幕間02

「記録、させられていた…」

大久保の推理は突飛ではあるが、根底での筋は通っている。


「確かに、少女のノートは記録しなければという気持ちがあったのは事実だが、その割には助かりたいという気持ちが混在していたもんな」


「そうです。彼女が本当にそこまで吹っ切れていたのなら話は別ですが、もしそうなら、描写にそれが押し出されている筈なんですよ」


「つまり、記録したいというのは本心ではなく、言わば憑かれたように記録させられていた、と」


「原稿用紙の男は、記録させられていたといううよりも、本当にこの時点では余裕があったんだと思います」


「なら、某かにその記録の続きが残されていても、おかしくないな」

続いて大久保は、日誌についても解釈を述べたが、日誌はあくまでも記録する”義務”であり、記録に説明がつく。


「まあ、妄想にすぎませんけどね」

大久保が自嘲気味に笑みを浮かべた。


「そんな事より、後藤さん。僕がこのテープで一番気になったのは、この交番前にある、道路についての描写です。交番前の描写が一致している事は勿論ですが、彼の『っちゅうか、よう考えたら、車道に立ってるのもおかしいやんけ。幾ら夜や言うても、ここは暗なると一台も車が通らんような場所やない』というセリフ、何か感じませんでしたか?」


「ど、どういうことだ…?」


「後藤さん。今日、ここに戻ってくるまで、何をしてたんですか?」


「な、なにをってお前…今日は交番の前の通りで速度違反や、シートベルト着用のチェックをする日だろう…」


「それで、いつもの通り一件も挙がらなかったんですよね。では、こういう質問ならどうでしょう。本当に、車なんていたんですか?」

大久保が妙な事を問う。

後藤は当然のごとく否定で返そうとしたが、ふいに躊躇った。


車…?車なんて、そんな…

頭をこねくり回して記憶の果てを捜しても、何も浮かびやしないのだ。たとえ、違反をしている車が存在しなかったとしても、普通は一台くらい、嫌でも記憶に残るような奇抜な車が通ってもおかしくないのに、だ。


「ほら、何も思い出せないじゃないですか。車は初めから、いなかったんですよ。はっきり言いますが、僕はここに来てから一度も、ここのパトカー以外の車を目にした記憶がありません」

大久保が更に続ける。


「でも、正直認めたくありませんが、僕はその事実に、今気付いたんですよ。後藤さんが平然と、今日も一件も挙がらなかった、という途轍もなく変梃な言葉を、僕は平気で聞いていました」

後藤の顔から血の気が引いていく。


「交通違反なんて、起きる訳なかったんですよ、初めから。それなのに、車が一台も通らない道路で、何時間も後藤さん、厭、僕までもが、変だと思わずに張り込み続けていたんですよ。車のいない道路で、速度違反のチェックをしいていたんですよ」


最も憂懼すべきは、車が一台もいないという事実などではない。その忌むべき事実を、一度も気に留めなかった事、なのだ。


「抑、おかしいと思いませんか?事件が起こらない交番なんて。事件、厭、事故、或いは些細な諍い、訪問者までもがゼロだなんて。世の中というのは、人がいれば、何かが起こるんですよ」


「まさか…!」


「そうです。人さえも、いないんですよ。よく考えてみれば僕は、この交番に来てから、後藤さん以外の人間を見かけたことは、一度もありませんでした。テープでも語られていましたよね?あの訪問者以外の姿を、見ていないと。尤も、その訪問者が普通でないんですから、彼は録音を開始して以来、誰の姿も目撃していない事になりますが」


「そんな…」

後藤はまた脳内を隅々まで引っ繰り返すが、そこには何も存在していなかった。誰の姿も出てこなかったのだ。

頭の奥に、妙な引っかかりを覚えるのに、だ。


「隣家に住む人間どころの騒ぎではありません。我々は、交番に訪ねてくる人物はおろか、交番の前を通る人物さえ、目撃していないんですよ」

後藤は言葉を失った。


「極めつけを言いましょうか。後藤さん、毎日、ここの仕事を終えたら、どこに行かれてるんですか?」


「ど、どこにって…そんなの、家に決まってるだろう…」


「なるほど、家ですか。じゃあ、その家の特徴を教えて頂けますか?」

ウッと後藤は口籠った。いつも自分は交番を出て、家に…

厭、全く記憶がない。黒い闇が滾々と佇んでいるだけだ。


「そんな…俺はじゃあ、一体この何十年間、何処から来てたっていうんだよ…」


「車、人はいない。自分の家も分からない。けれども我々は、今、この瞬間まで、何も思うことなく、平然と職務をしていた。まるで、何かに憑かれたかのように、ね」


「そんな莫迦な…」


「この四項の資料は、最早、他人事ではありません。四項が著す、過去の出来事なんかではなくー」


「現在…」


「ええ。このテープを聞いて、僕は確信変わりましたよ。今、我々がいるこの場所こそが、異界そのものなんだ、ってね」

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