第105話 珍獣


 俺が晩餐の部屋へはいっていくとさざめきが広がり、いくつもの視線がこちらに注がれた。


「あれがパルメット家のクオートさんか」

「ほぅ、悪くないな」

「そうとうなお転婆らしいぞ。なんでも廊下を裸足で走ったとか」

「祖父の命を救うためだったのだろう? 健気じゃないか」


 噂が広まるスピードは速いようで、俺はすっかり注目の的になっている。


「そのうちシローちゃんのまわりに人が集まってくるぜ。私も負けないようにしないとな」


 リーアンは嫉妬を含んだ声でそう言ったけど本当だろうか?

 きっと、毛色が変わっていてめずらしいのだろう。

 動物園にいる珍獣みたいなものだな。

 少し気にはなるけど、わざわざ声をかけてくるもの好きはいないと思うぞ。

 ここにいるのは上流階級のご婦人や貴公子ばかりなのだ。

 宿屋の男将である俺には縁のない人ばかりである。

 それでもいいというのなら食事やお酒くらいは付き合ってもいいけどさ。

 フィーリングが合えば、そのあとのことだってね……。

 やっぱり、リゾートだから期待してしまうよ。

 いまの気分としては、どっぷり甘えさせてくれる人がいいなあ。

 奥の席にパルメットさんの姿を見つけて、俺とリーアンはそちらに向かった。


「おお、クオート、来てくれたんだね。とても美しいよ」


 パルメットさんはやっぱり俺を孫と勘違いしたまんまだ。

 おじいちゃんの心臓が止まってはいけないので、予定どおり俺はクオートということにしておこう。

 テーブルに座ると俺たちは上品な白ワインで乾杯した。

 前菜は甲殻類のラヴィオリだった。

 ここのシェフは料理上手だ。

 盛り付けも味付けも超一流だぞ。

 このラヴィオリも素晴らしくて、自分で再現したくなるほどである。

 たぶん、マスターエルザが大好きな味だろう。

 作ってあげたら喜ぶだろうな。

 俺ならもう少しスパイスを入れて、ソースを軽くするかなあ。

 南の島で食べるのならその方がよさそうだ。


「美味しいかい、クオート?」

「とてもおいしゅうございます。自分でも作ってみたいですね」

「クオートが料理をするのかい?」


 パルメットさんが驚いている。

 そうか、普通の令嬢は料理なんてしないんだな。

 まあいいや、下手にとりつくろえばボロは大きくなるものだ。

 ここは素の自分をさらけ出してしまおう。


「最近のマイブームなんですの」

「まいぶ……?」

「お料理が趣味なんです」


 こう説明するとパルメットさんは納得したようだった。


「そういえばリンガードもよく厨房を覗いていたものだ。きっと父親に似たのだな」

「そうかもしれません」

「だが、リンガードでさえ自分でお茶を淹れるのが関の山だったよ。厨房に入ったことはなかったはずだ。大胆なところは母親に似たのかもしれないね」

 パルメットさんは目を細めてウンウンと頷いている。

 孫に出会えたことが本当にうれしいようだった。


 食事も終わってコーヒーを飲みながらくつろいでいると、何人もの貴婦人から声をかけられた。

 声をかけられたといっても街中のナンパみたいなものじゃない。

 作法にのっとった声かけだ。

 まずはパルメットさんに挨拶をしている。


「私はグレン・パルメット。こちらは私の孫のクオートです」


 パルメットさんは他の人の前でも俺を孫扱いしているけど、いのかな?

 まあ、帝都に長くいるつもりはない。

 エマンスロックを返したら去る予定だから、これでいいか。

 強く否定すればパルメットさんを困惑させてしまうかもしれない。


「よしなに……」


 俺は貴族の令息よろしく、慎み深く頭を下げておいた。




 食事が終わると部屋の前までリーアンに送ってもらった。


「おやすみ、リーアン。今日は楽しかった。いろいろ教えてくれてありがとう」


 リーアンには作法とか言葉遣いとかを目立たないように習っていたのだ。


「お安い御用さ。それより、シローちゃんの明日の予定は?」

「まだなにも考えてないよ。ここに来るまでいろいろあって疲れたから、いまはたっぷり眠りたいかな」


 聖者をやったり、セシリーたちとの別れがあったりね……。


「そっか……。じゃあ、シローちゃんの疲れが癒えたら、また誘いに来るかな」


 リーアンは少しだけ寂しそうに帰っていった。

 だけど、俺はわかっている。

 あの寂しそうな後ろ姿だって、たぶん演技だ。

 そうやって俺をなびかせようとしているのだろう。

 だけど、そんな手には乗らないぞ。

 チャラ女の手練手管などお見通しなのだ。


「はー、疲れた。レン君、お水を持ってきて」


 自室に入って声をかけると、すぐにレン君がお盆を片手にやってきた。


「おかえりなさいませ、サナダ様。あ、クオート様でしたか?」

「部屋の中にいるときはどっちでもいいよ」


 パルメットさんの心臓をいたわるため、俺のことはクオートと呼ぶように申し付けてある。

 だから、おじいちゃんのいないところならどう呼ばれてもかまわない。

 間違えるといけないということで、レン君はいつでもクオートと呼ぶことで決めたようだ。

 手渡された水を一気に飲み干すと、俺はソファーにだらしなく腰かけた。

 上流社会の食卓で思ったより疲れてしまったのだ。

 料理はおいしかったけど、やっぱり俺は自分の宿の方が落ち着くなあ。


「クオート様、こちらが届きましたよ」


 レン君は大量の花束や、きれいに包装された箱を抱えてきた。


「なにそれ? 注文した覚えはないけど……」

「貴婦人たちからのプレゼントです」

「はぁ?」


 山のようにあるぞ。

 しかもプレゼントにはカードが付いていて、デートのお誘いがてんこ盛りだ。

 差出人の名前は書かれているけど誰が誰だかはっきりとは覚えていない。


「なんかすごいね……」

「おモテになる方はこんな感じですよ」


 これがリゾート効果なのかな?

 ひょっとしたらお化粧が効いているのかもしれない。

 ほら、どれにも微弱な魅了効果があるじゃない?

 それが累積してこうなったのかも。


「レン君、ちょっと聞きたいんだけど。きょう、異様にモテたりしなかった?」

「え、いきなりどうして?」

「正直に答えて。女の人に口説かれたりしなかったかな?」

「それはございませんでしたが、いつもより女性の視線は感じましたね……」


 やっぱりそうだ。

 これはどうしたものだろう?

 モテモテになりたい気持ちと、騒ぎになったら困るという心配がせめぎあっている。

 様子を見ながらちょうどいいところを探っていくか……。


「お花は花瓶に活けておきましょう。プレゼントは開封されますか?」

「疲れたから、それは明日にする。今夜はもう眠るよ」

「ところでお荷物がまだ届かないのですが、モーニングドレスはどうなさいますか?」


 なにそれ?

 時間ごとにわざわざ着替えるの?

 上流階級ってめんどくさっ!

 だけど、文句は言っていられないなあ。

 仕方がないからそれも作ってしまうか。

 モーニングドレスとやらも先ほどの洗濯室で見てはある。


「たぶんそのうち誰かが持ってくるよ。安心して。寝る前にお風呂に入るから、用意をお願い」

「承知しました」


 レン君は一礼して下がっていった。

 お風呂の用意と言えば、島ではイワオの役目だったなあ。

 あいつらは感情を持たないゴーレムだけど、妙に愛嬌のある顔をしているんだよね。

 イワオたちとはしばらく会っていないから、思い出しただけで寂しくなってきてしまった。


「クオート様、お風呂の支度が整いました」


 浴室は広く大理石とモザイクでできた円形の浴槽がついていた。

 客室にお風呂をつけるのなら、こういうのもありだろう。

 シローの宿ならもっと南国の雰囲気にするだろうけど。

 風呂からでるとプレゼントされた花束が三つも大きな花瓶に活けてあった。

 部屋の中はバラの良い香りに満たされている。

 明日になったらこれを原料に新しい香水を作ってみようかな。

 それ以上は何も考えられず、ベッドに入ると俺はすぐに眠ってしまった。

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