パンドラの箱の中身

「いいですね。旅行。無事に帰れたら、行ってみたいです」


樹海の惑星グ=ラス南半球東大陸内陸部 鉱山鉄道架線跡】


雄大な光景だった。

国連軍一行が進んでいるのは古代の高山鉄道の跡地。誰も行き交うことのなくなった大地を、神格たちは行く。

切り立った崖。緑の草地に覆われた斜面。硝子の葉を持つ植物と、緑の葉を備えた地球の植物の入り混じったような光景。飛び交う鳥や岩の隙間に隠れる小さな蜥蜴。それらすべてが、ここは地球から移植された生態系の浸食によって作り出された世界であることを物語っている。

「今の戦争が始まる前までは、山向こうでは自然環境の回復事業が行われていたはずです」

「なるほどね。それが今じゃ管理を離れて、勝手に拡大してるってわけだ」

麗華ブリュンヒルデの言にミカエルは頷いた。この数十年でかなり様相を変えたのだろう。このあたり一帯の生態系は。外来種が滅亡しつつある在来種を駆逐する最中にあるのだ。この惑星由来の樹木が消え去った時、ここが地球ではないことを証明するものは何一つなくなるだろう。

石造りの陸橋を渡って渓谷を抜け、崩落したトンネルを避けて建設時の通路を通り、駅舎の跡地で食事の準備を始める。神格によって強化された肉体を持つ彼ら彼女らの健脚は、常人ならば何週間もかかるであろう山越えを数日で終える事を可能とする。麗華の負傷も完治しつつある今ではなおさらのことだ。

「衛星が抑えられててありがたいわ。上から見つかる危険はほぼないんですもの」

アデレードが言った。かつて空を覆い尽くしていた神々の機械は残骸へと姿を変え、現在そこを支配しているのは国連軍の宇宙艦隊。一行は宇宙から、味方に見守られているのだ。

ほんの数日前までは絶望的だった麗華のサバイバル行はもはや安心感すら覚えるものに変貌しつつあった。もちろんまだ、安全圏まで脱出できたわけではないにせよ。

昼食はレーションである。さすがに調理に取り掛かったりはしない。こういうものも昔より改良されているらしいが、結局のところ見た目は前世紀とそれほど変わらないようだ。まあ軍事用だから仕方がないが。

細長いダム湖に沿って設けられた路線の駅舎から見渡せる風景は、優美だった。碧く澄んだ湖の清冽さと相まって。

皆がその光景に目を奪われていた。

「しっかしもったいねえなあ。これだけの設備、再建すればすぐに鉄道を走らせられるだろうに。神々は地べたをはい回る交通手段は好きじゃないのかね」

「どうでしょう。この辺りは豊富な水量に頼った水力発電で列車を動かしてたみたいですけど」

「ほう。ゼメリング鉄道だったかな。アルプス越えをする鉄道も同じ方法を使ってたと思うんだが」

「乗ったことがあるんですか?」

「残念ながらまだだ。ま、そのうち機会があったら観光に行きたいんだがなあ」

「いいですね。旅行」

呂布ルゥブゥの言に麗華は微笑んだ。観光旅行と言う概念自体、思い出したのはずいぶんと久しぶりのことだったからだ。

無事に地球に帰ることができれば、旅行も自由に行けるようになるのだろう。たぶん。

それを想えば、この旅が早く終わって欲しくもあったし、終わらないでほしくもあった。このひとびととの別れを惜しみつつあったのだ。

だが、何事にも終わりはやってくる。この山越えを終えれば、海まで徒歩でも二日とかからない。

食事をしながら、麗華は感慨にふけった。


  ◇


一行が雑談を終え、食事を済ませた時のことだった。異音を捉えたのは。

いち早く気が付いたのはアデレード。

「隠れて!」

皆が荷物を引っ張り、駅舎の石壁や物陰などに身を隠す。

そんな彼らとほぼ同じ高度。高所に設けられた長いダム湖の上を、ゆっくりと飛んでいく機械の姿があった。

翼をもち、真っ黒で、尾部にプロペラを備え、先端にはカメラやセンサー類。低速で飛行することを考慮した構造だろうか。

偵察用のドローンだった。

電気駆動のそいつは、線路沿いに広がる谷間のダム湖を抜け、更にその向こう。一行の目的地側へと抜けて飛び去った。

「……ふう。生きた心地がしなかった。見つかったかな?」

「わかりま、せん。反応はして、いませんでしたが」

ミカエルの言葉にはやしもが答える。リュックを頭に乗せて地面のくぼみに隠れる彼女の姿は微笑ましいが、状況はのんびりしていることを許してはくれない。敵の捜索はこのあたりにまで及んでいるのが分かったのだから。

「こりゃうかうかしてられないね。急いで進もう」

その言葉に反対する者はいなかった。一行は。緊張感をもって行程を再開した。




―――西暦二〇六四年四月末。東大陸にて小規模な戦闘が確認される直前。古城が陥落した日の出来事。

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