を擦り付けているその姿とつぶらな瞳の前には思わず頬が緩んでしまう。

「……はっ!」

 緩んだ顔を引き締め直したルネエル。直後に、現在の状況は脱出する絶好の機会だと気がついた。

 今、青ミミックは移動してルネエルの足元に居る。遮られていた入り口がポッカリと開いていた。ルネエルは青ミミックを纏わり付かせたまま、刺激しない様にゆっくりとその身を入り口に移動させ始める。

(もう少し……)

 入り口に着いたら全速力で逃げる。頭の中にプランを描き、たどり着いた隠し部屋の入り口。その入り口に背を向けていた所為で彼女は気づかなかった。

(何? この匂い……)

 頭に吹き付けられる生暖かな風はガチムチな戦士が放つ口臭よりも酷くて血生臭い。その臭いの元を確認しようとしたのと同時にミミックから見えない何かが射出された。

 突然の行動に目をまん丸に開いて驚くルネエル。背後からは濡れた衣類が地に落ちた様な生々しい音が耳に届いた。

「え……」

 恐る恐る振り返ったルネエルの目に、白い毛並みを赤に染めて血の海に沈む獣の姿が映る。ある筈の頭部は跡形もなく吹き飛び、残された胴体部がビクリビクリと痙攣を繰り返していた。

 その正体はケイヴウルフという。白い毛並みと一つ目が特徴の狼。鼻が利き、探索者を遠くから察知して襲いかかってくるが、仲間意識は無く常に単体で行動している上層階に住まう魔獣である。

 その魔獣が何故地に伏しているのか一瞬理解が追いつかなかったが、直前に箱から何かが射出された事を思い出し、青ミミックへと視線を向ける。

「まさか、私を助けてくれたの?」

 ルネエルが問い掛けたのとミミックが動き出したのは同時。ルネエルの脇を通り、スルリスルリと魔獣へとたどり着いたミミックは、そのまま事切れている魔獣に貪りついた。

「あ、お腹減ってただけなんだ……」

 急上昇していたルネエルの中の好感度が僅かながら下がる。魔獣を瞬く間に食べ尽くしたミミックはキョロキョロと辺りを見渡し始め、他に何も無い事が分かるとガクリと肩を落としたようにみえた。

(どうしたんだろ……)

 あきらかにガッカリした様子でルネエルの元へと戻って来るミミック。もしやと思い、ルネエルはバッグの中に手を入れた。

「これ、食べる?」

 ルネエルが差し出した固形食料。お世辞にも美味しいとは言い難いが栄養価は満点の保存食。

 驚いた様に目をパチクリさせたミミック。ほんの少しの間の後、つぶらな瞳の下から舌の様な物体が飛び出す。一瞬驚いたルネエルだが、その物体に固形食料をそっと乗せると漆黒の闇の中に消えた。

「わっ!?」

 ミミックが突然飛び上がる。ぴょこぴょこと跳ね回るその姿は喜んで見え、その目はこんな美味しいの食べた事ない。と言わんばかりに輝いて見えた。

「も、もう一個。要る?」

 デロリンと出された舌の様な物体に再び乗せると、一度目と同じリアクションを取る。

 それから二個、固形食料をあげた所で満足したらしく、盛大なゲップを披露して満足気な雰囲気を醸し出していた。代わりにルネエルの食べる分が無くなってしまったが、ダンジョンの入り口までは約五時間の道程だからと特に問題視はしていなかった。

「え……」

 スルスルと近付き、一生懸命身体を擦り付ける。その姿は完全に小動物が懐く姿と変わらなかった。

「ふふ、なんかカワイイ」

 完全に警戒心が失せたルネエル。このまま連れて帰りたいとまで思える様になっていた。しかし相手は魔物だ。人と魔物。この二つの存在が同一の生活圏で肩を並べる事など出来ない。もしかたら可能かもしれないが、長い歴史を振り返っても両者が歩み寄った記述が無い事から、共生は出来ないと判断出来る。

 人は魔物を狩る存在であり、魔物は人を狩る存在。それがこの世界の理である。と、誰しもが思っていた。勿論、ルネエルもその例に漏れなかったが、青ミミックとの出会いは彼女に理を超えさせた。

 持ち上げて顔を近付ければ目を細めて子犬のようにペロペロと舐め、足元に置けば絡みついてくる仕草にもうメロメロになっていた。

「一緒に……いく?」

 人語が理解出来るのか。はたまた魔物の感覚によるものか。問い掛けられた青ミミックは目を細めて喜んでいる様に見えた。


 ☆ ☆ ☆


 バフウッ!

「ひあぁっ!」

 バシュッ!

「にゅあぁっ!」

 ボフッ!

「おふぅぅっ!」

 とあるダンジョンの五層で、奇妙とも言えるべき声が木霊していた。何かの射出音の後に聞こえてくるその声は三層に届くかという勢いで、進もうか迷っていた新米探索者パーティがそれを聞いて慌てて逃げ帰ったという話。

 結局の所ルネエルの判断は正しかった。五層の隠し部屋から四層に至る階段までにケイヴウルフ三体と遭遇。青ミミックの助力が無ければ最初の一体で死んでいただろう。

 とはいえルネエル自身も五体満足かといえばそうでもなく、青ミミックが放つ射出物の衝撃波で床を転がり壁に叩きつけられていて、満身創痍とまではいかなくてもそれに近い状態。青ミミックを床に置けば吸着して射撃も安定するのだが、入口に向かって進んでいる以上、探索者との遭遇率が増してしまうのでそうもいかず、何かが射出される度にルネエルが吹っ飛ばされる事態に陥っていた。

「負ける……もんですかっ」

 生まれたてのヤギの様に足をプルプルと震わせて壁を支えに立ち上がるが、『くぅ』という腹からの欲求に負けん気が一時凍結する。

(そういえば、朝食べたきりだっけ)

 一層から五層に来るのに約五時間。ミミックとの戦闘や休憩などを挟んでそれ以上の時間が過ぎている。その上、泣いたり叫んだりふっ飛ばされたりと色々な事があって、ルネエルの身体は食事を必要としていた。

「あひゃひゃひゃっ!」

 固形食料を取り出そうとバッグの中に手を突っ込むと、その手を生温かいヌルヌルしたモノが絡み付き、まんべんなく舐め上げた。突如として襲われたこそばゆい感覚に思わず声が漏れ出る。

「あー、そっか。このコにあげちゃったんだっけ」

 バッグの中からルネエルを見上げるつぶらな瞳。ボクの所為? と言わんばかりのその瞳に、ルネエルは何でもないと笑顔で振る舞う。食べ物が無いと分かると、途端に腹の中の虫が騒ぎ出した。

(どうしたもんかな……)

 魔獣から肉を収集する手もあるが、処理を施していない肉は強烈な獣臭が喉や鼻に纏わり付いてとてもじゃないが食べられない。生肉に齧り付くのは最終手段だと考えていた。

(誰か来る!?)

 角の先から急速に近付いて来る複数の足音。ルネエルは慌ててバッグのフタを閉じ、開かない様に紐で閉じる。

「いい? 絶対に騒いじゃダメだからね」

 バッグをポンポンと叩くのと同時に、角から男が姿を現した。

「ここかっ!?」

 抜身の剣を構え、角から飛び出した一人の男。その後に二人の男が続き、杖と弓を構える。その弓を見てルネエルはギョッとした。

狩人レンジャーじゃないのっ!)

 狩人レンジャー。魔物感知のスキルを持つ探査のエキスパートであり、同時に罠の存在をも見抜く事が出来る職業だ。魔物に対して先制攻撃をするには必須の職業で、パーティ内に居るか居ないかで狩る側と狩られる側に分かれる。

(それにこの人達。シルバーランクだわ……)

 男の首に下げられた銀のプレート。カッパーに始まりブロンズ・シルバー・ゴールドと続き、最終的にはプラチナ。それぞれのランクはダンジョン内での到達層が定められていて、カッパーは十層まででブロンズは三十層までの探索が可能。プラチナランクは無制限となっている。

「大丈夫かキミ?」

「あ、はい。なんとか」

「この辺に魔獣が居たはずなんだが、見掛けなかったか?」

「ああ、魔獣でしたら……」

 ルネエルはポケットを弄り、一つの結晶体を取り出した。

 ダンジョン内の魔物は死んでもしばらくの間消滅しない。一定時間その場に残り続けてやがて黒い塵となり消滅する。その時残るのがこの結晶体だ。

「ケイヴウルフのモノです」

「その短剣だけで倒したってのか?!」

 驚き顔を見合わせる男達。武器が牙と爪しかないとはいえ、カッパーランクで、しかも少女が短剣一本で討伐した。という話が信じられなかった。

「い、いえ。『運』良く当たってくれただけですよ。ホント、『運』が良かっただけで……」

 ことさら『運』を強調するが、実際に倒したのは青ミミックで、ルネエルは吹き飛ばされて壁に張り付いていただけだ。

 『運』と聞いて彼等も追求を止めた。ダンジョン探索に於いて運は無視出来ないパラメーター。シルバーまで登った彼等はその事をよく知っていた。

 だがもし、ケイヴウルフの死体がこの場に残されていたのなら、『運』で押し通す事は不可能だったろう。なにせ、頭部を吹き飛ばされている事は運程度では説明出来ないからだ。二重三重の意味でルネエルは運が良かった。

「ところで、皆さんはどうしてこの様な場所に?」

 シルバーランクは本来、移動魔紋を使ってもっと深い場所からスタートする事が出来る。シルバーランクにとって浅い層では旨味がほぼ無いがために、探索中に出会う事すら珍しい。

「オレ達はギルドの依頼を受けて調査に来たのさ」

「調査、ですか?」

「ああ。なんでもこのあたりで未知の魔物の声がしていたらしくてね、その正体を探って欲しいって話だ」

 ルネエルから発せられた叫び声が壁やらなにやらに反響して届いた唸り声を、魔物の声と勘違いした新米探索者が逃げ帰ってギルドに報告をした。その時、近くに居たシルバーランクの彼等にギルド側から調査を依頼された事などルネエルには知る由もない。

「急ぎだからってんでコイツの探査を使っていたんだが、ここいらに魔物の反応が出たから来たって訳だ。お嬢さんの言う通りなら、お前が感知したのはケイヴウルフだった様だな」

「恐らくはそうだろう……『モンスターサーチ』」

(ウソっ!?)

 狩人レンジャーが使用したスキルにルネエルは驚いて目を見張る。その掌が明後日に向けられているのを見てホッと胸を撫で下ろした。

 狩人レンジャーの特化スキルである『モンスターサーチ』も、トレジャーハンターの『エコーロケーション』と同じく掌から水平方向の扇状に発動する。

 もし、スキルの効果範囲内にルネエルが入っていたら、バッグの中に居る存在にも気が付いただろう。ここでもまた、ルネエルは運が良かった。

「居ないな。やっぱりケイヴウルフか」

「果たしてそうでしょうか?」

 一難去ってまた一難。今度は魔術士キャスターからの疑いの眼差しが向けられる。

 腕や脚。露出した部分にはすり傷などが見られるものの、牙や爪などによる裂傷や衣服の乱れが何一つ無い事が、彼には不思議に見えていた。

「おい。そんなエロい目で見るんじゃないよ。レディが嫌がってるじゃないか」

「わ、私は別にいやらしい目でなんて見てませんよ?!」

「だからお前は女にも嫌われるんだよ。さ、立てるか? このまま出口まで送ろう」

 手を差し出した剣士風の男にルネエルはキョトンとする。

「でも、調査にいらしたんじゃ……」

「調査を理由に女の子を放っておく訳にはいかないだろ。出口までにどれだけの魔物に出会すか分からないんだゼ? 運は重要だがそれに頼りすぎるのもダメだ」

 剣士風の男の言う通りだった。ここはダンジョン内であり、多くの魔物が徘徊していて当然罠も多く有る。そんな中を、四層、三層、そして二層と、進んでいかなければならない。彼等と出会った事もまたルネエルの『運』だろう。当然断る理由がない。筈であった。

(どうしよう。バッグの中にアレが居るのがバレたら……)

 気にかかるのはバッグの中の青ミミックの存在。狩人レンジャーのサーチに引っ掛かればたちまちのうちにバレてしまう。

(かといって一人で大丈夫とは言えないよなぁ)

 シルバーとまではいかなくても、ブロンズクラスの探索者であったならそれも可能かもしれない。が、ルネエルの首からぶら下がっているプレートがカッパーである以上そうもいかない。それに断ったら何かに感づいている魔術士キャスターの疑いを強めるだけだ。

(掌の動きに注意しておくしかないわね)

 幸い、移動時の隊列的にも後方に位置するトレジャーハンター。殿を務める狩人レンジャーのすぐ前。レンガで構成された、地下迷宮らしい階層では『モンスターサーチ』は前後にしか行わない事をルネエルは知っていた。

「それじゃあ、お願いしていいですか?」

「オーケー。大船に乗ったつもりでいてくれ」

「泥舟の間違いじゃ無いんですか?」

 先程の意趣返し。とばかりに魔術士からのツッコミが入ると、狩人から笑い声が漏れ出る。

「確かにな。お前はいつも厄介事を引き当てる。今回だって、ギルドに寄る必要もないのに寄ったらコレだ」

「タダ働きじゃない分マシだろう? それに、一人の探索者の窮地を救ったんだ。全然ムダじゃないさ」

 剣士風の男の手を取り引き起こされる。その力強さと頼りがいのある包容力。そして、それなりのルックスも相まって、年頃のルネエルの心臓が高鳴る。それよりももっと下の方からの高鳴りに、耳までもが真っ赤に染まる。

「ハラ減ってるのか?」

「え、あ。いや、その……」

 どうしてこんな時に。鳴ったお腹を恨めしく思うルネエル。だがそれは、シルバーランクの探索者に守られた安心感と一人で居る事の心細さが解消された証。

「ホラよ」

 剣士風の男から投げて寄越されたのはルネエルが青ミミックに食べさせた固形食料。探索には必須のアイテムである。

「え? 良いんですか?」

「ああ。元々、探索に出る予定だったんでな。大量に買い込んでおいたんだ。遠慮は要らないゼ?」

「有難う御座います」

 固形食料を包装から出し、一口サイズに折って口に放り込む。空腹は最大の調味料と云うが、味気ないはずの保存食が宿屋の食事くらいには感じていた。その匂いを嗅ぎ付けて、カバンの中の青ミミックが騒ぎ始める。

(ちょ、大人しくしててっ!)

 慌ててバッグを抑えるも時既に遅し。男達にガッツリと見られてしまった。

「お、おい。その中に何が居るんだ?」

「これは、その」

 中にはミミックが入っている。とも言えず、ルネエルはただの小動物だと答える。

「小動物? 何でそんなモンを連れているんだ?」

「それは、その……罠に……そう、罠用です」

 どうしても避ける事が出来ない罠に小動物を引っ掛からせるのだとルネエルは説明する。実際、その方法を用いて罠を回避している探索者も居る。

「ああ、なるほどな」

 ほらよ。と投げて寄越したのは固形食料。ルネエルはそれを受け取りポカンとした表情をする。

「そいつの分だ。食べさせてやりな」

「あ。すみません有難う御座います」

 バッグの隙間から固形食料を突っ込むと瞬く間に食べ尽くし、喜びの表現なのかデロデロと手を舐めだしてその気色の悪さにルネエルは顔を僅かに歪ませた。

「それじゃ、魔物が集まって来ないうちに出口に急ごうか」

「はいっ、宜しくお願いしますっ」

 頼もしき同行者を得て、ルネエルは無事にダンジョンから生還する事が出来た。


 ☆ ☆ ☆


 宿を取り、部屋の鍵を掛けたルネエルは、木製の机の上に置いてバッグを開ける。

「えっ?!」

 思わず発した驚きの声。ダンジョンを出てから軽いと思っていたバッグの中には、つぶらな瞳で見つめ返す青ミミックの姿はその何処にもなかった。

(ウソ! まさか逃げ出したの?!)

 バッグの蓋を紐でガッチリと縛っていた以上は逃げ出す事など出来ない。偽装か何かしているんじゃないかと目を凝らしてバッグの中を見てみると、底の方で何かがキラリと光った。

「何か……ある」

 バッグに手を入れるとコツリと固い何かが指先に当たる。掴んで手元に寄せると、それは見た事も無い青い結晶体だった。

「まさか……そんな……」

 ミミックとは、ダンジョン内で生まれた高度な偽装技術を持つ魔物である。いかなスキルを用いても真贋の判別は不可能で、宝箱などに偽装し欲に目が眩んだ探索者達を待ち受ける、蜘蛛よりも厄介なハンターだ。しかし、ダンジョン内で生まれた以上は、コアからの補助無しでは生きられない。ルネエルはその事を、この時になって初めて知った。


 それから数ヶ月。ブロンズランクに昇格したルネエルは今日もダンジョン内を探索する。つぶらな瞳と小動物の様に人懐こい青い宝箱を見つける為に。バッグの中には溢れる程の保存食を入れてポッケに忍ばせた青い結晶体を握り締め、また会えると信じて……

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キミにもう一度。 ネコヅキ @nekoha

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