第57話 朝シャン

 あくびを漏らしながら居間へ入っていくと、シエラが姿勢正しく椅子に腰かけていた。


「おはようシロー、爽やかな朝であるぞ」


 ヴァンパイアが爽やかな朝だなんて違和感を覚えてしまう。


「おはよう。シエラは朝日が平気なんだね」

「うん? 私を婆様扱いしないで欲しいな。今どきのヴァンパイアは日光くらい平気だぞ」


 そういえば昨日だって日中に活動していたもんな。


「俺の世界ではヴァンパイアは日光が苦手とされているんだよ」

「それは遮光魔法が開発されておらんからだ」


 今から300年くらい前に一人の天才ヴァンパイアが遮光魔法という画期的な魔法を開発したそうだ。

この魔法は自分の表面を薄い闇魔法のベールで包むことによってヴァンパイアに害をなす光を無害なレベルまで落としてしまうらしい。


「これによりヴァンパイアの活動時間は日中にも広がったのだ。もっとも、爺さん婆さんの中には、ヴァンパイアが昼に生きるのは恥ずべきことだなんてことを言う者も少なくはないがな」


 ヴァンパイアにも世代間ギャップがあるんだねぇ。


「じゃあ、シエラは今もその遮光魔法を使っているの?」

「いや、ずっと自分で魔法を使ってもいいのだが私はこれを使っている」


 そういうと、シエラは右手を差し出して見せてくれた。

手首には銀の蛇が巻き付いている意匠の腕輪がはまっていて、濃い紫をした宝玉がついていた。


「このアイテムを装着していると自動で遮光魔法がかけられた状態になるのだ」

「自動なら便利そうだ」

「最近では極限まで出力を落とした遮光魔法アイテムが流行っていてな。これを使うとヴァンパイアなのに日焼けができるという優れモノだ。私は趣味ではないので使わないが」


 なにそれ、見てみたい! 

ヴァンパイアなのに黒ギャルとかレア過ぎるじゃないか! 

もっとも俺の好みとしてもヴァンパイアは白い方がいいと思うけどな。

黒くて正義なのはエルフさんだと思う。


「ところでシロー、私も水浴びをさせてもらいたいのだが、よいかの?」

「うん。お湯もいる?」

「できれば欲しいのぉ」

「それじゃあ、すぐに用意するからね」

「ああ、火を焚く必要はない。私が魔法で沸かすゆえ鍋だけ用意してくれればいい」


 さすがは魔法が得意なヴァンパイアだ。

こういうところは手間がかからないお客さんなので助かる。

せめてタオルなどのリネン類はこちらで用意してあげることにした。


 イワオを使って大鍋を炉に整えて、水を汲ませた。


「オッケー。いつでもお湯を沸かし……」


 振り返るともうシエラは服を脱いでいた。

木々の隙間から漏れる朝のか細い光の中で華奢な体が青白く輝いている。

小さな胸の膨らみには不躾な視線からその場所を守るように銀の髪がこぼれ落ちていた。

外見は少女のようだから、見てはいけないものを見ているような背徳感を覚えて、俺は赤面してしまった。

なんだろう、この罪の意識は?


「どうした?」


 俺の態度を見てシエラは小首を傾げている。


「何でもない。鍋の中に水を入れておいたから、あとはお願いするね」


 どうしても気恥ずかしくて横を向いて立ち去ろうとした。


「待て」

「なに?」

「シロー……お主、照れているのか?」


 その指摘は当たっているかもしれない。

欲情するというより恥ずかしいのだ。

たぶん、シエラの裸が美し過ぎるせいだと思う。

その証拠にマイサンは無反応だもん。


「ふーん……ふふっ」


 シエラが小さく含み笑いを漏らした。


「なんだよ?」

「お兄様、シエラ、髪の毛にお湯をかけてもらいたいな……。洗うの手伝ってほしいの……」


 お酒が入ってないのにシエラのごっこ遊びがはじまった。


「もう酔いは冷めているんだろう。だったら……」

「状況に酔うてしまったのじゃ。無粋なことは言わずに少し付き合え」


 もう、しょうがないなぁ……。


「お湯をかけるだけだからね」

「うむ。それ以上は望まぬ」


 シエラが沸かしたお湯に、桶の中で少しぬるいくらいになるまで水を足した。

髪を洗うときは刺激を弱くするために低めの温度の方がいいそうだ。


「まずはお湯だけでよく髪を洗おうね」

「はい、お兄様」


 始めると俺もついノリノリになってしまうんだよね。


「ちゃんと洗えたかな? せっかく美しい髪をしているんだからきちんとケアしないとね。次はシャンプーを出すから手のひらをだして」


 差し出された手にツボからシャンプーを出してやった。


「これは何?」

「シャンプーと言って髪の毛を洗うための液体なんだ。手の中でよく泡立ててから髪につけてみて」


 シエラは言われた通り手のひらをこすり合わせている。


「いい匂い……」

「今日は特別にバラの香りのシャンプーだよ。他にもベリーやトロピカルフルーツの香りもあるんだ」


 グラム様はベリー、レインさんはラベンダーの香りがお気に入りだったな……。


「目に入ると沁みるから気をつけるんだよ」

「はい、お兄様」


 香り立つ薔薇に包まれて、俺はシエラのうなじからお尻へとのびる背骨のラインにぼんやりと見とれていた。

これで42歳か……。


「それじゃあ、お湯をかけて泡を洗い流していくよ」


 泡を含んだお湯が排水ルートに流れ、お風呂スライムたちがプルプルと嬉しそうに震えた。

スライムたちもバラの香りが好きらしい。


「うん、どこから見てもピカピカのお嬢様だ」

「ありがとう、お兄様」


 はにかむシエラを見ていると本当に優しい気持ちになってくるから不思議だ。


「頭を拭いてあげるからこっちに来て」

「いいの……かえ?」

「遠慮しないでおいで」

「お兄様!」


 嬉しそうに胸に飛び込んできたシエラを抱きとめて後ろを向かせる。

そしてバスタオルを使って丁寧に水分を吸い取っていった。


「髪の毛が傷まないようにそっと拭かないとね」

「お兄様、くすぐったいです。…………つ!」


 頬を赤らめて甘えていたシエラの表情が突然真顔に戻った。


「シエラ?」

「シロー、誰かが来たぞ。人の気配がする」


 来客だろうか? 

それともジャニスみたいな海賊の残党?


「どこにいるの?」

「もうすぐこちらへ現れる」


 少し緊張したけど、ここにはシエラをはじめワンダーも6号まで揃っているのだ。

恐れるものはなにもない!

……はずだよね?


 木陰から道の方を注視していると一人の女が歩いてきた。

その姿に俺は胸をなでおろす。


「ルイスさん」

「シローさん! お久しぶりです」


 現れたのは国土管理調査院のドラゴンライダーであるルイスちゃんだった。


「うわぁ……話には聞いていましたけどいろいろと立派になっていますね!」


 前にルイスちゃんが来たときは、岩屋しかなかったんだよな。

三人同時の入浴シーンが見たくて大慌てで岩風呂を建設したのはいい思い出だ。

ミラノ隊長、チャラ女のリーアン、そしてルイスちゃんが並んだあの浴場、あれがシローの宿の原点だったんだよなぁ……。

思い返してみるとしょうもない原点だ……。


「どうしたんですか?」


 懐かしさにエロスを漂わせておりました、とは言えない。


「久しぶりに会えたのが懐かしくて、当時のことを思い出してたんだ。ミラノ隊長やリーアンさんはお元気ですか?」

「はい。みんな元気にやっておりますよ。今回の連絡員は私に決まってしまったのでリーアンさんに凄く羨ましがられました」


 リーアンの様子が目に浮かぶようだ。


「ところで、こんな早朝に到着だなんて夜中に出発したの?」

「恥ずかしながら、実は道に迷ってしまいまして小さな岩礁の上で夜を明かしました。明け方になってようやく雲が切れて現在位置が特定できたので飛んできたのです」


 そういえば昨晩は曇っていたな。

GPSなんてないから、星や月の位置で現在地や方角を求めているのだろう。


「それは大変だったね。ご飯は食べた?」

「いえ。ずっとシローさんの料理だけを楽しみに飛んできました」

「たいへんだったね。すぐにご飯の用意をしてあげるからね」


 腕をサスサスしながら慰めてあげたら、ルイスちゃんは真っ赤になって照れてしまった。

この反応が可愛くて優しくて妖艶なオカミさんを演じちゃうんだよね。


「シロー、私の分の朝食も頼むぞ」


 それまでずっと俺とルイスちゃんのやり取りを見ていたシエラに声をかけられた。


「うん。すぐに用意するよ。そうだ、シエラにはちょっとお願いがあるんだ」


 セットしていた血液があと7分で完成するのだ。

出来たら小分けにして冷凍してもらわなくてはならない。

それが終わったらパンを作製しよう。

レベルが上がったおかげで、いまや1個44秒で作製できるから、食パンをトーストするより早いぞ。


「ゴクウ4号、コユキの乳を搾ってきて。3号は卵の確認ね。5号と6号は家畜の餌やりにいって。1,2号は俺と一緒に朝食の準備だ」


 いよいよ一日が動き出した。

ルイスちゃんは帝国からの連絡を持ってきたのだろう。

朝ご飯を食べ終わって落ち着いたら話があるに違いない。

帝国は何と言ってきたか気になるところだ。

グラム様の提言を受け入れて一般開放するのかな? 

それとも新たな調査隊が派遣されるのか。

ドキドキしながらエプロンの紐を結んだ。

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