フェイクとの戦い

「動画は恐怖をあおるのに最適な武器だ。人間は危険を察知するのに視覚情報へ大きく依存するよう進化した」


【埼玉県 県立高校教室】


「人工知能の発達とソーシャルメディアの普及は、偽情報の自動生成と拡散に一役買っている。ビデオゲームとハリウッドの映画技術が合わされば不可能なことは何もない。今やどんなフェイク動画やフェイク音声でも合成できるんだ」

刀祢は教室を見回した。授業を受けているのは生徒たちが20人ばかり。それを挟んで教室の後ろにはもう一人、教師がいる。産業の高度化と科学の急速な発展。そして、神々の再侵攻への恐怖は政府や経済界による教育への投資を加速させた。遺伝子戦争で手に入れた科学技術の理解と運用にはそれが必要だと考えられたからである。公立学校の教員は戦前よりも大幅に増加し、教材研究に充てられる時間もずっと増えた。少人数で目の行き届く授業を行うのも恩恵のひとつだ。

「フェイク動画のそもそもの始まりは1960年代、コンピュータによる画像生成が考案されたことだ。この素朴なアイデアの目的はフィクションを生み出すデジタル世界の創造にある。当初はアーティストが3次元モデルに手書きで書き加えるという手間のかかる手法だったが、2000年頃には一部の研究者が別の考え方を始めた。個別モデルを作るのではなく、コンピュータに画像を作り出す方法を教え込んではどうか?とね」

ネット上のもめ事は厄介な問題だ。都築博士も九尾たちのSNSの利用については神経をとがらせていたし、はるなを見ている限りでは現在の状況も変わっていないように思える。この辺は各国とも同じであろう。

ましてや、知性強化動物ほどの人的資源リソースをかけられない高校生たちが誤った道へ進むのを阻止するのは極めて難しい。若者の脳とはまだ抑制が不完全なものだという事実を刀祢は知っていた。

「2012年にはディープラーニングが進展した。これは膨大なデータから情報を学習させる技術だ。「これは顔だ」「顔ではない」のように教えていくことで判断できるようになるわけだな。これをさらに推し進めると、現実そっくりの顔を作り上げる事が可能になった。音声や背景についても同様だ。もはや現在の技術で作られたフェイク動画は、人間の目では判別することができない。それをごく容易に誰でも拡散できる時代になった。

もちろん対抗手段は存在する。フェイク動画を検出して目印をつけるAIなどはその一つだな。だが、これはいたちごっこだ。フェイク動画も検出されないように進化していくし、検出技術もそれを追いかける形で発展していく。事後にフェイク情報を取り締まる現在の手法は不十分という指摘もある。

なんにせよ、偽情報は時に人を殺す事がある。選挙。中傷。軍事。2015年にロシアのジェット戦闘機がマレーシア航空17便を撃墜した時、ロシアがやったのはウクライナに罪を着せることだった。ニュースでウクライナの戦闘機が17便を撃墜した、という偽の衛星画像を流したんだ。

このような国家的犯罪ではなくとも、例えば虎が動物園から逃げ出した、という書き込みをするだけで地域社会を混乱に陥れることは簡単だ。面白がって偽情報を流す事例は後を絶たないし、金のためにやる者もいる。開き直って「問題を提起するためなら偽情報の拡散も許される」という人間さえいまだにいるが、とんでもない。僕らのような大人は本当に、デマで人が大勢死ぬ時代を生きて来た」

おそらく生徒たちには実感が湧かないだろう。やむを得ない。伝える事に意味はある。遺伝子戦争ではあらゆる形の流言飛語も飛び交った。正しい情報を手に入れる方法などどこにもなく、混乱の中で恐ろしい事件が無数に起きた時代だったのだ。

「結局のところ、最後に情報の真偽を問うのは一人ひとりの人間だ。学校の授業が何のためにあるか?と言われれば、君たちが社会で生きていくため。そして君たちが他の人を傷つないため、と僕は答える。

―――時間だな」

ちょうどそこでチャイムが鳴った。刀祢は授業を終えると、挨拶。教室を後にした。




―――西暦二〇四〇年。ほぼ完全な画像合成技術が出現してから二十年ほど経った年の出来事。

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