第32話 二人乗り

 朝風呂というのはどうしてこんなに気持ちがいいのだろう。

森から吹く風はまだ爽やかだし、木漏れ日がキラキラとお湯に反射してとても綺麗だ。

花やハーブを摘みに行っている時間はなかったので、素材作製で作ったエッセンシャルオイルをお湯に入れた。

ラベンダーの香りで朝からリラックスだなぁ……。

なんか、異世界にきてから俺の女子力が上がっている気がするぞ。

これも異世界転移の影響なのか? 

周囲の女の人が地球の男みたいだから、逆に俺が女っぽくなっているのかもしれない。

というよりも、求められている男像を無意識に察知して、それを演じている俺がいるのかも……。

自分の意思だけで行動を決定できるほど強い人間じゃないしね。

人の行動なんて環境に左右されやすいものだろう? 

特に俺は流されやすい性格をしている。


「ゴクウ、プリンが焼きあがったら粗熱をとってから貯蔵庫で冷やしといてね。俺は作業現場をみてくるから」


 新たな命令を出してからお湯の中で思いっきり手足を伸ばした。

地球にいた頃だったらそろそろ出社している時間だ。

最初はどうなることかと思ったけど、転移後の方が充実している気がする。

なんだかわからないけど俺はこの環境に適応し、居心地よく暮らしているのだ。

俺の鼻歌にあわせるように、お風呂スライムも嬉しそうにプルプル揺れていた。


   ♢


 森の小道をロッテ・グラム一行はダンジョンへ向けて歩いていた。

兵士たちも下士官らに率いられて現場へ到着しているころだ。

いよいよ大切な任務が開始されるのだが、ロッテはぼんやりとシロー・サナダのことを考えていた。


(家庭的なのにエロイ……そんな男もいるのだな……)


 それがロッテのシローに対する素直な感想であった。

今朝の朝食も文句なく美味かった。

特にヤギ肉で作ったというソーセージはジューシーだったし、マンゴーを入れたヤギのヨーグルトも美味しかった。

テーブルクロスにはシミ一つなく眩しいくらいだったし、出されたナイフやフォークもキレイに磨かれていた。

もっとも掃除や洗濯を受け持っているのはゴーレムたちなのだがロッテはそこまで気が回っていない。

そしてシローが堀の建設や帆船模型に興味を持っているということがロッテには嬉しかった。

あの男とならうまく話せるかもしれない、そんな期待も湧いてくる。


(あんな男を恋人にできたら……)


 身分が違うので婚姻は無理かもしれないけど、愛人にすることができればどんなに幸せだろうと考えてしまう。

もし、そんなことになったら私は妾宅に入り浸ってしまうだろうな。

キャラベル、ガレー、ガレオン、二人で模型を作って語り合う毎日。

シローの作った料理を堪能し、そして夜は……。

そんな未来を夢想してロッテは密かに笑みを漏らすのだった。


「やはり、ロッテ様もダンジョン攻略が楽しみなようですね?」


 突然副官のレインに話しかけられてロッテは我に返った。


「えっ?」

「ロッテ様が笑みを漏らすなどあまりないこと。やる気が漲っているようで結構なことです」


 このときになって初めてシローとの妄想で表情が緩んでいたことをロッテは自覚した。


「ん……」


 気持ちを切り替えなくてはと自省して、無理やり頭を仕事モードにする。

すると、すぐに忘れ物があることにロッテは気が付いた。

国土管理調査院から届いた上空からの島の見取り図を宿に忘れてきてしまったのだ。


「すまないダイアン。宿に忘れ物をしたようなので取ってくる。先に行って指示を出しておいてくれ」

「それでしたら誰か代わりの者を取りにいかせますが?」

「いや、自分でいく」


 書類は自室にあるし、他人に部屋に入られるのは嫌だった。

なにより書類を入れた鞄には旅の無聊を慰めるための官能小説が数冊入っているのだ。

内容は男に責められるのが好きな女の話で少々アブノーマルでもある。

この世界で女のMはちょっとばかり普通ではないが、ロッテはMっ気の強い女でもあった。


「すぐに戻る。現場の指揮を頼んだぞ」


 後のことをレインに任せて、森の小道をロッテは引き返した。


   ♢


 風呂から出て、冷たい川の水をイワオにかけてもらうと気分がシャキッとした。

開放感を味わいながら素っ裸で岩屋へと歩き出す。

森から吹く風が俺のお股を抜けていく……。

揺れる想いを体中で感じちゃった。


 いい気分に浸りながらプラプラと歩けば、大事なところもプラプラと揺れる。

服を着たら作業現場へ行こうかなどと考えていたら、角を曲がったところでばったりとグラム様に出会ってしまった。


「……」


 咄嗟に言葉が出てこないのはグラム様も俺も同じだった。

そして次の瞬間、同時に同じ言葉を叫んでしまう!


「ごめんなさい!」


 俺が手と太ももを使って大事なところを隠すとグラム様は後ろを向いてくれた。


「し、失礼しました。皆さんお出かけと思って……」

「いや、わ、忘れ物をしてしまって……。失礼する!」


 グラム様は走って行ってしまわれた。

顔を真っ赤にしていたけど、また倒れたりしないよね? 

とにかく急いで服を着てしまおう。


   ♢


 自室に駆け込んだロッテは身悶みもだえるようにベッドへダイブした。

そして書類の入ったカバンには目もくれずに、頭を掻きむしる。

どんなに消そうとしても、今見たばかりのシローの体が鮮やかに脳裏によみがえった。


「どうしよう……このままじゃ、仕事に手がつかない……」


 なんとか気持ちを落ち着かせようと、ロッテはベッドの上でシャツのボタンを少し緩めて、大きく深呼吸をした……。

それから慌てた手つきで下も脱ぐ。

(手早く済ませなくては……)


10分後

 ロッテは気怠い気分のまま、木戸の隙間から射し込む日光に舞うホコリを眺めていた。

今頃は作業が始まっている時刻だが、まだ動き出す気力は湧いてこない。

部下に申し訳ない気持ちはあるのだが、もう少しだけぼんやりとしていたかった。

それでも、元来ロッテは勤勉な性格をしている。

次第に覚醒してくる頭で、今度は怠りないように必要なメモなどもすべて手に持つ。

鏡で髪の乱れをチェックしていると遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。


「グラム様……よろしいでしょうか?」


 シローの訪問に、落ち着いたはずのロッテの心臓が再び早鐘のように打ち鳴らされていた。


「どうぞ……」


 大きく深呼吸してから返事をしたおかげで声は震えていない。

その事実がロッテを少しだけ安心させてくれる。


「先ほどは失礼しました。それから昨日はいろいろな食材を分けて下さってありがとうございました。そのお礼が言いたくて」


 手に小さな箱を持ったシローが室内に入ってきた。


「別に礼など……」


 ロッテはいつものように言葉少なに語る。

これでは会話にならないことはわかっているのだが、どうしようもないのだ。


「それで、お礼にこんなものを作ってみました」


 シローの取り出したものをみてロッテは息を飲んだ。

それは精巧に作られた小さな人形の数々だった。


「これは……私?」

「はい。グラム様の帆船模型に乗せていただけたら嬉しいなって」

「こんなにたくさん?」

「あ、昨晩作ったのはグラム様の分だけです。残りは元々作っておいたから……」


 シローは適当に誤魔化したが、フィギュアに見とれるロッテは特に気に留めなかった。


「実は自分の人形もあるのですが……やっぱり男を乗せるのは拙いですか?」


 ニコニコと笑うシローの笑顔にロッテは吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。


「か、かまわん」

「やったぁ!」


 シローは作りかけの帆船模型の横にミニチュアの人形を並べていった。

サイズも帆船と調和がとれたちょうどいい大きさだった。


「これはなんでできているの?」

「粘土を使っているのです」

「彩色は?」

「顔料です」


 ミニチュア人形はほれぼれとするような出来栄えだ。


「あっ! いけない。お時間を取らせてしまいましたね。ひょっとして急いでいらっしゃるんじゃなかったですか?」


 実はそうだったのだが、ロッテ自身がそのことを失念していた。


「う、うん。そうだった」

「では、シルバーに乗っていきましょう。馬型のゴーレムのことです。私もそろそろ作業現場を見学に行こうと思っていましたから」

「助かる」


 ロッテとシローは揃って表へ出た。


「シルバー1号、おいで!」


 シローが呼ぶと馬型のゴーレムはすぐにやってきた。


「前と後ろ、どちらがよろしいですか?」


 どうやらシローは一緒に乗っていくつもりのようだ。

わずかに迷ったがロッテは前を選んだ。

部下たちに見られてしまうのなら男の後ろには乗れない。

ロッテ個人の趣味としては男にしがみついて乗りたいのだが……。

だが、この男と二人で馬に乗れるのだ、それだったら贅沢は言うまいという気持に切り替える。


 先にロッテが乗り、シローを引き上げてやるとシローは「失礼します」といってロッテの腰に遠慮がちに手を回してきた。

せっかく気持が落ち着いていたのに、またソワソワと挙動不審になってしまう自分が嫌だった。


「出すぞ」


 全精神を傾けて冷静さを保ちながら、ロッテは手綱を軽くしならせた。


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