第72話 少ない残り時間
ワロウが町に戻るまでそう時間はかからなかった。明るくなっていて進みやすかったというのもあるし、時間的に森狼の活動時間ではなくなり、奴らを警戒する必要がなくなったということもある。
だが、何より大きかったのはワロウ自身の足が速くなっていたということである。
昨日までのワロウだったら、たとえ万全な状態だったとしても朝までに町に戻るのは難しかっただろう。だが、今のワロウは違う。まだ、辺りが薄暗い中、森の中を抜けきってしまったのである。
森を抜けると、朝日を受け始めた町が見えてき始めた。ここまで戻ってきたのだ。昨日の夜、ここを出るときには死を覚悟して出ていった。そして、今戻ってきた。目的のキール花を手に入れて。
一瞬ワロウは安堵して、力が抜けかけた。意識が若干薄れゆくのを何とか踏みとどまらせる。まだ終わったわけではない。薬が間に合わなければ何の意味もないのだ。
ワロウが門に駆けつけると、驚いた表情のジョーとダンが慌てて駆けつけてきた。
「ワロウ..! お前、無茶するなって言っただろう! こんな大ケガ...負って...?」
今のワロウはあちこち防具が穴だらけで、服も何か所も森狼に噛み破られている。しかも、大量に血を流したせいであちこちに大量の血痕が残っている。
一見すると立っているのも不思議なくらいの大けがをしているように見えるのだ。ジョーはそれを見て矢継ぎ早にまくしたてようとしたが、その声は徐々にしぼんでいった。
よく見ると、服はボロボロになってはいるが、その奥の体自体にケガがないことに気づいたようだ。だが、血痕は残っているし、何もないのに防具や服が穴だらけになるのはおかしい。その矛盾にジョーは混乱していた。
「悪い。お前らのポーションを使わせてもらった」
「...やはりそうか。役に立ったようで何よりだ」
ジョーに比べてダンは冷静だった。見た目の割にはケガをしていないことを見てすぐにポーションを使ったと判断できたのだ。本当のことを言うとポーションだけでは足りなかったので回復術を使っていたのだが、そのことはわざわざ話すことでもないだろう。
「使ったポーションは必ず返す。少し時間をくれ」
「気にしなくていい。我々が始末書を一枚書けば済む話だ」
「そういうわけにもいかねえだろう。あれだけでもかなりの値段するはずだ。...いざとなったらボルドーに泣きつけば何とかしてくれる」
「...あまりアイツを困らせるんじゃないぞ?」
ワロウの言葉に呆れたようにダンが返す。確かにあまり負担をかけるのは悪いとワロウも思っているのだが、ボルドーに任せれば大抵のことは何とかなってしまうせいでなかなかやめられないのだ。ワロウの悪い癖である。
「...! そうだ。こんなことを話している場合じゃなかった。悪いが話はまた後で...」
今は何よりもギルドに急がなければならない。話を中断したワロウがギルドに向かって走り出そうとしたその時、ワロウの体がぐらりと揺れた。
「...ッ!! クソ...」
「お、おい! ワロウ! 大丈夫かよ!」
倒れかけたワロウをすんでのところでジョーが支える。
ポーションや回復術によってケガは治すことができたが、流した血は戻ってはこないし疲労だって回復するわけではない。町に着いて少し気が緩んでしまったのだろう。元々限界だったワロウの体はもはや言うことを聞かなかった。
「...頼む! オレを...ギルドまで連れて行ってくれ...!」
「な、何? ギルドまで...でも門番がここを離れるわけには...」
ワロウの頼みに動揺した表情を見せるジョー。それを見たダンは仕方がないと首を振るとさっさと行くように手で示した。
「行ってこい。緊急事態だから仕方がないということにしよう」
「恩に着る...!」
「わかった。ほら、ワロウ。歩けるか?」
「ちょっと待て。その格好でうろついたら町中騒ぎになるぞ。これでも羽織っていけ」
確かにあちこち血だらけの状態で、町の中を歩くのは流石にまずいだろう。ダンが投げてくれた上着を受け取るとワロウはそれを肩から掛ける。よく見ると血だらけなのはすぐにわかってしまうだろうが、ぱっと見はこれで何とかなる。
ジョーが肩を貸すことによって、ワロウは何とか歩けるようになった。そのままゆっくりとだがギルドへと向かう。その途中でジョーが話しかけてくる。
「なあ...こうやってお前を連れて行くのは構わないんだけどよ...」
「...? どうした」
「お前がギルドに行く必要はあるのか? 何かギルドに持っていくだけならオレが代わりに持って行ってやるから休んでおいた方がいいぜ? 」
「...ありがとよ。でも、そういうわけにもいかねえんだ」
確かに今ワロウはキール花を持っていくためにギルドへと向かっている。だが、それだけではない。このキール花を薬にしなければならないのだ。その薬の作り方はギルドの薬師であるケリーですら知らない。
この町ではワロウしか作ることができない。だから、ワロウ自身がギルドに向かう必要がある。正確に言うと...
「そうだ...悪いがギルドの薬部屋まで連れて行ってくれ」
「薬部屋? 薬を作るのか」
「そうだ。...後少し薬を作るのを手伝ってもらうかもしれない。体がこのザマだからな」
「わかった。乗り掛かった船だ。最後まで付き合ってやるよ。...でも細かい作業はあまり期待しないでくれよ?」
(そりゃそうだ...素人に調合の細かい作業は厳しいだろう...でも、オレがどこまで動けるか...)
よくよく考えてみると、今のワロウの状態ではまともに薬を作れるかはかなり怪しい。門番のジョーは手伝ってくれると言ってはくれたが、本格的な調合作業はさすがに無理だと言わざるを得ない。
果たしてこの万全とは程遠いこの体の状態を抱えながらワロウ自身がどこまで調合作業をできるのか...そこに薬が作れるか否かがかかってきている。
正直自信は全くなかった。こうしてジョーに連れて行ってもらっている最中でさえ意識が薄れてくるのだ。細かい調合作業など望むべくもない。だが、やるしかない。ここまでしてキール花を取って来て、最後間に合いませんでしたでは話にならない。
そんなことを考えている間に、ワロウたちはギルドの前まで来ていた。まだ朝のかなり早い時間のため辺りには誰もいない。ギルド自体もまだ開いていない時間である。
そんな中ワロウたちが扉を開けて入ると、誰もいないはずのギルドの中にポツンと一人で受付に座っている少女がいた。サーシャだ。一人で泣きはらしていたようで目が腫れている。その姿に嫌な予感がした。
(...間に合わなかった、のか...?)
呆然と机の上を眺めていたサーシャだったが、ワロウの姿を見ると駆け寄ってきた。
「ワ、ワロウさん! 今までどこ行ってたんですか! 大変なんです! シェリーちゃんが...」
どうやらサーシャはワロウが一回ギルドに来ていたことを知らないようだ。今初めてワロウが来たと思っている彼女は早口で今の状況を説明しようとする。ワロウはそれを手で制すると静かに言葉を紡いだ。
「シェリーが変異種のアイツに噛まれたことは知っている。...今は、どうなってる」
心臓が嫌な音をたてて鼓動する。今のシェリーの状態を聞くのが...怖い。今にもサーシャの口から”もう亡くなりました”という言葉が出てきそうな気がしてくる。
実際は一瞬だったのかもしれないが、ワロウにはサーシャの口から次の言葉が出てくるまでの時間が永遠のように感じた。
「ついさっきまで...ハルト君とダッド君に話しかけてました。でも、もう最後の方は...喋るのもつらくなったみたいで...」
「...それで?」
「今は眠っています。でも、もう...目覚めることは無いだろうって...ギルドマスターが...!」
そこまで話すと、サーシャの目から涙があふれだす。先ほどまでは少し落ち着いていたようだったが、話すことによって思い出してしまったらしい。だが、ワロウはその言葉を聞いて安心していた。シェリーがまだ死んでいないとわかったからだ。
「...そうか」
なんとか口から出てきたのはその一言だった。まだシェリーは死んでいない。薬があればまだ間に合う。しかし、今のワロウの状態で薬が作れるかどうかは怪しい。本当に薬を作ることができるだろうか。
そんな様々な要因が絡み合った複雑な心境からその一言しか発せなかったのだ。だが、それを聞いたサーシャにはあまりにも冷たい言葉に聞こえたらしい。
「そうかって...なんでですか!? なんでそんな一言で済ませられるんですか!? 今までずっと一緒に冒険してきてたんでしょう!? なんで...なんで...!」
そのまま語気も荒く詰め寄ってきたサーシャの頭をワロウは無言で撫でてやった。
「...え?」
いきなり頭をなでられて困惑しているサーシャ。その彼女に向かってワロウは笑いかけた。
「...ありがとよ。アイツらのこと、大事に思ってくれてるんだな」
「今は...そんなこと話してる場合じゃ...」
サーシャの言葉を遮る。
「大丈夫だ」
「...何が、大丈夫なんですか」
そうだ、まだ間に合う。まだ、シェリーは生きているのだから。
「まだ、助かる」
「一体...何を言ってるんですか...? ...変なこと...言わないでくださいよ...」
助けるための必要なものはもうすでに揃っている。後は助けるだけだ。
「“助けてくれ”ってアイツらに頼まれたからな。だから助けてやる。...それだけだ」
「なんで...今更...もう、あきらめてたのに...もう、ダメなんだって思ってたのに...!」
サーシャはワロウの胸に顔をうずめて泣き始めた。そして涙声で小さく叫んだ。
「なんで今更...! 期待させるようなことを言うんですか...!」
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