忌まわしき記憶と共に

―――そう。ヘカテーは死んだ。私たちの手で殺した。


樹海の惑星グ=ラス南半球 東大陸東岸】


どこまでも続く星空だった。

それを見上げてひっくり返っているのはふたりの女性。デメテルと麗華ブリュンヒルデである。

精魂尽き果てたと言った有様で海岸に身を横たえているが、無理もない。何しろ野営地を襲撃されて以降、何度も戦闘に巻き込まれ、最後には海底を生身でここまでたどり着いたのだから。

麗華は顔だけ動かし、デメテルを見ていた。

「……死ぬかと思った。生きてます?」

「……生きてるよ。とはいえ君と同じ心持ちだ」

「こうして空を見上げると———ほんとに異世界なんですね」

「その通り。天文部だったかな。君ならここが地球でないことはひと目で分かるだろう」

「ええ。そりゃまあ。

—――遠くに来ちゃったなあ」

天文の知識がほんのわずかでもあれば、ここが地球ではないことは明らかだろう。何しろ星の並びが全く違うし、夜空に浮かんでいる月はまるで砕けたような形で複数あるのだ。

そしてこの海岸。ふたりのいる砂浜の際にまで生えているのは、硝子の葉を備えた不可思議な木々。樹海だった。あの島ではじっくり見ている余裕はなかったろうが、今ならば麗華も十分に観察できているはずだ。

「故郷が気になるかい?」

「まあなるっちゃあなりますけど。両親や涼子———あ、妹なんですけど。他にも友達とか学校とか。でもどっちかというと、心配しなきゃいけないの自分の方ですよね」

確かに麗華の言う通り、今案じるべきは自分たちの身の安全だった。何しろ麗華の故郷はとっくの昔に消滅している。復興しているのかもしれないが、半世紀経った今、誰か生存している可能性は著しく低いだろう。あるいは、生きていたとしてもこの惑星にいるかもしれない。

神戸は、門が開いた土地なのだから。

残酷な真実から目を背けたくて、デメテルはひとまず話題を変えた。

「まあその通りだ。今現在も、私たちは敵の真下にいる。あれが見えるかい?」

寝転がったまま、デメテルが指さしたのは天空を横切る小さな物体。翼を広げた鳥のような形状のそれは、国連軍の八咫烏級だろう。眷属の視力は20ほどある。麗華にもはっきりと視認できているはずだ。

「あれ———って、あの鳥みたいなやつですか?」

「ああ。あれは敵の人造神のひとつ。宇宙戦艦タイプの神格だ」

「―――あれが?」

呆気にとられたような麗華。無理もなかった。怪獣のごとき人類製神格だけでも受け入れられないだろうに、あんな馬鹿げた物体が衛星軌道を飛んでいるのだから。遺伝子戦争以前の人間がするであろう反応を、麗華はしていた。

「うん。数年前に敵が投入してきた新型でね。艦隊戦に敗北した我々は制宙権を奪われた。それ以来、奴らはああやって軌道上を巡っているのさ。人工衛星が担う役割。通信や気象観測、位置情報。地表の監視。諸々の支援を地上部隊に対して行っているんだよ。対する我々は衛星のほぼすべてを失った。おかげで様々な事柄について制限がつくようになっている」

「……」

「こうしている我々のことも写してはいるはずだが、それを解析して確認するまでは時間がかかるだろう。とはいえ移動が必要だ」

「すぐですか……ちょっと勘弁してください」

「わたしも同じ考えだよ。やむを得ない。木陰まで行けるかな。そこで改めて休もうか」

「はい……」

ふたりは這うようにして、樹海へと入っていった。


  ◇


「済まないが、これで勘弁してくれ。かなりの荷物は天幕ごと焼かれてしまったからね」

デメテルが虚空より取り出したのは大きなシート。地面に広げ、折り曲げたそれを器用に木の枝に引っかけて支えると、たちまちのうちに二人が入れる屋根付きのスペースが出来上がった。

そして、タオルと毛布。カロリーバーのような食料が一本取り出される。

「……どこから出て来たんですか。もう驚きませんけど」

「巨神の中だな。そこに入れてあるものはいつでも出し入れが可能だ。まあ残っている装備はもう少ない。今夜はこれで我慢してもらうしかない。

さ、脱いで」

そう告げるデメテルは、自らの着衣に手をかけていた。

「……へ、あの」

「疲れが取れないぞ」

脱ぎ終えた服を近くの枝へぶら下げて干した眷属は、その魔手を少女へと伸ばした。

魔法のような手際で服をはぎ取られた麗華は、たちまちのうちにタオルで体を綺麗に拭かれ、屋根の下へと引っ張り込まれる。

裸身の少女たちは、一枚の毛布にくるまると横になった。

とくん。とくん。

肌を重ね合わせた少女の鼓動。間近に迫った吐息。美しい黒髪。そして半世紀ずっと見守り続けてきた顔がする、懐かしい表情。

ドキドキするのをごまかすように、デメテルは口を開いた。

「顔が赤いな。大丈夫かい?」

「あー。たぶんへいきです……」

「ならよかった。さ、これを」

携行食を取り出し、ふたりで分ける。

「明日になったら水も探さないといけないな」

「はい」

「さ。今日はもう寝よう」

「……」

デメテルは、麗華がじっとこちらの首筋を見ていることに気が付いた。そこにぶら下げたままのロケットペンダントを見ているのだろうか。

「デメテルさん……」

「……なんだい?ヒルデ」

「あの、写真。私たち以外に写ってた娘って誰なんですか?」

「……ヘカテー。私たち二人の後輩だった。いつも一緒にいたよ」

「友達、だったんですね……?」

「ああ」

「戻ったら、会えますか?」

「……無理だ」

「なぜ?」

「彼女は死んだ。殺されたから……」

そう。ヘカテーは死んだ。私たちの手で殺した。あの忌まわしき、遺伝子戦争で。

「そう……ですか……」

やがて、眠気が襲って来た。




―――西暦二〇六四年四月。人類側神格ヘカテーの戦死から四十六年目。樹海大戦終結の三年前の出来事。

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