教室のナラトロジー

城谷望月

教室のナラトロジー

「本当のことを言うと、嫌われるぞ」

 それが今はいない育ての父の口癖だった。僕が九歳の頃一緒に住んでいた、籍を入れていない親父で、肉体労働者だったが博識でこれまでの父親の中でいちばんまともな男だった気がする。


 多分正月三が日も過ぎた日のことだったと思うのだが、よく思い出せない。なぜかその日は母親は家を空けていて(今思えば新しい男のもとへ行っていたのだろう)、僕はまだ出会ってから1ヶ月足らずの新しい父親と居心地悪く下町のアパートの居間(とはいえ1DKの狭いアパートだ)で、正月番組の再放送を見るともなく見ながら、残りの冬休みの宿題に向かっていた。

 その時僕は作文の宿題に取り組んでいた。道徳の課題で、確かテーマは「友達が先生に嘘をついているのを見てしまったら、あなたはどうするか」みたいな下らないがありふれた状況設定だったように記憶している。

 僕は2Bの鉛筆を握りしめながら、下書きすることなく、そしてろくに考えることもなく、本当のことを先生に打ち明けます、なぜならば……みたいなことを汚い字で原稿用紙に書き殴っていたところだった。

 そこで当時の父親が僕に向かって言うともなく独りごちたのが、「本当のことを言うと、嫌われるぞ」だったわけだ。

 その時僕が答えることばとしては2つの可能性があったように思う。

 1つは、「どうしてお父さんはそう思うの? どうして本当のことを言ってはいけないの?」といった子どもらしい質問だ。そう問えば父親と子どもの社会や人間に関するディスカッションの始まり始まり。いかにも対話を重視する現代の教育現場のような空間のできあがりというわけである。

 しかし僕はそこまで素直な継子ではなかった。どうして宿題を手伝ってくれないのか、どうしてお母さんは今日ここにいないのか、といういらだちも相まって、もう1つの返答を継父に返すことになる。

「んなこと僕だって分かってるよ。でも先生がこの作文を見るんだからそんなこと書けないに決まってるだろ」

 昨今ニュースで報道される非人格的な継父ならばここで僕を殴ったり蹴飛ばしたり寒空の下へ放り出したりしたはずだろう。しかしこの継父はよくできた人物で(どうしてこの年の秋、母はこの男と離縁したのだろう?)、僕のそんな言葉を鼻で笑った。

「お前は香奈と違って、優等生なんだな」

 誰かが自分の母を下の名前で呼ぶことに慣れていなかった僕は、継父を無視した。

「でもよ、友達が先生に嘘ついたのをチクっちまうと、その後の友達関係が面倒だってことくらい、先生も大人だからわかってるだろ? なんでこんな課題を出すんだろうねえ」

 高みの見物、といった具合に継父は僕のプリントを膝立ちで見下ろした。興味津々だ。大人から見れば僕たち小学3年生が取り組んでいる宿題なんて、寝ててもできるのだろう。

「じゃあ、こ……浩一さんならどう書くんだよ」

 実は僕はこの継父のことを一度も「お父さん」と呼べないまま、一生お別れすることとなるのだが、この頃はその重みなんてものには気づきもしていなかった。ただ母が呼ぶように「浩一さん」と呼んでいたのだ。

「こんな風に人を秘密警察みたいにして試す大人なんて信用できません……って俺なら書くね」

「えー。『本当のことを言うと、嫌われるぞ』って言葉が本当なら、そんな作文を書いたら今度は先生に嫌われちゃうよ」

「お、いいことに気づいたなぁ。そうだ」

 そこで父親は大げさに身振りを交えながらさながらカリスマ講師のごとくしゃべり始めた。

「この宿題の肝は、友達をとって教師を捨てるか、教師をとって友達を捨てるか――あなたはどっちを取りますか? っていうところにあるんだよ」

「うーん……」

 釈然とせず、僕は考え込んだ。そりゃあ、本心としてはどっちも捨てたくない。友達は一生ものだって言う。先生は僕の成績を付ける立場だしそれより何かあった時に力になってくれる。特に去年の担任の佐伯先生は僕の複雑な家庭環境をそれとなくフォローしてくれた。どっちも大切だ。

「お前は本当に、香奈に似てねえなあ」

 父親はニカッと幾本か抜けた歯を出して笑い、僕の頭をくしゃくしゃに撫でた。お母さんに似ていないっていうのは、あまり嬉しくない言葉だったけれど。きっと、僕の母はそういうときにどちらも捨ててしまう。そう言いたかったのかもしれない。

「学校の教室の中では、それが全てだもんな」

「……」

 なんだか、子どもの世界の狭さをあざ笑われた気がする。

「怒りなさんなって。教室っていうのは、意外と繊細な人間関係で成立してる。教室では言って良いことと悪いことがハッキリと分かれている。お前たち子どもさんはそのルールに則って言葉を使っているんだ。でもそれが時に窮屈に感じることがお前さんの人生にはこれから出てくる。早かれ遅かれ、な。そういうときは、『これは教室の言語ルールに過ぎないんだ』って思え。教室の外にはもっともっと広い世界がある。こんなちっぽけな原稿用紙よりももっともっと広い大海が開けている」

 父親の目はいつになく真剣だった。僕を本当の息子として、生きる術を伝えようとしている目だった。

「そういう思いさえ持っていれば、どんな場所でもどんな時代でも生きていける。……俺みたいにな」

 ふざけたように親父は鉛筆で自分自身の顎を指した。

「……何だよ、それ。ダサ」

 半ば照れ隠しでそう呟くと、僕は宿題を全てランドセルに突っ込んでしまった。でも父親の言葉だけは頭の中で何度もリフレインを続けていた。



 あれから二十年が経つ。中学に入ってから2年ほど、変わり者の僕は卑劣なハブりに遭った。本当のことを言って、嫌われたのだ。だけれどその時いつも僕のそばにいたのは父親の言葉だった。孤軍奮闘の中、言葉だけが僕を支えていた。これは教室内の言語ルールに過ぎないから、と。そんな毅然とした態度が影響したのかどうかは分からないが、3年に上がるころには次第に卑劣なハブりの嵐も止んでいった。僕は戦いきったのだ。


 あの頃の父親(浩一さん)は翌年肺炎であっけなくこの世を去った。その後父親は何度か変わったものの、浩一さん以降「父親」と呼びたくなるような男は決して表れなかった。母親も去年の暮れに心不全で亡くなり、僕は完全に一人になった。だけど不思議と孤独ではない。

 今僕は小学校の教師をしている。湿っぽいルールに縛られた教室の壁や窓を開け放つつもりで。

 父親の職種とはまるっきり違うけれど、なかなか悪くない仕事だ。

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教室のナラトロジー 城谷望月 @468mochi

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