おじいさんと落ちこぼれ

「おや。どうしたのかね」


【イタリア共和国シチリア自治州カルタニッセッタ県 陸軍演習場】


マルモラーダは顔を上げた。いつの間にか横に座っていたのは仕立てのよいスーツを身に着けたおじいさん。どこかで見た気がするのだが思い出せない。誰だろう?

「……見学よ。私は巨神を出せないから」

ふたりは、前方。海岸を歩いているいびつな人型に目を向けた。

鋼の狼。陽光を反射しながらしている巨体を強いて例えるならばそれが相応しいだろう。たてがみを持ち、巨大で長い耳を広げ、上半身から豊かな毛を生やし、対照的に短い毛が密集したしなやかな脚は馬のような関節を持った五十メートルもの獣人。人類製第四世代型神格"キメラ"。まだその動きはたどたどしい。あの様子では眷属にも容易く撃破されてしまうだろう。だが、訓練が終わればその動きは見違えるようになるに違いない。何しろ今日、初めてキメラの巨神が構築されたのだから。

周囲には何柱もの獣神像や女神像の姿が見える。ドラゴーネ。"ニケ"。"ペレ"。教官は十二人。キメラと同じだけいる。ベテランの彼ら彼女らならば無事に訓練を監督し終えるだろう。

「他の姉妹はみんな神格機能がきちんと発達したの。最初はヴィーゾ。試しに自動車をよいしょ。って持ち上げてみんなびっくりしちゃった。何日かあけてセッラだったかな。クリヴォーラも流体を動かせるようになって、次は一週間後に一気に四人も。そのころはまだ私ものんきに構えてた。たぶん後の方になるんだろうなー。って思ってる間に次々にみんな流体を操れるようになって、体も凄く強くなった。戸惑うくらい。最後に私とアミアータが残って。全員成長が終わるまでは座学三昧だったわ。成長が終わった子は体に慣れるためにトレーニングも。アミアータが流体を操れるようになってから三日目にようやく、私も今までの自分と違うことに気付いた。声変わりするみたいな感じ。これでみんなの仲間入りだ!って思ったけど、一つだけ違うことがあったの」

「巨神を構築する流体を操る機能に障害があった。かね」

「正解。今ゴールドマンおじいちゃんたちが調べてるけど、まだ原因は見つかってない。いつまでも私ひとりを待ってられないから、今日から巨神の訓練が始まったの。

私は十二人の中の落ちこぼれ。巨神を出せない神格に価値なんてないもの」

「そんなことはないだろう。ゴールドマン君は優秀だ。彼のチームならば、君の発達不全を解決する方法をきっと見つけ出す」

「駄目だったら?知性強化動物の1%近くは根治不能な障害があるのに。私たちの神格は後から脳に組み込まれてるんじゃない。最初から体の機能の一部なのよ」

「それでも、無駄にはならないよ。君のデータは後に役立てられる。同様の事例が起きないよう、予防するのにね。妹たちのためになると思えばいい。それに君たちは巨神などなくても優れた能力がある。その知性を生かして働けばいいじゃないか」

「無理よ……私って、おバカだから」

マルモラーダは、悲しげに笑った。それに対し、スーツの老紳士は頭を振る。

「自分を卑下するものではない。君たちのことは知っている。マルモラーダ。二歳の段階で法学と生物学の博士号を取得。立派なものだ。普通の人間には真似できない」

「そんなの当然でしょう。私は、人間じゃあないのに」

「いいや。人間だとも。ちょっと成長が早いだけだよ。本来なら君はまだ、両親の庇護の下で穏やかに暮らしているべき年齢だ。それを歪めているのは我々の都合だな。

四十年前。遺伝子戦争の時もそうだった。我々はモニカ嬢を戦わせた。私が初めて"ニケ"を見たのはここ、シチリアでのことだ。今と変わらぬサファイアブルーの姿は美しかった。兵士だった私は、天が遣わした救いの女神だと思ったよ。塹壕の中から、ミサイルが降り注いでいる状態でね。その神格がまだ十五歳、外見だけなら十二歳の女の子だと知ったのはもっと後のことだった。本来なら戦場に出るような年頃じゃあない。だが戦いに駆り出している。我々は同じことをしてしまっているんだよ。申し訳なく思う」

この段階で初めて、マルモラーダは相手の顔をまじまじと観察した。そうだ。見覚えがあるのも当然だ。この男は―――

「大統領閣下―――」

「ああ。かしこまらなくていい。君たちの訓練の様子を見ておきたかっただけだからね。今日の所は通りすがりのおじいさんでいい」

「……おじいさん。私が姉妹を守るために出来ることはあるんでしょうか?」

「君は今の自分がやるべきことをやりたまえ。できることを見つけ出し、取り組むことを。それが皆の助けになる」

「はい」

「さて。では、そろそろ行くとしよう」

大統領は―――スーツの老紳士はよっこいしょ。と立ち上がる。最後に彼の視線は再び、海岸。そこに沿って進んでいくキメラの巨体へと向けられる。いや。彼が見ていたのはその上空に浮遊する、巨大な翼を備えたサファイアブルーの女神像だった。

しばし"ニケ"の姿を目に焼き付けた彼は、踵を返すと立ち去っていく。距離を置いていた警備の者たちに伴われ、やがてその姿は見えなくなった。

マルモラーダは、その姿が見えなくなるまで見送っていた。




―――西暦二〇五八年六月。キメラ級の訓練が開始された日。樹海大戦開戦から六年目の出来事。

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