靄の彼方の島

「奴らも我々に気取られる愚は冒したくなかったようだ。もっともこうして、気取られているわけだが」


神々の世界グ=ラス北半球中央大陸沿岸北東 多島海】


どこまでも続く白い闇だった。

朝靄に包まれた海上は穏やかだ。微風が水面に波紋を立てるのみ。

そんな中を進む、一艘の舟があった。小さく木造で、造りは粗末。五人も乗れば一杯だろう。荒い布の帆を張っているが、推進の源は船頭操る櫂であろうことは明らかだ。

舟は何も見えない中を進んでいく。まるでずっとそうだったかのように。

もちろんそんなわけはなかった。進む先。もやの彼方、水平線の向こう側に薄ぼんやりと。何ものかが見え始めたのである。

「あれでしょうか」

「恐らく間違いない。奴らに気取られるなよ。一巻の終わりだぞ」

「ええ」

乗員は二人。マントで身を包んだ男たちである。彼らは船縁をしっかり掴むと、身を乗り出して前方を注視した。

やがて、目当てのものの姿がはっきりとしてきた。

それは、地形だった。直線を幾つにも組み合わされて生み出された人工物である。島。そう言っていい代物が、沖合に浮かんでいたのだった。

「―――四十六番門だ」

「凄い。無傷の門を見たのはこれで二回目です」

「一つは我々のものか」

「ええ」

「遺伝子戦争で用いられたものを、地球人類勢力に属する者がこちら側から。と言う条件なら、人類史上十数例しかない。我々はその仲間入りを果たしたぞ。“マッケンジー”」

「はい。“ナダルさん”。

遺伝子戦争期にはどこにおられましたか」

「スペインだ。私は開戦当時、母の胎内だった。母は戦火を逃れに逃れて、何とか南イタリアまで流れ着いたらしい。そこで私は生まれたんだ」

「それはご苦労だったことでしょう」

「あの戦争で苦労していないものなどいないさ。それよりマッケンジー。あの門、どう見る」

不活性化モスボール状態には見えませんな。周囲で作業中のように見えます。大型船が数隻、小型多数。あの浮いているのは巨神かと。状況からするに、恐らく分子運動制御特化型か微細工作型あたりですな。この靄も発生して久しいですが、あの作業を隠すために気象制御が行われた結果と見るのが妥当でしょう」

「私も同意見だ。連中、ヤケになって地球に直接攻撃するつもりらしいな。一度閉じた門を再整備までして。

あれが開いたとして、場所はオタワか」

「そのはずです。同じ場所に開くと聞いております。設備を移動させ、設定を大幅に変更しない限りは」

「あのデカブツを動かして我々に気取られる危険を増やす愚は奴らも冒すまいよ。まあこうして気取られているわけだが」

ナダル少佐は苦笑した。最近の浸透任務は急速に楽になりつつある。未だに迂闊な電波は飛ばせないが神々の衛星はほぼ一掃されたし、国連軍の宇宙戦艦は直接戦闘を避けつつも軌道上で活動しつつ、各種支援を地上部隊に対して行っている。何より通信網が急速に整備され、惑星全土をカバーしたのは大きい。上層部はどんな魔法を使ったのやら。初代司令官に続く二代目も有能で、現場としては安心といったところか。

「上はどう判断するでしょうか」

「さあな。うまいことやってくれるだろうさ。向こうで迎え撃つにしろ、こっちの世界で叩くにしろ。奴らに高い代償を支払わせてくれるだろう。我々の仕事はその判断材料を集めることだ」

「はい」

部下の同意を得て、ナダル少佐は船頭を振り返った。彼は何も知らない現地の漁師である。雇ったのだった。今回現場を確認する人員もマッケンジー軍曹と自分の二人に絞った。目立ちたくなかったためだ。武装すら持ってきていない。現地人も携行するような、せいぜい刃物くらいだ。

「そろそろ戻ろう。……どうした?」

船頭の様子を怪訝に思ったナダル少佐は、再び前方を振り返り―――こちらへと飛来する巨大な人型を認識した。

―――巨神。

そびえ立つ巨体はまるでビルディングのようだ。駆逐艦に匹敵する大質量が空気を揺らすことさえせずに飛翔しているのは不気味ですらある。それが電磁流体制御と分子運動制御のあわせ技に過ぎないとしても。

甲冑をまとい、深く兜で顔を隠したダークグリーンの武神像は前方で停止。口を開いた。

「去れ。人間よ。ここより先に進むことはまかり通らぬ」

こちらを見下ろす、神。そいつが実際には人間の脳に寄生した機械生命体にすぎないことを、兵士たちは知っていた。緊張が張り詰めていく。

ナダルが背後に身振り。呆然とした船頭は意を得たとばかりに舵を切り、進路を変更する。

それを見届けた巨神は、やがて向きを変えると飛び去っていく。来たとき同様音もなく。

人間たちはじっとそれを見つめていた。

「……生きた心地がしませんでした」

「まったくだ。さっさと巣に帰るとしよう」

船頭に帰還を命じ、ふたりは息を吐いた。




―――西暦二〇五三年。樹海大戦が始まって二年目、最後の門が閉じられてから三十五年目の出来事。

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