サバイバル

「人間は驚くべき能力を発揮するものだ。必要なのは二つ。最後まであきらめない意志と、そして創意工夫だよ」


【西暦二〇一六年四月十二日 奈良県山中】


樹冠が、まるで枝分かれするかのように裂けていた。

木漏れ日が降り注ぐそこは、木々の枝葉の間にできた隙間である。まるで譲り合うかのように生じた裂け目が、実際には激しい生存競争の果てに生まれた軍事境界線なのだということを刀祢は知っていた。風によって揺れる樹冠がぶつかり合い、自然と譲り合うような形の空間を作るのだ。

「自然は安定を好む、か……」

かつて父が言っていたことを思い出し、刀祢は山道を進む。

額からは汗。背負ったリュックは貰い物だ。旅の途中、過疎地となった山間部の集落で手に入れた。数日の宿を提供してくれた老人がくれたのだった。逃げないのかと聞いた刀祢に、彼はこう答えた。「わしももう歳だ。連れ合いの墓のあるここで死ぬよ」と。

神戸を壊滅させた侵略者は、兵庫県を北上。そして反対方向である瀬戸内海から、四国に向けても侵攻を拡大させているらしい。らしいというのは情報が錯綜しているからだった。あの"神々"は一体何なのか。地盤ごと山々を削り、あるいは海水をキューブ状にして持ち上げては"あちら側"へと運び去っているのだとか。神戸の周囲を持ち上げたあの不思議な力と同じものだろう。神戸の沖に巨大な翠の穴が開いたあと、山の中を彷徨う自分を助けてくれた自衛隊員はどうしているだろう。分からない。もう死んでしまったのかもしれない。そもそも、反撃は今も行われているのだろうか。

人口密集地を避けて移動してきた刀祢には分からなかった。都市部は避難しようとする人々があふれて交通網が麻痺し、流通が滞った事で物資不足は深刻だ。停電は頻発しガス供給もいつまで続くか。見切りをつけ、もはや満足な水や食糧すら得られない避難所を出てきたのは正しかったのか。山間部を通って移動してきた刀祢の進みは遅い。しょせんは11歳の肉体にこの強行軍はこたえる。

目指すは、静岡。そこに住む祖母を頼るのだ。もはやたどり着いたとして、無事である保証などないが。

水を一口。これも貴重だ。猟師だったという老人は色々と山越えに必要な知識を教えてくれた。生水は飲むなと言うのもそのひとつ。水筒の中に入れるのは必ず沸かした水だ。昆虫食。茸は決して食べてはいけないということ。本当にどうしようもなくなった時のための、食べられる植物を知るための可食性バッチテスト。蛇の捕まえ方。小屋の作り方。小動物を捕らえる手製の罠は何十も設置する必要があるということ。実践できそうなものもそうでないものも全部メモを取った。思い返せば並みの知識量ではなかったが、あの老人は本当は何者だったのだろう。

やがて、尾根に出た。

「わあ……」

陽光に照らされた山々が、その姿を現した。

老人は言っていた。大地は隆起と浸食で出来ていると。だから山の形には必ず意味があるのだと。

その通りだった。

目星をつけると、山を下り始める。日が傾く前に野営地を決めねばならなかった。可能であるならば、今日の夕食も手に入れたいところだ。

刀祢は、先へと進んだ。生命溢れる緑の世界の中を。



【西暦二〇三八年 埼玉県 さきたま史跡の博物館】


あの日と同じ青空だった。

ここは地元の史跡博物館。その屋外に設けられた体験コーナーで館員の指導の下、何組もの親子が取り組んでいるのは火おこしである。原始的な道具を用いてのそれに挑戦する息子の姿に、刀祢は昔を思い出していた。

遺伝子戦争初頭、刀祢は徒歩で近畿圏から静岡までを旅した。麻痺した交通網に頼らず、山間部の集落を主に通って。幾つもの幸運に恵まれ、刀祢は旅を完遂しきった。特に最初の頃に出会った老人の教えがあったおかげだろうと今でも思う。老人は言っていた。知識は助けにこそなるが、最後にものを言うのは生きる意志とそして創意工夫だ、と。その通りだった。刀祢の頭脳と肉体は驚くべき生存能力を発揮したのである。餓死することも、病に倒れることも、大けがで動けなくなることもなかった。同時に、人間に備わっている能力がどう使われるべきなのかを深く学んだ。野球が得意だとモテるのは石を投げて獲物をとっていたころの名残ではないか、というのもその頃の私見だ。事実はどうなのかは分からないが。

あの老人はどうなっただろう。戦後の混乱で分からなくなったが、しかし彼から貰ったものは今も、刀祢の中にある。

息子へと目をやる。

相火は必至で火きり弓を動かしている。舞いぎりという手法だ。重りの付いた器具で棒を回転させ、摩擦熱で発火させる方法。なかなかにつかないが、だんだんと焦げ臭くなり―――

「ついた?」

館員が即座に手助け。相火の作った火種は、パチパチと燃え上がる炎へと成長する。

「ついた!」

「やったな」

息子をねぎらい、刀祢は微笑んだ。火を付ける事がどれほど難しいか知っていたから。

周囲であきらめる声。火のついた様子。様々な姿の中で、親子は火を見つめた。




―――西暦二〇三八年。遺伝子戦争開戦から二十二年目、都築燈火が門を開く十四年前の出来事。

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