02
気付けば、後藤は戸棚を漁っていた。ヒントがあるとするなら、ここしかない。背後で大久保が怪訝そうに見ているが、構っていられない。”其れ”が現れる前に、何か手掛かりを捜さないと。
今なら、まだ間に合う。来たら、終わりだ。
大久保の推理なら、交番は異界では無い。即ち、真っ当な記録があるのなら、ここしかない。
「僕も手伝います」
察した大久保がそう言う。
とはいえ、戸棚は変わらずの紙溜まりだ。見渡す限り、乱雑に置かれたプリント、大量のノート、分厚い冊子。アテもなく探していては、来てしまう。今更悠長に、凄惨な”記録”を見聞きしている場合ではない。後藤が探すのは、もっと実質的な記録だ。そう、あの勤務日誌の様な、記録だ。
実質的な記録は、流石に散らばったプリント類には無いと踏んだ。後藤が狙いを定めたのは、大量のノートだ。直感的に、何かがあると確信したのだ。
勤務日誌1964年。例の勤務日誌よりも更に古いものだ。記入者の名前は井上とある。特に妙な点は無い。隣には1965年のものが置かれている。記入者はこちらも井上とある。特に妙な点は無い。
この戸棚は厄介な事に、記録されたものが列を正していない。詰まり、1964年の記録と1965年の記録が隣り合っているだけでも、奇跡なのだ。
とはいえ、これ以上闇雲に探り回る訳にはいかない。焦点を勤務日誌に絞るべきだろう。勤務日誌に怪異が記録されたのは、1972年。これが最初の事象。そういえば、1972年の記録者名は、井上であった…まさか、同一人物だというのか。厭、有り得なくはない。1965年なら、十分に考えられる。
1972年のノートは言われてみれば記録が淡々としていて、手慣れた感覚は見受けられた。惜しむらくは、記録が2月で途絶えてしまった事だが。1972年のノートを見つけたのは、後藤だ。あの場所なら、年代は兎も角、勤務日誌が入っているのではないだろうか。
1988年のノートが、隣に置かれていた。記入者は、村上と谷河と書いてある。奇妙な記述は特にない。1988年のノートの奥をよく見ると、襤褸になったノートがあった。1987年のノート。記入者名は破損が激しく、判読が困難だが、村上という名は見える。だが、もう一方の記入者名は、全くの判読不能だ。ところで、この村上という名、どこかで…同じ警察官なら、そんな事もあってもおかしくないか。
凝っと見比べていると、現在見つかった5冊のノートは、色は違えど、同社のものを使っている事を看取する。そういえば、後藤が”落書き”をしていたあのノートも、同社のものではなかったか。奇しくも、伝統だというのか。
だが、不意に戸棚の冊子の背表紙に目が留まる。1997年と書かれていたからだ。慌てて中身を確認する。これは、勤務日誌で間違いないだろう。となると、伝統はここで途絶えていたのか?それに、この冊子はやけに余白が多い。記入者名は谷澤と岩田になっている。この名前もどこかで…妙な既知感だ。最期のページに目をやる。10月7日で記録は止まっている。
10月7日 交番内にて倒れている少女を発見。死亡が確認された。身元は不明。
これは…淡々と記されたその記録。間違いなく、”少女のノート”だ。妙な時分で記録が止まったのは、その責任を問われ、馘になったから、ではなかろうか…交番内だけは異界では無い、となると、少女の遺体が残されているのにも頷ける。検死の結果、何日も交番内で飢えて、閉じ込められていた事が分かれば、真っ先に疑われるのは、勤務している警察官だ。こんなものは邪推に過ぎないかもしれないが、厭、後藤には何故か自信があった。
全くのノーマークであったが、よく考えれば、カセットテープには1992年と記されていたではないか。
となると、矢張り順番通りだ。始まりが1972年。カセットテープが1992年。少女のノートが1999年。
残すは原稿用紙は、75年から92年の間、か。
「1987年…」
後藤は無意識に呟いていた。熱心に戸棚を探っていた大久保がこちらを見る。
なんでもないとあしらうが、それにしても、1987年とは一体…
頭が何やらモヤモヤとしたものに包まれる。頭の奥底で眠っていた魔物が目醒めようとしている、そんな感覚だ。
ひょっとすると、これが鍵になるかもしれない。
無意識に呟いた、年号。その時、自分は何歳だったんだろうか。今が2020年だから…厭、本当に2020年なのか?だが、あの大久保が言っていたのだから、恐らく間違いでは無いはずだ。従って、自分の年齢から33を引いて…
え…?自分の年齢…?まるで何も浮かばない。
そうか、人や車がいない事に気が付かなかったように、年齢を忘れている事にも気が付かなかったのか。
つまり、自分はこの交番での記憶以外を全て失念している可能性が高い。じゃあ先程から頭が妙な既知感に襲われるのは…記憶が刺激されたから。なら、そこに手掛かりがあるのは、間違いない。
こんなものも、単なる邪推に過ぎない、と首を振りかけ、止めた。
確信に変わったからだ。
1987年のノートの記入者名は、よく見ると後藤となっているのだった。
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