第74話 選択の正誤

 翌朝は俺もきちんと服を着て、みんなの前に姿を現した。

ひょっとしたらと思ったけれど、シエラたちも服を身につけ文明人に戻る道を選んでいた。

さらば、楽園の日々というわけだ。

裸で森は歩きづらい。


 朝食を済ませてから島の調査をしてみたけど、予想通り川や泉は発見できず、大型の哺乳類も見つけることはできなかった。

そのかわりモンスターもいないと分かったので安心のタネは増えた。

裸でへらへらしていても化け物に捕食されることはないわけだ。

素敵な女の子になら、むしろ食われてしまいたいけどね。

ここで農業を始めるわけではないので水資源はさっさと諦めてしまうことにした。

生活用水は魔法で補えるんだからね。


「シエラ、ちょっと……」


 頃合いを見計らってシエラ一人を丘に誘った。

ごつごつした岩場を高台へと登っていく。


「どうしたのだ、兄上? このような場所に連れてきて」

「悪いけど色っぽい話じゃないんだ。こいつを隠したいから手伝ってもらおうと思ってさ」


 ずっと使っているショルダーバッグから持参した革袋を取り出して見せた。

中にはこの数カ月で稼いだ金貨と魔石がぎっしりと詰まっている。


「なるほど、金か」

「うん、モンテ・クリス島はヤバイ冒険者も多いからね。いつ泥棒に入られるかわからないだろう?」


 シエラは納得して目印になるような大岩を見つけてくれた。

まるで亀が首を伸ばしているような形をしている。

これなら隠し場所を忘れるなんてことはなさそうだ。


 亀のお尻の部分を穿ってもらい、そこに革袋を隠した。

穴は大きめの岩で塞いでおく。

金や魔石は腐食しないからこの程度の隠し方でも問題ないだろう。


「もしも俺が死んだら、これはシエラが有効活用してよ」

「金は有り余っているのだがな……」

「だったらセシリーたちに渡してあげて」


 特に考えての発言じゃなかった。

ただ、世の中何があるかはわからない。

ある日突然に異世界に飛ばされることだってあるのだ。

だから、持ち主のいない金は誰かの役に立てばそれでいいと思っただけだった。

なんと言っても俺は経験者だ。

日本に残してきた俺の財産がどうなったかは知らないけど、きっと親兄弟に渡ったのだろう。

そんな風に俺にとって親しい誰かが使ってくれたら満足だとも思ったのだ。

でも、俺の言葉をシエラは物凄く悲しそうな顔で聞いていた。


「シエラ?」

「託されるほうは辛いのだぞ。みんな私を残して去っていく」


 人とヴァンパイアでは寿命が違う。

俺が死んでもシエラは若く、先の未来を生きていく。

ひょっとすると、シエラはいつも見送る立場の存在だったのかもしれない。

過去に大切な誰かとの別れがあったとしてもおかしくはない。


「ごめん」

「よいのだ。私にとっては受け入れなければならない現実だ」


 会話が途切れて、名も知らぬ鳥の声が周囲にこだました。


「帰ろう、シロー」


 抗いようのない運命は素直に受け入れなければならないのだろう。

俺たちは今を生きるしかない。

促されるままに足を踏み出して、俺は岩から足を踏み外した。

そのまま無様に転がり膝と肘をしたたかに打ち付けてしまった。

慣れない山歩きなんてするもんじゃない。


「シロー!」


 あてててて。


「大丈夫、かなり痛いけど」


 確認すると肘も膝もすりむいて血が滲んでいた。

目の端には涙まで滲んでいる。


「ちょっと早いけど、おやつにどう?」


 照れ隠し半分、後の半分は痛みをこらえるための道化だった。

無理に笑顔を作りながら血の流れる腕をシエラへと差し向けた。

傷口には血だけではなくて泥までついている。

こんなものおやつにだって飲みたくないだろう。

そう思ったんだけど、シエラは躊躇いなく俺の腕を手に取った。

そして、ゆっくりと血の流れを遡るように自分の舌を這わせていく。


「シエラ……汚いよ……」

「……」


 シエラが泣いていた。

泣きながら腕を舐め続けている。


「浅ましいだろう? シローが苦しんでいるのにヴァンパイアの私は喜びにうち震えているんだ」

「そんなことない。そんなことないよ」


 可哀想なシエラ。

砂漠で水を求めるように、ずっとこの血を欲していたのかもしれない。

俺が提供してきたのは魔法で作り出した血液だけだ。

自分の流す血をあげるのは初めてのことだもんね。


「シロー……、私の眷属にならないか? 今なら勇気を持って、お前を噛めると思うんだ」


 シエラの言葉は嬉しかった。

そして彼女の表情は真摯(しんし)だ。

きっと勇気をもって俺を口説いてくれているんだと思う。

すごく嬉しいよ……。

だけど、俺の理性はそれを否定する。


「やっぱりそれは無理だよ。シエラのことは大好きだ。でも、眷属にされたら俺は一生シエラを愛し続けるんだろう? でも、シエラはどう? 俺が死ぬまで俺を愛し続けることができる?」


 シエラは何も答えない。

それが現実を物語っている。

眷属になるというのはフェアな恋愛ではありえない。


「今だけ恋人同士になることはできないの?」

「ヴァンパイアには掟がある……」

「それは絶対のもの?」

「絶対のものだ」


 俺には理解できない原則があるのだろう。


「シローが拒否することはなんとなくわかっていたのだ。だから兄妹という形で満足していた。それなら体の交わりはなくても親密な関係が成り立つから」


 そういう理由もあったんだ。


「眷属じゃないとキスもできないの?」

「そんなことはない。だけど、一度してしまえばもっと欲しくなるから」

「欲しくなったら……その時に考えようよ」


 恋人たちは刹那的に生きる。

互いの手が探りあうように怪しく動き、唇は自らを塞ぐように相手の口を求めた。


 長いキスだったと思う。

口を離したシエラが恨めしそうに囁いた。


「ほら見ろ……もっと欲しくなっているぞ。止まれないかもしれない……」


 そのままシエラはまた唇を重ねてくる。

今度はさらに長いキス。


「シロー……苦しいよ……」

「うん、いま楽にしてあげる」


 俺はシエラのブラウスのボタンに手をかけた。




 最後の一線を越えないまま、俺たちはそれぞれにエクスタシーを得た。

互いが互いのために奉仕して、二人で気持ちよくなることができたと思う。

俺たちは目を合わせないまま身繕いを終えた。

気怠さと愛しさと虚しさが入り混じり、腹の底に重い何かがつかえているような気がしている。

この何かの正体は後悔だ。

それはシエラも同じだったようだ。

その証拠に、シエラはモンテ・クリス島に戻った三日後には置手紙を残して出ていった。


シローへ


 いままでありがとう。いつもいつも見送るのは辛いので、今度は私が去る立場になってみます。こうしてみると去る者も辛かったということがわかるよ。


 シロー、大好きだよ。ずっと一緒にいたかったけど仕方がない、私たちは違う種族なのだから。でも、悲しまないで欲しい。私もシローと同じ気持ちなのだ。シローを愛しただけで支配したいとは思っていなかった。眷属化を拒否したシローの選択は正しいのだよ。強制的に従わせる者に対する愛など欺瞞に過ぎないのだ。


 いつかまた会おう。シローがどうしても困った時、私はいつでもシローの力になる。この星のどこにいてもシローの元へ駆けつける。だから私のことを忘れないで欲しい。君を愛したヴァンパイアがいたことを。ヴァンパイアのくせに光を求めた愚か者がいたことを。


                                シエラ



 空っぽになった部屋にわずかだがシエラの残り香がした。

これもいずれ時間とともに消えていくのだろう。

俺はシエラが使っていた枕に顔をうずめ、声を殺して泣いた。

もっともっと優しくしてあげればよかった。

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