リスの親ゾウの子供

『あなたは失敗したわけではありません。全能の力を持った子供が必要とするだけの愛情を注ぐことは、同じく全知全能の存在以外には不可能なのですから』


【東京都 秋葉原神田明神】


二礼二拍一礼。

相火は、拝殿の前で深く頭を下げた。

大きな神社だった。境内には雑多な建物。高所に設けられたここから一歩外に出れば、東京の各所が見て取れるだろう。人口密度の高い市街地の真っただ中に、ここはあるのだった。

やるべきことをやり終えた相火は、拝殿より下がり次の参拝客に場所を譲る。

彼は、周囲を見回した。

学生時代によく訪れた場所である。大学からそこそこ近く、利便性が高く、暇をつぶせもする。

もっとも、相火がここを訪れたのはそれが目的ではない。本来の利用方法。すなわち神に祈るために、やってきたのだった。

参拝客の様子を眺めながら、呟く。

「僕はしくじったのかな……」

『一般にはそうとらえられるかもしれません。しかし子育てはそもそも難しいものです。人類史上最も強大な子供を育てる、というのであればなおさらに』

答えたのは、ポケットの中に突っ込んだままのスマートフォンだった。いや。正確にはその向こう、遥か神戸の地に設置された高度知能機械が通信回線経由で返答したのである。

知能機械の名を、九曜といった。

『子供には無制限の愛情が与えられなければなりません。九頭竜ナインヘッドの子供たちもそうなるはずでした。それが破綻したのは、必要な愛情の量が想定をはるかに上回ったからです。子供が必要とする愛情は、その力の大きさに比例します。リスはどうあがいてもゾウの子供を育てることはできません。ましてや全能の力を備えた子供です。それを育てる事など不可能です。人類の誰にもできないでしょう。

相火さん。あなたは確かに、"いずも"の必要とするだけの愛情を与えられませんでした。しかしそれはあなたが無限の力をもっていなかったから。全知全能の存在に必要なだけの愛情を注ぐことができるのは、同じく全知全能の存在だけです』

「辛辣だ」

『事実です。野生動物も、十分に大きくなった子供は突き放します。いずもは想定よりずっと早く成長してしまった。突き放すべき時期が来ていたのです。

幸い、成熟した九頭竜に愛情を注ぐことのできる存在が予定より早く現れました。それは相火さんが注いできたものとは異なるでしょう。けれど、いずもが必要としているものを与えることができるはずです。もちろん彼女も、いずもからの愛情を必要とするでしょう。これからはお互いが支え合う。そんな関係を作り上げるはずです』

相火は、東京湾の方に目を向けた。ここからでは直接は見えないが、ずっと向こうには硫黄島がある。そこでは今頃、イタリアより招聘されたひとりの子供が到着しているはずだ。地球で二人目の、成熟した第五世代。"テュポン"の子供が。

その子ならば、閉じこもったいずもを外へ連れ出してくれるに違いない。

そうなることを祈願するために、相火はここを訪れていたのだった。

「ほんとなら氷川神社にお参りするべきだったかな。知性強化動物の氏神様と言えばあっちだ」

『どうでしょう。私には何とも言えませんが、こういうのは気持ちが大切なのではないかと』

九曜の物言いに相火は苦笑。職場から近いからここに参拝したが、今でも知性強化動物のための神事は埼玉の武蔵一宮氷川神社で行う。あちらの方が防衛医科大学校にも近い。元々知性強化動物研究の総本山はあちらだ。相火が東京で働いているのは、その規模が今の戦争の開戦に伴って拡張されたからだ。埼玉とそして神格研究のメッカ大阪以外にも、今は日本各地で様々な研究が行われている。

「ま、気休めだからね」

『はい。気休めになったのであればよかったと思います。

さ。相火さん。そろそろ戻らないと、時間に間に合わないのでは』

「そうだった。さっさと帰るとするよ」

やるべきことを思い出した相火は、神社を後にした。




―――西暦二〇六五年二月。ふたりの第五世代型神格が邂逅した日、樹海大戦終結の二年前の出来事。

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