失われた未来

「時々思いますが、あなたはたまに人間のような考え方をしますね」


樹海の惑星グ=ラス南半球 仮設野営地】


酷い土壌だった。

見渡す限りに広がるのは破滅的な浸食と劣化に見舞われた大地。土を掘り返す動物を失い、受粉を助ける昆虫がいなくなった。土壌を固定する草木が消え、微生物が住めなくなり、それらが世界的に進行した結果としての異常気象によって土壌が流出した。その結果。肥沃な土は失われ、干ばつの影響を受けやすくなり、猛烈な風が土煙を巻き上げて不毛の荒野と化した姿であった。更には植物が固定していた炭素が大気中へと二酸化炭素の形で放出され、気温も上昇の一途をたどっている。それでも気象制御技術によって抑え込まれてこそいたし、いずれはこのあたりにも環境回復事業の手は及ぶはずだったが。

その未来は失われつつある。永久に、かどうかは分からないが。南極近くに開いた門から出現した人類軍によって。

―――知ったことか。

デメテルは、そう思った。

周囲を見回す。仮設の野営地には十数の輸送機。多数の大型テント。何百という戦闘車両や輸送車両。ロボット兵器。気圏戦闘機。

そして四十を超える眷属がいた。明朝に予想されている戦闘に備えて。

配給された食事を配膳された金属トレーを抱え、適当に座れる場所を物色。この金髪の少女の姿を持つ眷属は人込みが嫌いだった。いや、正確に言うならば神々と、そしてその操り人形である他の眷属たちが。何よりも嫌いだったのは、心を消されていないだけで眷属には違いない、自分自身だったが。

やがて野営地のはずれ。遥か彼方の山脈に沈みつつある太陽を望める、大きな岩の上に腰を落ち着ける。

どろり。としたスープをスプーンですくいながら、デメテルは、かつて交わした会話を思い出そうとしていた。遺伝子戦争直前、大神は。ミン=アは言っていた。いずれデメテルもこの世界に慣れる。心穏やかに過ごすことができるだろう、と。

だが現実はどうだ。再生した世界を指導するはずだったミン=アは遺伝子戦争序盤、神戸で死んだ。自らと相棒も幾度となく死に瀕した。人類側神格を殺した。神々を裏切り敵対した、かつては親しくしていた少女を。門が閉じた後も、こちらの世界での収奪。若者や子供を連れ去り、逆らう人間を殺すのはデメテルたち眷属の仕事だ。慣れることなどなかったし、両手が血に染まる夢にうなされるのもいつものことだった。

これが永遠に続くと思っていた。少なくとも、ミン=アの言っていた通りの千年単位では。地獄だったが、それですら生きていられるだけまだマシだったと知った。もはやそうではない。明日にでも死ぬかもしれない。いや。門が開いたその日に死んでいてもおかしくはなかった。都築燈火。あの男率いる五柱の人類側神格と戦った部隊に、デメテルはいたから。眷属四十五柱中、十九柱しか生き残らなかった。更には門から出現した人類軍によってその数は六に減じた。その中に自分と相棒も含まれているのが奇跡にさえ思えた。

第一次門攻防戦。神々がそう呼ぶ一連の門を巡る戦闘は、こうして人類の勝利に終わったのだ。

そして隕石投下攻撃。あの場でも都築燈火は現れた。彼は信じ難い手腕で艦隊を壊滅させ、護衛の神格と気圏戦闘機もほぼ壊滅状態となった。人類軍。国連軍が出現する前にすでに勝負は決まっていたと言ってよい。アスタロトも死んだか、捕虜となっただろう。帰還できた眷属はデメテルと相棒だけだった。

こんな幸運はいつまでも続かない。人類製神格は強力だ。絶対に殺せないほど強いわけではないが。―――デメテルや相棒にとっては。だが戦い続ければいつかは殺されるのは間違いなかった。恐らくアスタロトあたりの腕利きなら互角以上に戦えるだろう。神格二十四柱に匹敵するとすら言われる彼女のような達人であるならば。もちろん、大多数の眷属にとってはそうではない。少なくとも標準的な眷属と同数の人類製神格が戦えば、人類製神格が一方的に勝つ。その戦いには情けも容赦もない。人類は眷属の素体となった人間を助ける気はないようだ。不可能だからだろう。それは、デメテルが人類に救われる可能性もないに等しいことを示している。

どう考えても絶望だった。

「―――どうして、こうなったんだろう」

思わぬ間に呟きに出ていたことに、デメテルは驚いた。

「悩みごとですか」

振り返る。

隣に座ったのは、自分同様に金属トレーを抱えた黒髪の少女。"ブリュンヒルデ"。デメテルの相棒であり、遺伝子戦争で共に人類側神格を討ち果たした強力な眷属である。

彼女はデメテルの横に腰かけると、自らも食事を開始した。

「ああ。ちょっとね」

「私でよければ話し相手くらいにはなりますが」

「ヒルデ。君と私が生き残れる可能性について考えていた」

ポテトサラダを口に運ぶ。マヨネーズと混ざり合った芋と野菜の触感が舌に残る。まだ人間だったころを思い出す。

「遺伝子戦争期からのベテランがどんどんいなくなっている。人類の放送を聞いたか?恐らく事実だろう。もう我々は七千の眷属を失っている。遺伝子戦争の倍だ」

「―――少なくとも、負けるとは限りません。人類製神格は恐らく非常に高価であり、わずかな損失であっても人類にとっては負担は大きいという分析結果が出ています。対する我々は数で圧倒すればいい。後方では神格が大幅に増産されているそうですよ」

「だが今、我々の生存には直接は結びつかない話だ」

「大した問題ではないでしょう。最終的に、神々の勝利に結びつくのであれば。もちろん、あなたが失われれば私は大いに悲しむでしょうが」

「そうだな。君はそういうやつだった」

「失望しましたか?」

「いいや。分かってたことだ」

「時々思いますが、デメテル。あなたはたまに人間のような考え方をしますね」

「そりゃあそうだ。私が思考に使っているのは人間の脳なんだから。君だってそうだろう」

「確かにその通りですが、私の本体はその脳に定着している神格です。この肉体はあくまでも外付けハードウェアでしかない。そうでしょう?」

「その通り」

―――その神格を引っこ抜いてやりたいと、何度思ったことか。

親友の肉体を奪った機械生命体に対して、デメテルはそんなことを思う。もちろん口には出さないが。

対するデメテルの神格はおとなしい。肉体を乗っ取る機能はない。デメテルの肉体を強化し、拡張身体を与えるという役目に専念している。デメテルを支配している思考制御は、あくまでも脳に直接焼き込まれたものだった。

デメテルは、自分と同様の目に遭っている眷属が他に何人いるかを知らない。この惑星全体ではそれなりの数はいるだろうが。機械生命体に脳を支配されるのとどっちがマシなのだろう。何も考えずに済むという点では脳を奪われる方が楽だろうが。

やがてデザートのプリンを食べると食事はおしまいだった。この後は明日の戦闘に備えねばならない。

「デメテル」

「なんだい、ヒルデ」

「まずは明日を生き延びましょう。それを繰り返しているうち、時間が解決してくれるはずです」

「そうだな……確かにそうだ」

答えると、デメテルは立ち上がった。どうやって明朝の戦闘を生き延びるかを考えながら。




―――西暦二〇五二年。ふたりの少女が眷属とされて四十二年目、人類側神格ヘカテーを斃してから三十四年目の出来事。

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