氷原の魔獣

「―――なんだ。何なのだ、あの化け物は」


樹海の惑星グ=ラス南半球 フガク市北側 河川上】


巨大な質量が、振り下ろされた。

音速の六倍の速度に達した八百トンの質量は、受け止めようとする槍と激突。―――とすらいえぬほどあっさり切断し、その持ち主ごと破壊。遅れて来た衝撃波が暴風雪を薙ぎ払い、一瞬無音の空間が発生する。

砕け散っていく敵神を無視し、長柄の大剣リカッソが振りかぶられた。それを為したのは、魔獣。全身を銀色の毛で覆われ、二足歩行し、たてがみを備え、三十メートルもの刀身とそれに等しい長さを備える長柄の大剣をた一万トンの巨獣が、五十メートルの蒼い武神像へと襲い掛かったのである。

今度の相手は、少しはできるようだった。

両者の剣が激突する瞬間。長柄の大剣リカッソの軌道がほんの少し、。武神像が手にする剣によってそらされたのだった。勢いあまって大地に激突する大剣。

対する武神像は剣を体にひきつけ、全身で魔獣にぶつかっていった。この態勢ならば敵神の脇腹を剣で貫ける。両者の体がぶつかり合い、剣が突き出され―――

そこで、武神像が動きを止めた。束になり、硬質化し、伸長した魔獣の体毛に体の十か所あまりを貫かれていたからである。致命傷を受けた巨体は一拍置いて砕け散る。

恐るべき威力だった。

全身の体毛はたちまちのうちにさらに伸びると、まるで触手であるかのように次なる敵へと向けられる。。もはや数百メートルもの長さとなった十数本の触手が一挙に襲い掛かり、そしてたちまちのうちに哀れな眷属をバラバラにする。一柱だけではない。魔獣に向けて突っ込んで来た何柱もの眷属どもを引き裂いていったのだ。

敵わぬと見たか、まだ離れた位置にいた神像たちが身構えた。全身の構成原子を励起させ、ある者は火球を、あるものはレーザーを、またある者は亜光速にまで加速した重金属粒子を、それぞれ投射したのである。

直撃すれば山が消し飛ぶ威力はしかし、無意味だった。魔獣がその体色を銀から透明へと変化させたからである。最初に命中したレーザーは透き通った体内で乱反射したかと思えば突き出された掌から放たれ、攻撃者の胸板を貫く。重金属粒子は強力な磁場で反射されて術者の頭部を砕き、火球はやはり電磁場に導かれて周囲を一周。元のコースを辿って投射した火神を打ち倒した。

それでも攻め手は尽きなかった。暴風雪を突き破ってきた何柱もの敵神たちがならば。と構えたのは槍。弓矢。投石器。氷原が持ち上がり、をもたげさえした。

強烈な一斉攻撃が、解き放たれた。

対する魔獣は避けなかった。槍が胴体を貫く。矢が右目を。投石器がももを貫通し、仕上げとばかりに岩と氷で出来た竜が肩口に食らいつく。

やったか。攻め手たちはそう思ったことだろう。

期待は再度裏切られた。魔獣は全くの無傷だったからである。

竜がまず、粉々に砕け散った。次いで槍が引き抜かれ、矢が捨てられた。石に貫かれたはずの腿はよく見れば傷ひとつ存在しない。

反撃は強烈だった。魔獣の構成原子が励起する。発した強烈なエネルギーは、触手の先端よりレーザーという形で解き放たれると、対峙した眷属どもをズタズタに切り裂いたのである。

敵を始末した銀の魔獣。五十メートルもの巨体を備えた怪物の名を、キメラと言った。周囲の氷原では彼女同様獣相を備えた巨神たちが突進し、攻め寄せる神々の軍勢と壮絶な白兵戦を繰り広げている。機械仕掛けのゴリラが、細長い亀が、漆黒の蛇が、グレーの獣人が、その他数多くの獣神たちが、更に数で勝る神像群と激突したのである。剣戟によって生じる衝撃波が暴風雪を払い、大質量は氷原を踏み砕く。この世の終わりかと思うような光景であった。

だがこれは現実なのだ。それも、この世界ではごくありふれた光景に過ぎない。この程度の戦いで壊れるほど、世界は脆くない。

その事実を、キメラは。アミアータの個体名を与えられた神格は知っていた。

味方は苦戦している。当然だ。敵はこちらを上回る数の大軍を投入している。人間の脳を乗っ取った忌まわしき機械生命体ども。奴らを滅ぼし、人類の未来から不安を払拭せねばならぬ。そのための力が必要だった。

だから、アミアータは自らを再構築することとした。

質量補填開始。

体が持ち上がる。下半身を銀の霧が包み込む。封じていた力の全てを実体化させる。体が

たちまちのうちにアミアータの体躯は、三倍の身長となっていた。

異形であった。その上半身は元の形態を留めているものの、下半身は巨大化し、脚は倍の四。元々のものに加えて後方に胴体が伸び、そこから生えた脚も大地を踏みしめていたのである。それはまるで巨大な人馬ケンタウロスのごとき様相であった。

八万トンにまで増加した質量を備えた百三十メートルの人馬ケンタウロスは、見た。前方、こちらに向けて前進してくる敵眷属群の姿を。

滅ぼさねば。

決意を新たにした魔獣は、敵勢に襲い掛かった。


  ◇


「―――なんだ、あれは」

デメテルの口を、そんな言葉がついて出た。

暴風雪の向こう。おぼろげなシルエットはすさまじい大きさだ。並みの巨神の倍。いや、三倍はあるだろう。そんな化け物が、前進する眷属の大群を文字通りに薙ぎ払っているのだ。

「何であろうとかまいません。立ちふさがるなら斃すまでです」

そう告げた赤い戦女神像は、ブリュンヒルデ。彼女は敵を恐れる様子もなく、剣を抜いた。更にはもう一本を虚空から。二刀流の構えである。

「デメテル。援護を」

「……そうだな。君はそういう奴だ。これまでも。そしてこれからも」

デメテルがついたのは、ため息。そうだ。逃げることはできない。生き残りたければ敵を倒すしかない。ずっとそうだった。ああ、神々に呪いあれ。

周囲で繰り広げられる死闘を無視して、両名はまっすぐ。目掛けて駆け抜けていった。

目標までの距離が一キロを割ったところで。

「!!」

ブリュンヒルデが二刀を振り抜いた。刀身を行く二本の触手。敵の攻撃だ、と悟る前にさらに刃が降り抜かれた。

瞬時に出現したかのごとき触手。いや。それは実際に実時間ゼロで現れたのだ。過程を無視し、取りうるあらゆる形状に瞬時に変形することを可能とするアスペクト。光速すら超え、物理的に回避不可能な攻撃をしかし、ブリュンヒルデは全くの先読みで捌いていたのである。

加速する。一歩。二歩。三歩目で音速を突破し、あとに長柄武器を構えたデメテルが続く。周囲では幾体もの眷属たちが触手の餌食となっていく中、ブリュンヒルデの陰だけが静かな安全地帯だった。

怪物が間近に迫る。正体が露わとなった。たてがみを持つ、人馬型をした鋼の狼。両腕で握った長柄の大剣リカッソはその図体に匹敵する巨大さだ。

いよいよこちらを油断ならぬと見たか、怪物は触手すべてをこちらに向けた。かと思えばその全身が励起光を発し始めたではないか。

「―――デメテル!!」

間髪入れずにデメテルとブリュンヒルデは左右へ散開。そこへ強烈なレーザー光が何本も放たれ、遥か後方にいた眷属を巻き添えとしながら消失する。触手の先端から放たれたのだ。これひとつとっても凄まじい威力。

レーザーを凌いだ二柱の女神像は、左右より敵を挟み込む。その様子に一瞬、敵神は

そこへ、ブリュンヒルデは踏み込んで行った。戦女神の放つ強烈な二刀が、怪物の胴体に突き刺さる。

手ごたえは、なかった。

怪物の体躯に飲み込まれた剣を諦め、ブリュンヒルデは身を投げ出した。一瞬遅れて振り抜かれる大剣。わずかでも躊躇していればこちらが両断されていただろう。

そして反対側より踏み込んだデメテルの戟も、同様に突き刺さっていた。まるで手ごたえなしに。

ブリュンヒルデを仕留め損なった怪物は、。前脚で大地を蹴り飛ばして体を浮かせ、後ろ足だけで上半身を支えたのである。まずは無様に倒れ込んだブリュンヒルデを、前脚で心づもりだったろう。

誤りであった。

何故ならば、怪物が放置した戟。何ら痛痒を与えていなかった武器は突き刺さったまま、その内に格納されていた兵器を押し出したからである。

兵器の名を、核融合爆弾といった。

怪物の体内に出現した核融合爆弾は即座に爆発。その強力なエネルギーで、怪物の構成原子の総体を一つの"波"としていたアスペクトを破るに至った。

「―――!?」

怪物は、無事では済まなかった。下半身が半ば千切れかけ、全身にひび割れが走り、そして多くの部分が溶融していたからである。

そこで、ブリュンヒルデが。逃れようとする怪物に突き刺さったままの自らの剣を掴み取ると、その全身の構成原子を励起させる。

その作用は、ごく単純なものだった。物質の結合を安定させる電気的な障壁バリアーのエネルギーをほんの少し、引き下げただけ。

それで十分だった。怪物の中心で、原子を崩壊させるためには。

崩壊に伴って破滅的なエネルギーが放出され、それは周囲の原子を巻き込んで更に拡大していく。その連鎖反応が行きつく先、怪物の体から噴き出すように強烈な暴風が吹き荒れはじめる。それは最後には拡大し、そして巨大な竜巻に―――"渦"に、姿を変えた。

今吹き荒れている暴風雪すら超える、強大なエネルギーの渦動が巻き起こった。

これこそがブリュンヒルデのアスペクト。万物を破壊する、戦略級神格としての力だった。

拡大していく渦から逃れ、後退するブリュンヒルデとデメテル。

ふたりの見ている前で、破壊の渦は天にまで届いたではないか。

それが収まった時、すべては一変していた。天を覆っていた厚い黒雲が消滅し、暴風雪が止んでいたのである。恐るべき威力であった。

そして、前方で無様に倒れ伏している怪物。大ダメージを受けた巨体はもはや虫の息だ。

とどめを刺すべく、ブリュンヒルデは進み出ようとして。

「―――ブリュンヒルデ」

「ええ」

デメテルに頷くと、ブリュンヒルデは周囲を一瞥した。すっかり晴れ渡った氷原に残る眷属の姿はもはやまばらだ。対する敵勢はまだ、その大半が残存しているように見える。

潮時だった。

この時点で生き残っていた眷属たちが後退していく。撤退命令を受領した二柱の女神も、速やかにその場を退去していった。

後には、戦いを制した人類製神格たち。そして、酷く傷ついたキメラの巨体だけが残された。




―――西暦二〇六〇年。人類製第四世代型神格が初めて実戦投入された日、人類製第五世代型神格が誕生する三年前の出来事。

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