幕間

「恐ろしいにも程があるな」

後藤は、暫く手の震えが止まらなかった。


「ええ。全くです。あの原稿用紙とは桁違いです」


「そうだな。さっきよりも、ここの描写も一致してる」


「ですね。何より臨場感がありましたね」

大久保の言う通りだった。

原稿用紙の話も確かに不気味だったが、怪異のレベルが違う。


「この話、どんな子が書いたんでしょうか」


「文体から、幼い少女のようなイメージは浮かんだ。尤も、本人自身に記憶が無いのでは、突き止めようがないな」

平仮名が散見される故に、幼い子供なのではないかと推測が妥当だろう。

だが、ある程度年が上でも、切羽詰まった状況下では、漢字を使う余裕さえもなかったという見立ても可能だ。


「ですね。この書き手の人、可成り吹っ切れて、死んででもいいから書き残そう、そんな確固たる意志があるのに、自分の情報をわざと書かないというのは、考え難いですよね」


「確かに、意志の強さは大きなものを感じたな。最後の所なんか、自分が死に瀕してるっていうのに、逃げることではなく、書く事だけを考えていたというのは伝わってきたよな」


「掃除用具入れに入ったのは、逃げる為ではなく、少しでも多く書く為でしょうね。最後の乱雑に書き付けたような跡は、追ってきた何かに襲われながら、必死に何かを書き留めようとしたのではないでしょうか」

大久保の指摘通り、ノートには何本も字の出来損ないの様な線が入っていた。これは、必死に何回もノートに書き付けようとしたが、出来なかった。そう捉える事も可能だ。


「一理あるな。もう本人は、諦めていたのかもしれないな。飲料も無く、抵抗したところでどうせ自分は干からびてしまうんだから。そう割り切っていたとも考えられるよな」


「はい。ただ、惜しいのは、最後の方の文章が、どう足掻いても判読不能な事ですね」


「それ程に、焦っていたんだろうな。こうやって比較すると、何だかあの原稿用紙の方は、余裕を感じるな」


「確かに、必要な事だけを描写してますよね、ノートの方は」

原稿用紙はあくまでも小説というスタンスが染みついていたからこそ、そう思えるのかもしれない。


「違いで言うと、怪異の程度にも差があるよな」


「原稿の方は、結局起きたアクションは4つですもんね。フードを被った男が立ち尽くしている。パトロールから帰る時間になると、消える。雨が降っていない為、フードを取った。パトカーの発進中に、爆裂音がした」


「だな。比べてノートは、そもそも前提が異質すぎる。いきなり訳も分からず、気が付いたら閉じ込められていた。然も、あろうことか、交番の中だぞ」


「ええ。ひょっとしたら、我々の勤めている間に起こったのかもしれませんね」


「え?」


「冗談ですよ。大体この書き手は、交番が何日も空になる時期、って明記されてますけど、今時、普通は24時間体制ですからね」


「だな。それを聞いて思い出したが、もうとっくに俺の交代の時間を過ぎてるな」

辺りはもう既に暗くなり、閑散としている。


「まさか、帰るんですか?」

悪戯に大久保が聞いた。


「気になって、眠れやしないよ」


「ですよね。じゃ、そうと決まれば、戸棚の検めを再開するとしますか」


「ああ。文章だけでなく、関連性の高い資料なども欲しいな。結局過去の勤務者についての情報はまだだしな」


二人は我を忘れて戸棚漁りに没頭し、徒に時間を食っていた。

流石に集中力が切れかかってきた頃、


「どうです?そっちは?」


「実は、一つ何だか奇妙なものを見つけたんだ」


「それは…?」


「おいおい、見えないのか?書いてあるじゃないか。勤務日誌1972年、とな」

これは紛れも無く勤務日誌だ。後藤が書いているのは2020年の勤務日誌だが、こちらは何と1972年のものになっている。記入者名は、井上と記されている。




以下の話は、この勤務日誌をそのまま起こしたものである。但し、具体的な名前などはそのまま掲載するのは、幾らなんでも不味いと判断した為、仮名にしてある。この点については、予め了とされたい。

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