家族になった日
「…………ぁ……zzzz」
【西暦二〇二一年 イタリア共和国エオリア諸島サリーナ島 ベルッチ家】
激しい雨だった。
家の外を包み込んでいるのは静寂。膨大な雨量が生み出す音の連なりはあらゆるノイズをシャットダウンする。重く垂れこめた雨雲と共に、雨は家を優しく包み込んでいた。
だからパオロが来訪者の気配を察知したのは偶然である。たまたま玄関の近くにいたために、何者かがそこに立っているのに気付いたのだった。
「―――どちらさんだい?」
「父さん、私よ。ごめん、手がふさがっているの。開けてくれる?」
聞こえてきたのはよく知った声。長い間行方不明だった娘。二年前突然、褐色の肌の少女を連れて帰還を果たした我が子。今も軍の計画に参加し、島とナポリを行き来する生活をしているモニカの言葉が、扉の向こうから響いたのである。
もちろんパオロは、鍵をあけ扉を開いた。その向こう側にいたのは見慣れた娘とペレ。そして、斜め後ろに佇む、眼鏡に銀髪の若い男。雨滴が三者を避けていくのは娘に組み込まれたという機械の作用だろう。いまだに理屈がよくわからないが異世界の超技術である。役に立つなら気にしてもしょうがない。
それより目を引いたのは、娘が抱きかかえていた小さなおくるみ。
その顔を見たパオロはギョッとした。それは赤ん坊だったが、しかし人間とは明らかに違う顔立ちをしていたからである。
毛のまだ生えていない、獣の赤子だった。
「モニカ。それは一体」
「そうね。説明する。この子が何なのか、みんなに。リビングでいいかな。彼の紹介もしないといけないし」
モニカにつられて、パオロは視線を銀髪の男に向けた。相手は軽く会釈する。何者だろうか。スーツにネクタイ。そしてコート。理知的な顔立ちをしているが。
「……まあ分かった。中に入れ」
皆が家に入り、玄関が閉められた。
◇
「彼はウィリアム・ゴールドマン。この子を作ったひと。私はこの子たちを彼から守るために連れて帰ってきたの」
モニカの言葉に、集まってきた家族は皆、怪訝な顔をした。
祖父母。両親。家に住む、モニカの家族たちの皆が。
「みんなニュースは知ってると思う。九尾。エンタープライズ。虎人。今までに三つが生まれて来た知性強化動物。神々の兵器を組み込むために作られた、人間の代用品。
この子もそれと同じ。四番目の知性強化動物、"リオコルノ"。
今日から、わたしの娘になる」
「モニカ。ずっとナポリで関わってたのはそれか」
「うん」
ニコラの問いに、モニカは頷いた。
続いて疑問を口にしたのはパオロ。
「事情は分かった。お前の決めた事なら俺からは何も言うことはねえ。だが、ゴールドマンさんだったか。この兄ちゃんから守るってーのはどういうことだ」
「戦争中彼が私にしたことを、この子たちに繰り返させないためよ。生きたまま解剖したり。体の中に爆弾を埋め込んだり。腕と腰から下がなくなった私を、薬物漬けにしてせん妄状態にしたり。他にもいろんなことをした。
気分のいい話じゃないから今まで言わなかったけれど。
彼だけじゃない。政府。軍。世界。そういったものから知性強化動物を守るために、わたしはこのプロジェクトに参加したの。人類はこの子のような子供たちをこれからたくさん作る。もうこの流れは止められない。それが誤った方向に行かないように見守りたいの。
だから、お願い。力を貸して」
一同は無言。それはしばし続いた。激しい雨音の中、やがて口を開いたのは少女の父親。パオロだった。
「……ゴールドマンさん。今モニカが言ったことは本当か?」
「はい。事実です。僕が彼女の。神格"ニケ"の取り扱い責任者だった。今彼女が語った通りのことをやりました。モニカがリオコルノの扱いに懸念を覚えるのも当然だ。だからあなた方には証人となって欲しい。知性強化動物の成長は可能な限り公開され、国連の監査も入ります。けれどそれだけでは足りない。できるだけ多くの人の目で見てほしいんです。僕たちが誤った方向に進んだ時、止めてもらえるように」
答えを引き出したパオロは、しばし目を閉じ、眉間にしわを作った。更には指で眼球をもむ。
「……娘になんてことをしやがった」
不意に立ち上がったパオロは、ゴールドマンの首根っこを掴むと無理やり立たせた。かと思えば、渾身のストレートパンチ。
一瞬の早業だった。
日頃の農業で鍛えられた屈強な肉体の前では、ひ弱な科学者に抵抗する余地などない。
咄嗟に止めようとするモニカを、ニコラが制した。
「来い。女子供に見せるもんじゃねえ」
告げると、ゴールドマンを引きずるように部屋を出ていくパオロ。モニカへ目配せしたニコラは、続いて部屋を出ていく。
ややあって、激しい殴打の音。それが何発も響いてくる。雨音のカーテンでも覆い隠せないほどに。
残されたのは女性陣とそして、知性強化動物の赤ん坊。
「……モニカ。その子、名前はあるのかい」
モニカは。この、十二歳の肉体を保ったままの女性は、母アニタに答えた。
「リスカム。
それが、この子の名前よ。母さん。」
「リスカム……」
アニタは赤ん坊を受け取ると、自ら抱き上げる。異形であったが、しかし今日からは一家の一員なのだ。
穏やかな寝息を立てているリスカムを、アニタはいつまでも抱いていた。
【西暦二〇四四年 太陽系火星 北半球アルカディア平原 ベースキャンプ】
「喜べ。郵便が届いたぞ」
ジョン・タイソン博士の言葉に歓声が上がった。火星での生活は過酷である。地球から定期的に届くニュースや家族からの手紙は数少ない楽しみのひとつだった。
時刻は地球標準時で既に夕刻。外は真っ暗だったが、ベースキャンプのドーム内では関係ない。探査隊の皆が自分の端末に振り分けられた私信を、思い思いの場所で開いた。
「―――生まれたんだあ」
探査隊のひとり。唯一の知性強化動物であるリスカムは顔をほころばせた。端末の画面に映っていたのは、見慣れた新生児室の様子だったから。
人間の赤ん坊に似ている。まだ毛も生えそろっていない彼女たちはしかし、人間にはありえない特徴を幾つももっていた。尻尾がある。柔らかな袋の被さった、未発達の角がある。頭蓋骨の形が違う。
リオコルノよりはやや平たく人間寄りの顔を持つ赤子たちが、自分たち同様の鯨偶蹄目をベースとしていることをリスカムは知っていた。とはいえ生物学的にはかなり離れた種だったが。
第三世代型知性強化動物、"フォレッティ"十二名だった。
この新たな妹たちも、近日中には保護者が決まるのだろう。基地と家庭を行き来しながら、愛に包まれて育つのだろう。
今年はよい年だ。本気でそう思う。
初めて火星の土を踏んだ。ペレの治療も成功した。新しい妹たちが生まれた。
願わくば、来年も。再来年も。ずっとその先も。
よい年であり続けますように。
リスカムは、願った。
―――西暦二〇四四年。モニカが人類側神格となって二十七年、リスカムが誕生してから二十三年目の出来事。
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