一度あったことは二度目もある

「覚悟しておくんだ。一度起きたことは必ずもう一度起きる。僕らの生きているうちに」


【メキシコ合衆国 メキシコシティ インブルサ水族館】


水の中だった。

明度を落とされた電灯に照らされているのは巨大な水槽。そのトンネル状になった通路の座席に腰かけ、行き交う海洋生物を眺めている二人組の姿があった。

「なんでこんなとこに来てんだ?いつも見てるだろうに」

「単純に僕が好きだからだよ。駄目かな」

エイの腹部を見上げながらの呟きに答えたのは、Tシャツの上から上着を羽織り、ブーツにデニム地のホットパンツを履いた中性的な美女。いや。どこか男性的な特徴を備えた肉体は両性具有者であろう。最近はバイオテクノロジーの進歩と多様化する性別への意識の高まりによって増えてきたが、かつては少数派だった彼女はマステマ。隣に座る、フレアーパンツにシアーブラウスの銀髪少女はフランシスである。

「まあ駄目じゃねえけどよ」

「ならよかった」

頭上を通り過ぎていく魚は一見大差ないように見えて、実に様々だ。鰓を動かしているエイの様子。あの小さいのはサメの仲間だろう。定番のカクレクマノミもいる。メキシコ最大の水族館は伊達ではない。

「見て。彼らの一見雑然とした、しかし確固たる規則的な動きを。ここの生物は慎重に管理されているが、それを度外視しても自らがそれを構築しているんだ。秩序や構造を自然と作り上げているんだよ」

「自己組織化か……」

フランシスの答えに、マステマは頷いた。

「自己組織化は奇跡的な現象だ。エントロピーの増大に対する、ささやかな叛逆だよ。それがごく局所的なものに過ぎないにしてもね」

「大洋は生命の故郷。だな」

「太古の昔。五億と五千万年ほど前、一匹の動物でいるというのは極めて単純なことだった。小さな鞭毛を動かして海水と酸素を取り入れながら、栄養源の分子をこしとる。あるいは繊毛をわさわさと動かして海底を這いまわり、バクテリアを食べていたかもしれない。それですら祖先と比較すれば驚くべき進化だ。自己複製を繰り返すだけの複雑な分子鎖だったころよりもずっとね。それが現代じゃあ脳やニューロンすら持ち合わせている。細胞膜で仕切られた無数の細胞の集合体が、電気信号と化学物質のやり取りで知性すら創発して」

「渋滞や経済の停滞だって自己組織化の結果だ。いいもんばっかりじゃあない」

「分かってるよ。だから僕は海を終の住処と決めたんだ。あんまりよろしくないものから目を逸らすためにね。

水の中はいい。進化の始まりから終末までが一望できる」

自己組織化は生物や非生物。分子スケールから社会や天体、銀河。宇宙スケールに至るまで、あらゆる領域で見ることができる。それは万物を構築する奇跡にも等しい現象なのだ。

中でも、水中。液体の水と言う宇宙では希少な物質の中では、極めて特殊な自己組織化が進む。生命と呼ばれるものがそれだ。

「僕は隠棲するつもりはないが、積極的に世界に関わっていくつもりはない。君と違ってね」

「海の中ですべてを見た気になってるってか?」

「いや。単に二度目を目の当たりにするのはこりごりだ。と言ってるだけだよ」

「……また門が開くと?」

「そうさ。少なくとも僕が生きている間にもう一回起こるだろう。それは確実だ。何しろ僕らには永遠の時間がある。無限の機会があれば、どんなに確率が低くてもそれは起きるだろう。

フランシス。君も覚悟しておいた方がいい。次は必ず起きる。生きている間にね。それがせめて、愛する人々がいなくなるまでは起きませんように。と祈っておくことだ」

「……呪ってるのか警告してるのかわからねえな」

「僕としては警告しているつもりだけどね」

よっこいしょ。と両性具有の人類側神格は立ち上がった。

「さ。暗い話はこの辺にして、もっと明るい所に行くとしようか」

「暗くした張本人がよく言うぜ」

フランシスも立ち上がると、ふたりは通路の奥へと消えていった。

水槽の海洋生物たちは、そんな様子を気にすることもなく泳ぎ続けていた。




―――西暦二〇五〇年。再び門が開く一年と四カ月前の出来事。

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