忘れ去られるものたち

「時々思うの。永遠に生きる知性強化動物たちに、有限の命しか持たない家族を与えるのは果たして正しいのか?って」


【東京都 水道橋駅付近】


昔ながらの屋台だった。

そこでラーメンを食べているのはふたりの男女である。どちらもスーツを身に着け、仕事帰りであることが伺えた。

「どうでしょうね。でも、人間だってそんなにすぐに亡くなるわけじゃあない。子供たちが独り立ちできてからだって、何十年も生きる」

それに。と、男女の片方。刀祢は続けた。

「結局のところ、子供に必要とされる愛情は大人になれば不要になる。僕も子供を三人育てて思い知りました」

「刀祢君のそんなところ、尊敬する」

ビール片手の刀祢に答えたのは志織。こちらは酒は頼まず、トッピング山盛りのラーメンをゆっくり食べている。

このような屋台は一時消滅の危機にあったが、遺伝子戦争はその流れを変えた。取り締まりを行う警察力と行政のリソースの低下と、比較的損害の軽微な首都圏に流入した避難民によって復活したのである。それも戦後三十年以上を経た現在ではやや減少傾向にはあった。

「二百万年後まで人類を存続させなきゃいけませんからね。父さんの願いだ」

「えらいなあ。私は家族を作るなんて無理。もう失いたくないもの」

「僕もそうです。また家族を失うのは考えたくない」

志織の実家は神戸にあった。門が開いて以降、家族や親類のほとんどは消息不明だ。わずかに残った血族とも疎遠だった。仕事一筋で生きて来た結果である。

「今の世の中でよかった。婿を取れとか言われなくて済むし」

「志織さんに釣り合う男なんているんですか?」

「さあねえ。友達は伴侶を見つけたけど」

トッピングの卵をむしゃむしゃ。神格は酒に酔うのを不可能にするから、志織も基本的には酒は飲まない。その分たくさん食べる。この歳でいくら食べても太らないのも神格の力だった。そもそも普段から消費エネルギーが莫大だ。

「二百万年後かあ。その時まで生きてたとして、今の時代のこと覚えていられるかな」

「難しそうですか」

「ええ。たった30年前のことでさえ、年々記憶が薄れていく。記憶と記録が食い違ってたりするし、だんだん記憶が単純になっていってはっとするもの。脳みその容量なんて結局普通の人と変わらないわけだしね。都築博士に聞けばもともと記憶は誤りやすいものだ。って答えが返ってきたんでしょうけど」

「ええ。人間はもともと自分で記憶を改ざんしてしまう、って言ってましたね」

刀祢は父の話を思い出そうとした。この内容自体が自分で記憶を改竄した結果かもしれなかったが。確か、完全に誤った記憶を植え付けることが可能なのかどうかと言う実験についてだった気がする。被験者とその家族から過去について聞き取りをし、四つの物語を作る。三つは事実に基づいているが、ひとつは完全な創作だ。子供のころにショッピングモールで迷子になったが、親切な高齢者に発見され、最終的に親と再会するというものである。被験者は一連の面談で四つの物語を聞かされ、そのうちの四分の一以上がモールで迷子になったことを覚えていると言ったのだ。それは時間を置いて尋ねればより具体的な内容について話す事さえある。そんな事実は存在しないにも関わらず。

「多分遠い未来には、今こうしてあなたと話していることも忘れているかもしれない」

「いいんじゃないですか。そのころには僕ももうこの世にいない。志織さんはこれから先、無数に出会いと別れを繰り返していくんです。父さんは言ってました。学習は忘却こそ重要だって。僕がいたという痕跡は志織さんの脳にずっと刻まれる。忘れて行ったことの全てが学習を強化していく」

「そういうところ、お父さんとそっくりね。刀祢君」

「ありがとうございます。…ほめてもらってますよね?」

「ええ。もちろんね」

ふたりは、微笑んだ。

やがて話題も尽きた頃、ふたりは帰路についた。




―――西暦二〇四九年。人類が不死化技術を手に資てから三十二年、第一次門攻防戦の三年前の出来事。

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