新年はやかましい
「こいつはいまだにドキッとする。慣れないんだよ」
【エオリア諸島サリーナ島 ベルッチ家】
幾つもの破裂音が鳴り響いていた。
イタリアの新年は派手に始まる。家具が窓から投げ捨てられるし、爆竹も炸裂する。警察官は空砲を撃ちまくる日でもある。
そんな港の様子を、ゴールドマンは窓から眺めていた。
例年のことである。
「ここはいい所だ。何百年も前から時が止まったかのように平和だよ。もちろん実際には異なるのは知っているが」
「だから毎年そこで過ごしてるの?おじさん」
「そうだな。僕もここから外を眺めている間に、おじさんと言われるのに相応しい年齢になった」
振り返った先にいたのはモニカ。十二歳の時から変わらぬ姿を保った金髪の女性は、ゴールドマンの横に腰かける。
空砲はまだ続いている。島の警察官は住民の数に比してかなり多い。元々は人類側神格二名とそしてリオコルノが頻繁に出入りする関係で増員されたものだが、問題にならないのが明らかとなった現在でも継続しているのだった。それもあってサリーナ島の空砲はかなり派手なところがある。
「銃声を聞くと、いまだにドキッとする」
「おじさん、ほとんど後方にいたのにね」
「だからだろうな」
人類同様神々も火薬式の火器を多用した。ゴールドマンも銃撃戦に巻き込まれたことがある。あの時は死ぬかと思った。己は科学者であって戦士ではないのだから。唯一と言っていい武器はモニカの"ニケ"だけ。その取扱いスタッフが主な仕事だったのだから。
「僕は無力だ。体を張って戦った君や多くの兵士たちの方がよほど偉大だよ。今だってそうだ。究極の生命を作ると言って、人間の代わりに戦う運命の子供たちを生み出し続けている。それしかできない。歳を重ねるたび、自分のみじめさを思い知る」
「そんなことない。おじさんはペレを治して喋れるようにした。子供たちが幸せになれるよう最大限に働いた。科学者としての筋を通してきたじゃない。傲岸不遜な天才科学者はどこにいったの」
「君は変わらないな」
「そりゃそうよ。子供の時のまま。無限に体力も気力も溢れてる。落ち着いてはきたとは思うけれど」
ゴールドマンは、老いとはどのように訪れるのかを知った。知識としてではなく、実感として。自分自身の体験として、目の前の不老不死の女性との対比の中で確信したのである。
「いつか老いや死はなくなるんだろうな。そうなったら、死のない世代はどうやって死について知るんだろう」
「どうかしらね。ただ、それが途轍もない変化を伴うことだけよ。分かるのは。遺伝子戦争と同じくらいにね」
二十一世紀初頭は、テロとの戦争の時代だったと言われている。現代は違う。テロとの戦争は時代遅れとなり、次なる戦争に備えた準備が着々と進んでいる。呼び名は様々だ。統一の時代。平和の時代。備えの時代。後の世の人々が、名前を付けてくれることだろう。
遺伝子戦争が人類に与えた影響は多岐に渡る。思想。テクノロジー。異種族とのファースト・コンタクト。破壊。多くの文化の断絶と喪失。そして、死。
地球人口の七割が失われた影響は途方もないものだった。人類文明の構成員は究極的には代替可能であるが、それは交代が緩やかに行われた場合だ。わずか二年で七割。いまだに正確な統計は出ていないが、五十億前後の人命が失われたのだ。多くの知識や技術、伝統は失われた。丸ごと消え去った民族も多い。唯一人類にとってプラスに働いたことと言えば、人材を無尽蔵に補充して不死身のごとく復活してくるテロ組織もこの時に大半が消滅したことだろう。構成員の供給先が消滅すれば、仮に頭が生き残っていたとしても消えてなくなるよりほかはない。戦後もそれらは復活することはなかった。求心力を発揮できなかったのだ。国家間の反目も見てわかるレベルではなくなった。大規模な人的被害と誰の目にも明らかな分かりやすい敵の存在は、皮肉なことに人類をひとつにしたのだ。
恐らく現代は、史上類を見ないほどに人類がまとまった時代なのだろう。
不死の世界が到来すれば、おそらくそれに匹敵するほどの激変が、人類を襲うはずだった。もちろん、一見しては分からないほど緩やかに訪れる可能性はあるにしても。
「ほら。歳を取ったっていっても、おじさんはまだ折り返し地点を過ぎたくらいでしょ。うちのおじいちゃんだってあと三十年は生きそうな勢いなんだから」
「そうだな。あの人ももう九十か。それであれだけ元気なら、僕も見習わないとな」
「そうそう。それでこそおじさんだわ。ああそれと。
新年おめでとう」
「新年おめでとう。モニカ」
新年に沸き立つ中、ふたりは言葉を交わしていた。
―――西暦二〇五一年。門が開く前年、冥府の女王が蘇る三か月前の出来事。
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