殺し文句

「さようなら、デメテルさん。大好きでした。死んじゃえ」


樹海の惑星グ=ラス南半球東大陸 古城】


夕日が窓から差し込んでいた。

それを浴びながら、デメテルは外を見つめる。

ここは城塞に幾つかある塔の頂上にある一室。デメテルに与えられた部屋だった。遠い昔には貴人が閉じ込められるのに用いられたとかなんとか。その意味では今も用途は変わっていない。デメテルにとってここは、牢獄も同然だった。

色々なことがあった。遺伝子戦争以前には数多くの試験に駆り出され、ブリュンヒルデやヘカテーと共に地球侵攻の準備に従事した。戦後にはここを拠点として惑星を飛び回った。神々の代行者として、人類を支配するために超越者を演じた。多くの人間を殺すよう強制された。今の戦争が始まってからは、滅多に戻ることはなかったが。

ここから見える城壁に、過去を思い出す。神王の一柱とあそこの上で会話したのだ。デメテルが車椅子を押した相手の名は大神ミン=ア。彼女との会話は半世紀たった今でもはっきりと覚えている。独善的で、それでいて(だからこそ、かもしれない)カリスマ性があった。いまだにあれを超える神と出会ったことがない。地球侵攻などと言う大事業を牽引していくにはなるほど。あれほどの人物が必要ではあるだろう。正気であれば、何百億人のヒトを殺すことを素敵なこと、などと言い放ちはしない。その狂気で、種族全体を染め上げたのもミン=アだ。デメテルの境遇に対して、いずれ心穏やかに暮らすことができるようになる。と言ったのも。元の自我を保ちながらも神々の操り人形とされてしまった少女に対して、大神はそれを言ったのだ。遺伝子戦争のときに死んだと思っていたが、数年前に小耳に挟んだ限りではまだ生きているらしい。捕虜として地球で囚われの身となっているのだと。永遠に獄に繋いでおいてもらいたいところだ。またあの怪物が出てきて口を開けば、頭がおかしくなってしまうに違いない。

だが。今デメテルが麗華と共にいるのも、ミン=アが下した命令。デメテルとブリュンヒルデを共に行動させよ、との勅命がいまだに生きているおかげだった。

正直、驚くべきことではあった。戦況がこれほど悪化していてもなお、守られるとは。まあこれまでの実績のおかげもあるのだろうが。デメテルとブリュンヒルデは驚異的な戦闘能力をこれまで発揮してきた。何柱もの第四世代を倒してきた。そのためだろう。

だが、眷属二人では何も変えられない。何しろ人類は、いくらでも新型の知性強化動物を生産できるのだから。新型が一体姿を表せば、一年後には百体並んでいる。そういうものだ。どうにもならない。恐らくあと五年と経たず、神々は敗北するだろう。神々は滅亡するだろう。それが即座に皆殺しにされる。と言う意味ではないにしろ、千年先。二千年先には間違いなく文明を衰亡させているはずだ。

正直、どうでもよかった。それまで生きていられる可能性は限りなく低かったから。

「……畜生」

麗華は後送され、される。思考制御が再調整されるのだ。もし、今記憶が回復しても逃れる術はない。彼女には治療の一環と称して神格の機能の一部をロックする処置が取られた。もう麗華は、巨神を呼べない。何も知らないまま、処刑台に昇るのが一番幸せな結末なのだ。

全てを叩き壊したいという衝動がこみ上げようとしたところで霧散する。脳に焼き込まれた禁則のせいだ。これによって何もできない。誰かに助けを求めることすら。

もう一度、窓の外を見る。すぐ近くまで国連軍は迫っているはずだが、今日明日中にここが陥落することはないだろう。彼らが無理をする理由もない。宇宙からの補給路が絶たれた神々は、放っておいても干上がるのだから。今は地上に残る備蓄及び拠点の生産力でやりくりしているとはいえ。

それでも。

デメテルの縋ることのできるものは、もはや敵の攻勢しかなかった。

デメテルは神に祈った。ただ、純粋に。友人が救われますようにと。


  ◇


夜更け。

着替えもせずにベッドに横になっていたデメテルは、ノックの音で目を覚ました。どうやらうつらうつらしていたらしい。無理もない。あれほどの大冒険をやってのけたばかりなのだから。

起き上がった彼女は、ざっと身の回りを整えると扉を開けた。

そこに立っていたのは、麗華。俯いており、顔は見えない。

「どうした、ヒルデ」

「デメテルさん……ちょっとお話したくて」

答えた麗華の声は、幾分硬かった。

「ああ、構わない。さ、入って」

デメテルはベッドに麗華を座らせると、自らもその横に腰かける。

「前はよくこうやって二人で夜遅くまで語り明かしていたもんだ」

「そうなんですか……」

「眠れないのか?」

「はい……

ちょっと、聞きたいことがあって」

「聞きたい事?」

「はい。

デメテルさんは、初めて殺した相手の事、覚えていますか……?」

麗華の問いに、デメテルは難しそうな顔をした。

「……そうだな。もう何十年も前、戦の時に敵を殺した」

「……そう、なんだ」

「なんだ、急に」

「……その前に、一人殺しましたよね」

「うん?」

そして、黒髪の少女は、金髪の眷属へ、核心的な問いを投げかけた。

「女の子を殺して、その肉体を奪ったんですよね。

"デメテルさん"。ドナの体を乗っ取ったんでしょう、あなたは?」

「!?」

「これ。あの街で見つけたんです」

「……これは」

それは、ノートだった。

―――いったい、どこにこんなものを。

それで、デメテルは気が付いた。麗華は最初からデメテルのことなど信じていなかったのだ。あの街を出て以降、麗華の傍にはずっとデメテルがいた。麗華がこのノートを読む機会はなかった。何しろ重傷を負った麗華は数日もの間昏倒しており、それ以降も常にデメテルに背負われて移動していたのだから。デメテルの隙をついて中身を調べる暇などなかったろう。この城にたどり着いた時点でようやく、読む機会が訪れたのだろう。

「最初はよく意味が分からなかったんです。"向かいの家の子が神々に連れていかれた"とか、"神々の眷属にされる"とか。こっちの世界での『天に召される』的表現かな、って最初は思ったんですけど、よく考えたらこの世界には"神々"が実在しますもんね。

けどこのページ。十二年前のこの日の所を読んで、疑問は氷解しました」

そこには、こうあった。

"昼頃、皆がラジオを聞きに集まっていた。流れていたのはいつもの海賊放送じゃなかった。

門が開いた。あちらの世界からが、私たちを助けに来た。彼らからのメッセージが流れていた!!信じられない、この世界に救いが来たんだ、私たちは見捨てられていなかったんだ!!

神々によってこちらの世界へ連れ去られてきて、もう35年あまり。とっくの昔に諦めていたのに!!"

「"敵"は、敵じゃなかった。人間だった。私たちが戦っていたのは、地球の人類が作り出した知性強化動物。それを肉体とした人類製神格でした。彼らに人間が連れ去れた?違います。救出されただけです。馬鹿みたいですよね、私。ありすがあの猫―――"チェシャ猫"級に食い殺されたって勘違いして。実際は、取り残されていたありすを保護してくれただけなのに。あの"斉天大聖"級のひとたちにも悪い事をしました。ひとでいいのかよくわかりませんけど。

この世界の神々は、そう名乗っているだけの異世界人です。滅びかけた惑星の生態系そのものと、何より種として老いた自らを救うため、彼らは百年かけて準備し、そして四十八年前、地球へ侵攻した。まだ若くて荒々しい遺伝子資源の数々と、そして代用の肉体や兵器の素材として有用な知的生命体―――まとまった数の人間を手に入れるために。

私やドナは、侵攻の前段階、地球を偵察していた神々によって連れ去られ、破壊兵器に改造されたんです。

全部、思い出しました」

「……」

「ドナと私は友達でした。一緒に星を見に行って、そして出くわした神々に連れ去られた。オーストラリアにホームステイしているとき。西暦二〇一〇年だったかな。ホームステイ先のお家に住んでいたのが、今あなたの肉体になってる女の子です。ご存知だと思いますけど。

何しろあなたはドナの記憶を持ってるんだから」

「ヒルデ……」

「違います。私は蛭田麗華です。あなたの大好きな"ブリュンヒルデ"じゃあない。私の肉体に寄生して乗っ取った、あのクソッたれな神格じゃないんです。

あいつは私の脳みそを使って思考してたんですよ?最悪ですよね。でも、おかげで、あの島で脳を負傷した私は自我と肉体を取り戻した。あいつの支配から逃れたんです。

でも、あなたに騙されてのこのこと、こんなところまで連れてこられてきちゃった。もうおしまいですね。巨神がロックされちゃいました。あれなしじゃ、逃げられない。なんでこんなに間が悪いんでしょうね、私」

「ヒルデ……!」

「私は麗華だ!その名で呼ぶな、この!!」

「……!」

「私がこんな話をしたのは、あなたに嫌がらせをするためです。私はもうおしまいだけれど、あいつも道連れにします。

さようなら、デメテルさん。大好きでした。死んじゃえ」

少女が取り出し、そして自らの口にねじ込んだのは―――拳銃。

どこに持っていたのか。

―――銃声。

「……すまない。本当にすまない、麗華。私は、君を死なせてあげる事すらできない」

デメテルが手にしているのは、麗華の拳銃。ライムグリーンの流体が絡みついている。

床に倒れているのは、左頬が大きく裂けた少女。

拳銃が火を噴く刹那、顕現した巨神の一部が奪い取ったのだった。

「とりあえず、拘束させてもらう」

口を。手を。足を。

麗華の体を、透き通るような流体が覆い尽くし、その自由を奪っていった。

最後に、恨みがましく見上げてくる目を。

「私も、君が大好きだった。それだけは信じて欲しい」

すべてを、宝石の流体は覆い隠していった。




―――西暦二〇六四年四月。古城が国連軍の攻撃によって陥落する半月前の出来事。

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