浸透するネットワーク

「僕のラボへようこそ。君たちはここを訪れるはじめての客人だ」


樹海の惑星グ=ラス某所 地下八十メートル 通信基地遺跡】


「メッセージの送信をタップすれば、それは自分のスマートフォンから相手のスマートフォンまで送られる。というわけじゃあない。間にはセルラーネットワークやインターネットを挟んだ上ではるばる伝わっている。集中的なインフラに頼ったシステムであり、自然災害や管理する政府の都合で切断されることだってある。あなた方は先刻ご承知の通りだと思うがね」

酷く狭い通路だった。

足元は金属製の格子になった足場。その下を何本もの太いパイプが行き交い、奥まで続いている。それはまるで怪物の臓腑のようにも思えた。

前方を進むのは白いリネンのシャツに白髪交じりの頭、くたびれた眼鏡をかけた初老の男性。ひょろりとした姿は、もし大学の構内で見かければ工学系の助教授。と言った風情に違いない。

その背中を眺めながら、チャック・コールソン軍曹は後に続いていた。

「僕の研究テーマはもともと繋がりに関するものでね。いわゆるパーコレーション理論だ。もし神々が来なければ、ちょっとした論文を幾つか書いて博士号を取って、どこかのIT企業に就職してただろうな。残念ながらそんな未来は訪れなかったが。今じゃあこんな歳だよ。それでもあなた方が来てくれたのはとてもうれしかったが」

そう語る男は、ただの人間ではない。いや、肉体的には常人に過ぎないが。この神々の世界において、長年にわたり抵抗運動を続けている人々のひとり。数十あるローカルグループのひとつの指導者である。都築燈火のように。その同盟者でもあった。ネットワーク上での仲間たちからは"管理人"の通り名で呼ばれている。

「ここは神々が残した遺跡のひとつだ。災厄以前のね」

「超新星爆発―――」

「正解。神々はこの宇宙規模の災害に備え、様々な取り組みを行った。ここもその一つ。超新星爆発の威力はあらゆる機械類にも及ぶと考えた彼らは、通信網の多重化に取り組んだ。ネットワークの節点が吹っ飛んでも何とかなるように迂回路を作ったんだ。例えるならスマートフォン―――そういえば地球ではまだ使ってるのかな」

「ええ。タブレットともども現役です。案外廃れないもんですよ」

「そうか。よかった。ともかくスマートフォンは近距離で互いに直接通信することが可能だが、やろうと思えば通信をスマートフォンからスマートフォンへとリレーしていくこともできる。最終的にはもちろん、送信者と受信者だけがメッセージを閲覧できるにしてもね。こうして繋がり合ったスマートフォンの集まりはメッシュネットワーク。あるいはモバイルアドホックネットワークと呼ばれる。神々はこいつを基盤とした通信網を整備したんだ。それは期待通りの性能を発揮した。災厄に遭っても役目を果たしたんだ。多くの通信機が破壊されてもね。復興の過程でより集約的なシステムが再建されるにつれてこれらのネットワークは忘れ去られたが、全部が撤去されたわけじゃあない。手間だし、何より全部は神々も把握できなくなっていたんだな。放棄されたハードウェアの大半は停止したが、一部は今も生きている。元々が災害用の機材だからね。太陽光や地熱、温度差発電。蓄電池。様々なエネルギー源で自らを生かし、自己整備しながら主人に呼びかけられる日を待っていた。そいつを生き返らせたのが僕ってわけだ」

「さぞやご苦労なさったのでしょう」

「まあ大変だったが、これくらいしかできることがなかったからね。

さて。これらの通信網が機能するには一連の機材によって通信のリレー網が連結されている必要がある。それがどれだけの数必要かというのは、浸透パーコレーション理論で記述できる可能性のひとつだ。まあぶっちゃけて言うと現在稼働している災厄に備えた機材だけじゃあネットワークを稼働させるには足りなかったりする」

「足りていないのですか?」

「その通り。だが足りていなさすぎるというわけでもない。ほんの僅かな差でネットワークの機能は大きく左右される。氷の融解や水の沸騰なんかの急激な変化と同じだな。いわゆる相転移だ。だから僕はちょいとソフトウェアに細工をして、今も整備されているシステムの力を借りることにしたのさ。相転移を起こすためにね」

「……神々の現在のネットワークを、使っているのですか?」

「正解。地球でもセキュリティ意識の低い奴なんて履いて捨てるほどいるだろう?それと同じさ。神々だってネットワークは完璧とは言い難い。僕らが奴らのシステムを丸ごと使うのは危険が大きいが、不足分をちょちょいと借りる程度ならさほど危険はない。通信を仲介する機械は通信内容に関知なんてしないからね。こうしてちょっとの工夫の甲斐もあって、僕らは全惑星規模の通信網を手に入れた。今じゃあこれを利用している人間も、十数名ってとこだけれども。さすがにちょいともったいない。あなたたちが神々に気付かれない通信網として利用したいというなら、その余裕は十分にある。安全性は折り紙付きだ。もし神々がこいつに気が付いてたならそもそも、門が開かれることはなかっただろうな」

コールソン軍曹は同意した。この人物の用心深さは並大抵ではなかった。国連軍が初めて接触した後、幾多の通信を交わし、信用を積み重ねた果て。ようやく"管理人"は、国連軍にこの場所を明かしたのだ。コールソンをはじめとする部隊はその連絡役として派遣されたのである。

「さあ。僕のラボへようこそ。君たちは身内以外ではここを訪れた最初の客人だよ」

通路を進んだ先。開いた扉の向こうには、超近代的な管制室が、待っていた。

巨大なモニター。サーバー。何台もの端末。様々な機材。それらが整然と並び、整備されている。その様子にコールソンは、圧倒されていた。

「どうだい。凄いだろう?」

コールソン軍曹は、頷いていた。




―――西暦二〇五二年。樹海の惑星に人類のネットワークが構築されてから三十年あまり、門開通の七か月後の出来事。

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