第99話 パンカレ温泉
お昼時だったので食堂は混んでいた。
「お好きな席へどうぞ!」
元気な男の子に声をかけられて、俺は適当な椅子に座った。
年齢はハイティーンくらいかな?
看板娘ならぬ看板息子のようだ。
愛想がよく、元気いっぱいで、お客(ほとんどが女性)はみんな彼を目で追っている。
「いらっしゃいませ。お姉さんはなんにするの?」
よかった、この子にも俺が男だとはバレていないようだ。
これなら安心して旅を続けられそうだ。
お客は街道をゆく商人がほとんどである。
俺も同じ商人の姿に偽装しているから目立たずに溶け込めているのだろう。
壁のボードにメニューが書かれていた。
Aセット シチューとパン 焼きリンゴ ムバイ茶
Bセット 鶏肉のグリルとパン 焼きリンゴ ムバイ茶
どちらも1000レーメンだった。
「Aセットをください」
他人の作るものを食べるのは久しぶりだから楽しみだ。
ところでムバイ茶ってなんだろう?
聞いたことのない名前だからこの地方独特のお茶なのだろう。
知らないものを食べるというのはワクワクするな。
これぞ旅の醍醐味というやつだ。
料理を待つ間、俺は周囲の会話に耳を澄ませた。
お客たちは相場や商品、街道の様子なんかの情報交換をしている。
そんな中で気になることを言っている人がいた。
「はーあ、船が沈んで無駄足になっちまったよ。せっかく帝都から来たのになぁ」
「そいつは災難だったな。じゃあ、このまま手ぶらで帰るのかい?」
「この辺じゃ仕入れるものもないだろう? もういっそパンカレ温泉にでも行って散財しちまおうかな!」
「あーっはっはっ、そいつはいい! 全財産使っちまえ。こりゃあもう、やけくそだな」
近くに温泉地があるのかな?
しかも高級なリゾート地のようだ。
もしそうなら、ちょっと興味がある。
さいわい俺はお金に困っていない。
宿屋で貯めた分もあったし、千人オーガを倒したときに見つけた金塊だって手つかずのまま残っているのだ。
ちょっとくらい贅沢をしたって罰は当たらないだろう。
ひと息入れてから王都へ行くのも悪くない。
俺は思い切って商人たちに声をかけた。
「すみません、パンカレ温泉というのはここから近いのですか?」
「およそ半日の距離ってところかな。まさか、行く気なのかい?」
商人たちはじろじろと俺を見た。
「あそこは王侯貴族や豪商たちの行くところだぜ。さっきは冗談であんなことを言ったけど、俺たちの身分じゃとても無理だって」
「いやぁ、話のネタに入り口だけでも覗いてみようかなと……」
「そういうことなら止めはしないけどな。帝都方面に街道を行くと道が二股にわかれるんだ。左に入ればパンカレ温泉に行けるぜ。でっかい看板も出ているから道に迷うこともないだろう」
話を聞き終わったところで食事が運ばれてきた。
見た目はいたって普通である。
さっそく食べてみたけどシチューの味はまあまあといったところだ。
パンはあまり美味しくない。
これなら自分で作った方がよかったな。
どうせ一瞬でできるのだから。
でも、焼きリンゴは美味しかったよ。
バターの風味がして、外側がカリカリのカラメルでおおわれていた。
これならシローの宿でも出せそうだ。
俺が作るのならこれにブランデーの風味を足したいところだな。
ちなみに、ムバイ茶はプーアル茶に似た風味のお茶だった。
食事を終えると一路パンカレ温泉を目指した。
どうせ気ままな一人旅である。
せっかくだからふらりとリゾートを楽しんでみるとしよう。
ほら、リゾートなら素敵な出会いとかもありそうじゃない?
旅の恥は搔き捨てっていうから、恋の火遊びなんてのも悪くない。
温泉で混浴できたら楽しそうだ。
えへへ、見せたがりの性分がうずうずしてきちゃった。
「お、ここを左にいけばパンカレ温泉だな。シルバー、もう一息だ」
ゴーレムのシルバーはやすむこともなく、元気に馬車を引っ張ってくれた。
俺はその絶景に言葉を失っていた。
森の中に突如現れたのは切り立った岩山と透明な湖だ。
山のふもとには壮麗な白亜の宮殿が建っている。
たぶん、あれが温泉施設けん宿泊用のホテルなのだろう。
どこかの大王の城と言われても納得できてしまうくらい立派だぞ。
宮殿の前の大きな湖はコバルトブルーで、水底には古代の遺跡らしきものが沈んでいた。
湖面から湯気が立ち上がっているところをみると、ここも温泉らしい。
湖を迂回するように道が続いていたので、景色を楽しみつつ進むと、やがてゲートが見えてきた。
鉄格子のはまった立派なゲートで制服を着た守衛さんが二人立っている。
どちらも体格のいいお姉さんだ。
「おいおい、ここは来客用のゲートだぞ。商品の納品なら反対側だ」
こんな格好だから商売に来たと間違われてしまったか。
「そうじゃなくて、私は客としてきたんですけど……」
そう言うと、守衛さんたちはあきれた表情で顔を見合わせた。
「年に一回くらいはこういうやつが来るんだよな」
「世間知らずもいいところだ」
雲行きが怪しくなってきたぞ。
ひょっとして中に入れてもらえないパターンだろうか?
守衛さんたちは噛んで言い含めるように説明してくれた。
「嬢ちゃん、ここに入るにはドレスコードってやつが必要なんだよ」
「ああ、服装を合わせなきゃならないのか」
「そういうことだ。だから荷馬車なんて入れられるわけがないのさ」
きっと高級な雰囲気を壊したくないという店側の思惑なのだろう。
決まりなら仕方がない。
ここで言い争っても時間の無駄だからね。
「じゃあ、帰ります」
「ずいぶん素直だな」
「いえ、パンカレ温泉を遠くから見られただけで満足ですから」
「ああ、見るだけならタダだからな」
俺はあっさりと引き返すふりをしたけど、温泉を諦める気はまったくなかった。
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