少女の決意

「不安な事。そうですわね。将来のこととか」


【東京都千代田区 皇居外周】


超近代的な都市だった。

フランは走りながらそんなことを思う。幅広な堀に囲まれた巨大な城塞の外周、自転車及び身体強化者用のレーンからは様々な景色が見て取れる。緑に覆われた敷地。公園。何百台と通り過ぎていく自動車。それだけの通行を可能とする広大な車道。天を衝く摩天楼。城塞の内部では今も、古代より続く血統の天皇エンペラーが国民と世界の安寧を祈る祭祀を司っているとかなんとか。よくぞ先の戦争で途絶えなかったものだ。

もっとも、この都市も全く無傷だったわけではないらしい。戦いの余波で東京の各所に被害が出たと、小学校の社会勉強で習った。このあたりも被害を受け、首相官邸などは墜落した航空機によって半壊したらしい。

その痕跡はもはやないが。今も戦争中とはとても思えぬ繁栄ぶりだった。

―――平和だ。

口の中で呟く。

車道の脇。自転車及び身体強化者用のレーン。内側の歩道は無改造者あるいは無強化の義体者がジョギングを楽しんでいる。ここも昔からのジョギングの聖地らしい。

この平和が、戦争を支えているのだ。フランにも最近ようやく理解できるようになってきた。人体のようなものだ。莫大な富と人の動きが人類の生産力と秩序を生み出し、物流は血の流れとなって末端までもを潤す。一方で神々はそうはいくまい。戦場が神々の根幹地である以上は。本拠を脅かされて、どれほどの力を出せるのか。

赤信号が見えた。速度を落とす。自転車が2台に女性がひとり止まっている。この辺りは市ヶ谷の自衛隊員の強化人間や知性強化動物、スポーツ選手の全身義体者などがよく走っている。知性強化動物には見えないから自衛官かスポーツ選手だろう。

すぐそばまで行って、相手の正体が知れた。

「あら。フランちゃん」

「こんにちは、焔光院さん。日本に戻ってらしたんですのね」

「ええ。久しぶりの休暇でね。」

焔光院志織。養父の兄とは今も家族ぐるみの付き合いがあるそうだ。

信号が変わる。左右を確認してから走り出すふたり。自転車より早い。初速も、巡航速度も。

「こっちにはもう慣れた?」

「お陰さまで」

「よかった。あなたのことは気にはなっていたんだけど、忙しくて」

「十分に良くしてもらっていますわ。こんなに気を配ってもらってもいいのかと思うくらい」

本心だった。彼女は国連軍の高級将校の一人だと聞いている。本人の言うとおり忙しいだろうに、フランのことをずっと気にかけてくれていた。

走りながら竹橋に至る。堀を超える。ここからは上り坂コースだ。歩道に入る。速度を大幅にダウン。時速六十キロで走っては他の通行人に迷惑だ。

「どうしてここまで良くしてくれるんですの?」

「うーん。一番歳の若い同族だから。かな」

「同族…ですか」

「そ。神々の都合で頭に機械を突っ込まれて、心を支配されて、人生を無茶苦茶にされた。私もあなたもね。だから、あなたが健やかに過ごせる。って言うのは私の精神衛生上も大切なの。半分以上は自分のためかな。だから気にしないで」

「なるほど」

下り坂に至る。ここの景色はいつ見ても美しい。

「フランちゃんは、何か困っていることはある?」

「そうですね。将来のこととか……」

「不安?やっぱり」

「不安といいますか。何をしたらいいか分からないというか。この力も今のままだと力の持ち腐れですし。考えていることはあるんですけど」

「どんな?」

「医官になろうかと。防衛医科大学校で」

「なるほどね」

フランの神格は環境管理型だ。多様な機能を備えるこれの代表的な利用法のひとつが生命に手を加える事である。医療にも非常に大きな力を発揮し、遺伝子戦争期には同じく環境管理型神格"グルウェイグ"によって数万の将兵が救われてもいた。

ただ、現在は医療行為に用いるならば国際基準の医師免許が必要だ。人類製の環境管理型神格の知性強化動物たちも訓練期間中に取得するという。人の手で作れるようになった時点で、それは高価なだけの道具となったのである。

「私でも入れますか?」

「学力さえ示せれば大丈夫。人類側神格の大学校への入学は前例があるから。まあ私だけなんだけどね。後は人類に対する忠誠心。それくらいかな」

「が、頑張りますわ」

「応援してる。後輩さん」

半蔵門の前に差し掛かったあたりで、志織は速度を緩めた。

「私はそろそろ帰るね。フランちゃんは?」

「のんびりと走って帰ります。ありがとうございました」

挨拶を交わすと、志織は横断歩道を抜けて向こうまで走っていく。それを見送ったフランは、自らも帰途についた。




―――西暦二〇五五年。フランが医官として戦場に赴く七年前の出来事。

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