お墓は記念碑
「帰ってくるの、こんなに遅くなっちゃった。ごめんね」
【日本国 兵庫県西宮市】
墓石に対して、エススは手を合わせた。
線香の煙が揺蕩う。
隣では同様に手を合わせているタラニス。この、十代後半に見える双子の姉妹の間では、よくわかっていない様子のはやしもが、やがて真似をして手を合わせた。
そこは、墓地だった。すぐ先を走っている鉄道の線路の向こうには住宅街が広がる土地。緩やかな山並みとそして壮麗な寺院を背にした場所にある。
「これは、何をしてる、です?」
「お墓参り。ここにね。私たちの両親が眠ってるの」
「おかーさんたちのおかあさんと、おとうさん、です?」
「そ。はやしもから見たらお祖母ちゃんとお祖父ちゃんかな。やっとここまでたどり着いたの。長かった。すごく」
首をかしげるはやしもの頭を、エススは優しく撫でた。鱗のような六角形の集合体は不思議な手触りだが、心地よい。
「お墓、ってよくわからない。です……中で寝てる、です?」
「あー。そっからかあ」
エススは苦笑。傍らのタラニスと顔を見合わせる。なかなか説明が難しい。何しろはやしもは墓を必要としてはいない。不死なのだ。全身を構成する蟲の大半を失わない限り、それらは自己で繁殖して蘇る。蟲の群れそのものが一つの知性を持つはやしもは、日常的に体を構成する蟲が死に、そして新しく誕生した個体がその穴を埋めている。彼女にとって、生と死は己の存在し続ける限り常に体内で繰り返される現象に過ぎない。
「これはね。記念碑。もういなくなった人のことを忘れないために、時々戻って来て思い出すための道具。それがお墓なの」
「いなくなる、です?」
「そ。死んだらいなくなっちゃう。これは人が生きて、死んだことを覚えておくためのもの」
「おかーさんも、いなくなる。です?」
「私はずっといる。安心して。ね」
ぎゅ。と、はやしもはエススに抱き着いた。
「どうして、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんは、いなくなった、です?」
「戦争のせい。ここは神戸のすぐ近くだからね。門が開いた日、私とタラニスは三宮まで映画を見に行ってたの。春休みに入ってて、運悪くね。けど両親は違った。ここの近くに住んでたから、神々には連れ去られずに済んだ。ここはちょっと内陸だし、山に遮られて都市破壊型神格の攻撃の被害も小さかったしね。沿岸だと酷いことになってたらしいけど。それでもたくさんの人が家を失って避難したり、遠くの親戚を頼ったりした。けどできない人。残った人もいた。それは家を守るためだったり、頼る先がなかったり、交通網も麻痺して移動できなかったり。色んな理由がある。うちの親がどうして残ったのかまでは記録にもないから分からないけど」
エススの説明に、タラニスが後を続ける。
「でも、幸運はそこまででした。神戸の門が破壊されて、取り残された神々の軍勢は大阪港を目指したんです。兵庫の北北西に進出していた陸上部隊が大移動を始めて、進路上には、この地域もありました。両親は戦いに巻き込まれて死んだようです。避難も間に合わなかったんでしょう。
私たちも、何が起きたかを知ったのはついこの間です。姉さんの治療がやっと終わったから」
双子の治療が本格的に始まったのはつい最近だ。神格に支配されていた後遺症で記憶の大部分を失っていたのを取り戻すのは現代の科学技術をもってすれば可能だったが、しかしそれが可能な医療施設に余裕がなかったためである。現在は世界間戦争の真っただ中であり、負傷して後送されてきた知性強化動物の治療や、新たな知性強化動物の製造及び育成でどこも手一杯なのだった。生命に関わらない双子の記憶は緊急性が低い。優先順位が低下しても仕方ない面もあったろう。そのため治療はゆっくりとしか進まず、先ごろようやくエススの回復が果たせたのだった。タラニスも、恐らく近日中には完治するだろう。
もっとも、地球で暮らしていたころの記憶を取り戻したとはいえ肉親の消息を辿るのはまた、別の苦労があったが。戦争で記録は散逸し、空白の期間はそれに拍車をかける。四十年とはそれほどの時間なのだ。
「はやしもを連れて来たのもね。両親が生きてたらやってただろうことをやるためっていうのはあるかな。子供が出来たら自分の親と会わせたくなるから」
「難しい、です…」
「その内分かるようになるよ」
エススは微笑んだ。知性強化動物の知能がいかに高くても、はやしもはまだ子供に過ぎない。高度な概念や人間の複雑な心理を学ぶには時間がかかるだろう。昆虫の集合体なのだからなおさらだ。
「さ。そろそろ行こ?今はいいね。東京からここまでリニアならあっという間だし」
「帰る、です?」
「うん。私たちのおうちにね。さ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにばいばーいしようね」
もう一度皆が墓に手を合わせ、そして墓地を立ち去っていった。
―――西暦二〇五八年、七月。門が再び開いてから六年、遺伝子戦争開戦から四十二年目の出来事。
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