しわの上での死闘
「突破するよ!」
【
静かだった。
木々のざわめき。小鳥のさえずり。流れる水の音。いずれも耳の中をすり抜けていく。音に包まれた無音だった。
遥か前方を横切っていくのは二本の脚と前後に伸びた腕、上面に火器とセンサーを搭載した歩兵ロボット。ごく単純なルーチンに従うそいつの戦闘力は神格に遠く及ばないが、もちろん発見されたり、あるいは先手を打って破壊したとしても厄介なことになった。即座に発見の報が神々の軍勢に伝わるだろう。
―――もう見つかりますね。
―――うん。時間の問題だね。
出力を最小に絞った脳内無線機で通話する
敵はこちらの戦力をある程度把握しているから、神格も相当数投入してくると見て間違いない。
―――あいつ、こっちに来ますよ。
―――まずいな。どうする?潰すか?
―――よし。ぎりぎりまで引きつけたら壊そう。そうしたら尾根を盾にしつつ巨神を出す。はやしもと私は前衛。アデレードは援護を。
―――分かりました。
―――無茶はしなくていいからね。あなたの巨神より私たちの方が頑丈にできてるから。
―――はい。
―――うちのチームのデータリンク鍵を渡しておく。
麗華は、一瞬息が詰まった。神格用のデータリンクは人類製神格も神々のものと基本的には同じ規格のものを用いている。初期に人類側神格が訓練を施す事を想定していた名残だが、最新の人類製神格も眷属と、理論上はリンクが可能だった。とは言えそれを部外者である麗華に開放するとは。
―――ありがとう。信頼してくれて。
―――どういたしまして。隙を見て海まで飛ぶよ。敵を引き連れてたら潜水艦と合流なんてできないかもしれないから、そこから先の移動は出たとこ任せで。
―――了解、です。
大陸を南北に縦断するこの山脈地帯は大地にできた巨大なしわだ。ビルディングの巨大さを備えた巨神ですら覆い隠すほどの奥深い地形は、巨大な迷宮であると同時に天然の塹壕ともなりうる。活用しない手はない。
神格は万能兵器だ。優れた航空兵器であり、水中兵器でもあり、そして陸戦兵器でもある。その巨大さは容易に地形を踏み越える事ができ、姿勢を変えることで身を隠すことも出来た。
今、その性能が試される時が来ようとしていた。歩兵ロボットが登ってくる。それは獣道に沿って移動しているだけなのか、あるいはこちらに不審を覚えてのことかは分からない。一つだけ確かなのは、どちらにせよいずれ見つかるという事実だけ。
きっかり三秒後。歩兵ロボットが十分に近づいた瞬間、それは火を噴いた。
◇
朝靄を押しのけるように、暗灰色の霧が渦巻いた。それはたちまちのうちに密度を増し、巨大になり、輪郭がはっきりとし、そして山肌を踏みしめた。五十メートル。それ自体が小高い丘にも匹敵する巨体が実体化するや否や、斜面へ足を踏み込んで自らを支えたのである。蝙蝠の頭部と軽装の甲冑、そして翼。左手に盾を構えた彼女に続き、立て続けに四つの霧が渦巻く。
銀。虹。黄金。そして、赤。姿も出身地も様々な神像が山間にその巨体を晒し、陽光を反射している光景はまるで神話の一場面を切り取った絵画であるかのよう。
されどこれは神話ではない。現実だった。
実体化を果たした彼らは、動き出した。
◇
巨大であるということは、それだけで索敵能力の向上に貢献する。人間サイズの肉体では見通せない、木々に覆われた山肌。その向こう側すらも、五十メートルの巨体で踏み越えればいともたやすく視認することができるし、自分の現在位置を把握するのも容易だ。
今。木々の足元、大地の表面を疾走する広大な津波の姿があった。
ただの津波ではない。自らの意志で動いているかのように谷間の斜面を進む異様な津波の色は、黄金。
樹海の枝葉を隠れ蓑にした彼は、速度を維持したまま尾根より顔を出す。
―――いた。
雄大な光景であった。
探し物。谷間を無音で警戒中の眷属群の一隊がそこにいた。木々を背景として、ビルディングほどもある巨体が何体も前進しているのだ。そやつらだけではなかろう。複数のルートで渓谷を遡上しているのは挙動からも明らかだ。いや。通信量が明らかに増加している。先の歩兵ロボットが原因だろう。攻撃態勢に入っていると見ていい。
このままではまともに敵と激突することになる。彼我の性能差を鑑みれば負けるとは限らないが、絶対とは言えない。
一瞬だけ思案し、そして結論を出す。リーダーならばこちらの意図を正しく読み取るだろう。敵勢との衝突を回避するのは不可能だ、との。
敵の警戒を逃れた巨体は、谷間の眷属群、その最後尾へと回り込んだ。最後の瞬間まで地面を這い、木々の枝葉の下に隠れたままで。樹木の上を浮遊する敵が振り返る。足元に目をやる。遅い。手遅れだ。対処するには。
強烈な攻撃が、包み込むように眷属を貫いた。
砕け散った巨神を無視して変形。跳躍。上半身を捩じってこちらに振り向きつつある二柱目が目にした姿は、躍動感たっぷりに跳躍する猿神であったはずだ。
振り上げた両腕の間に生成した火球を振り下ろす。
頭部にまともに一撃を食らった敵神の上半身は溶融。残った下半身も、一拍置いて砕け散る。
脆い。このような奇襲を許す事自体が、眷属と人類製第三世代型神格の根本的な性能差だった。
素早く二柱の眷属を始末した呂布は即座に平面化。黄金の湖と化し、三柱目の攻撃を搔い潜って疾走。空振りに終わった電撃が地形を吹き飛ばすのを尻目に、素早く山向こうへと姿を隠す。
戦闘開始だった。
◇
「おおおおおおおおおおおおおお!」
巨大な熱量が膨れ上がった。
それはたちまちのうちに一方向に束ねられ、運動エネルギーへと転じる。間髪入れずに、六百トンの槍が投射された。
音速の二十四倍で飛翔する槍の威力は熱核兵器を軽く凌駕する。衝撃波をまき散らしながら直進したそれは、狙い違わずに目標。迂闊にも谷間から顔を出した眷属の胸板を貫通、破壊する。
一拍遅れて強烈な衝撃波が谷間を襲い、そして木々をなぎ倒していった。
敵を撃破したミカエルは、しかし勝ち誇りはしなかった。即座に稜線の下へと頭をひっこめたのである。
直後。
頭上を強烈なレーザーが薙ぎ払っていった。巨神のセンサーを通じて強烈なオゾンの発生が伝わってくる。まともに食らえば手痛いダメージを被っていただろう。
敵の反撃だった。
ミカエルは考える。性能はこちらが上だが敵は数が多い。手数でこちらを押し切れるのだ。通信状態も悪化。すぐ先に進出したはずの
このままではジリ貧だ。故に。
「突破するよ!」
渓谷の先へと踏み込む。盾を構える。右手は無手。この狭さでは長い得物は邪魔でしかない。急速に景色が流れていく。仲間たちも続いてくるのがデータリンクで分かる。音響センサーに反応。速度を維持したまま突っ込む。
左右から飛び出した二柱の敵神。その片方、全身鎧で身を守り、剣で武装した眷属へとミカエル操る"ドラクル"は、自らぶつかっていった。もう一柱に"
わずかな時間も、相手は耐えられなかった。粉々に砕け散る。
隣で手間取っているはやしもを手助けするべく、ミカエルは盾ごと向き直ろうとして。
「―――!?」
後方より、爆音。地形を丸ごと吹き飛ばして突っ込んできた土色の巨体が、最後尾にいた"ブリュンヒルデ"に激突したのだ。両者はそのまま反対側の山筋を突っ切って姿を消した。
咄嗟に助けようとした"
「麗華―――!!」
ミカエルの叫びは、空しく谷間に吸い込まれていった。
―――西暦二〇六四年四月末。新たな人類側神格が人類の勢力圏に到達する前日の出来事。
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