05

そこには、あの顔があった。

顔とも呼べない、顔中の肉がベリベリと剥がれた様な、あの顔だ。

肩を凄まじい力で押し込まれる。

顔が、間近に迫った。


「うわあああああああああ!」


同時に、バンという音。


後藤は、引き金を引いていた。

考えたのだ。大久保の行動を。後藤が外に某かがいるのではないかと騒ぎ立てた時、奴は意味も無く拳銃を撃たせた。原稿を見つけさせる為なあら、そこまでの演出は不要な筈だ。


考えられる事は一つ。拳銃で、撃たれるのを防ぐため。


視界に弱点があった様に、奴は拳銃が効くかもしれない。


奴はミスを犯したのだ。拳銃は、あと一発だけ、残されていたのだ。

悪魔を射抜く、銀の弾丸が。


奴はグオオオオオオという雄叫びを上げた。


効いたらしい。だが、たかが一発で致命傷になる筈もない。

だが、拳銃は弾切れだ。金庫に取りに行くか?

厭、そんな事をしている間に、また背後に回られる。

今度こそ終わりだ。


考えられる手は一つ。

正面の扉から、脱出する事。


奴が見悶えている今のうちに、一気に外へ出てしまおう。

これからの事は、外に出てから考えるしかない。


後藤は力一杯走り抜けた。

背後ではまた、”音”が鳴り始めていた。


背中をゾワゾワとしたモノが這う。

もうそこまで来てるんだ!


後藤は滑りこむようにしてドアを開き、外へ出た。


そして反転し、体中の力を使って、扉を押した。


ー奴が、出て来ようとしているー


黒いモノが、ドアの隙間から這い出ようとしている。

うおおおと大きな声を出して、力を振り絞る。


絶対に、出させてたまるか…!


カチャという音。ドアが完全に閉まった。

暫くドアノブを握っていたが、もう気配は消えていた。


後藤は胸を撫でおろす。だが、寧ろこれからだ。


この異界から脱出しなければ、先程の決死の攻防戦も水の泡だ。

右肩が、激しく疼く。


外は、冷たい風が吹きつけていた。

静寂が包み込んでいた。


これが、交番前の、道、なのか…?

道というよりも、そこに広がっていたのは、常しえの巨大な闇だった。

いつの間にか、後ろにあった交番も姿を消している。


何なんだ、ここは。


今までは交番前の様相を呈していた通りは消えていた。

全て騙術の為であったからか。最早、そんな小細工は不要となり、奴が消したのか。

厭、そもそも、通りなんてなかったのかもしれない。

何もかもが、正常だと思っていたのだ。


右も左も分からないが、兎に角、前に進んでみるか。

すると、周りの闇が少しだけ解れた。目が慣れてきたのかもしれない。


遠くから、スタスタという音が近付いてくる。

後藤は身構えた。

然し、暗闇の中から現れたのは、背格好の低い男だった。


「まさか、井上さん…?」

1972年の事件以来、交番を引き継いだのは後藤だった。

井上の顔はよく覚えていた。


然し、井上は、直ぐに闇に消えてしまった。


すると背後から、声が聞こえた。


「久しぶりですね、後藤さん」


「お、お前は…村上か!」

だが、後藤が言うのと同時に、闇と同化してしまった。


「ようおっちゃん、こんな所でジョギングかいな。寒いから、そんなカッコしとったら、風邪引いてまうで!」

今度も、また後ろから。


「あ、あなたは…」

この何故か耳馴染みのある関西弁は…


然し、振り返っても、そこには誰もいなかった。


すると、今度は泣き声が聞こえてくる。

小さな女の子が、すすり泣くような、声。

これはまさか…


「おじさん、そこで何してるの…?」

前から、幼い少女が現れ、鼻を啜りながら言った。


「お、お嬢ちゃんこそ、何してるんだい?」


「わあおじさん、お巡りさんなんだね」


「そうだよ」


「でも、あたしお巡りさんの事、きらい」


「それはどうしてだい?」


「だって、あたし待ってたんだよ?いきなり閉じ込められて。何でお巡りさんは、帰って来ないんだろう、って」


「それは…」


「お巡りさんがいつまでも帰って来ないから、あたしは死んじゃったんだ」


「…」


「あとお巡りさん、いちおう言っておくね。逃げようとしてるのかもしれないけど、ここからは、逃げらんないよ、ぜーったいに、ね?」


「な、何を…?」

言い残すと、少女は消えた。


すると突然周りの闇が、モゾモゾと動き始めた。

何だ…?何が始まるんだ…?


後藤は反射的に目を瞑った。


ガチャ、と扉が開くような音。


目をゆっくりと開く。


そこは、紛れも無く、交番の中だった。


背後に、強烈な気配がする。


ーそうか、俺は逃げれなかったんだなー


あの顔が、眼前に佇んでいた。








気付けば後藤は、ペンを持ち、熱心に原稿用紙に文字を書き留めていた。

だが、もう全て書き終えた。



ーこれで、俺の役目は、終わりだー


後藤は、大きく息を吐いた。

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