大きな穴
「人間の適応能力は異常にも思える。だが、自然と見比べてみればそれがありきたりなもんなんだと気付くんだよ」
【アフリカ大陸タンザニア ンゴロンゴロ保全地域】
名前通りの
標高2400メートルもの外輪山に囲まれた盆地は巨大なクレーター。火山活動によって生まれたそこは、豊かな水資源に恵まれ、複雑な自然の水路と草地、低木。そして多種多様な動物の暮らす土地である。
300万年前から続く生態系に変わりはないが、しかしその地形は近年著しく変わっていた。数百メートルもの大きな、正方形の湖が幾つも出来上がっていたのである。もちろん自然に出来上がったものではなかった。神々によって人工的に作り出されたのである。そこにあった地盤を、生物資源ごと持ち去るという形で。
「これでもだいぶん回復してきたんですよ」
ハンドルを握るレンジャーは言った。外輪山の尾根を走る車道からは、クレーター内部の様子が時折見える。いつも、とは言えないのは植物が生い茂っているからだった。特にクレーターを囲む山々の東側にはインド洋から吹き付ける、水分を多く含んだ風が雲を作る。それは、インド洋側だけではなく盆地側にも流れ出ることで豊富な植生を生み出しているのだ。
「だろうな」
レンジャーに答えたのは助手席に座る少女。ラフな格好に銀髪が特徴的な彼女は、外をぼおっと眺めている。
フランシスだった。
彼女の視力は、はっきりとクレーター内の様子を捉えていた。専用の獣道である水路を行き交うカバの群れ。草むらに隠れるライオンたち。シマウマやハゲワシ。ここではサバンナで見られるほとんどの生物を見る事ができるのだ。
ふと、空が陰った。
見上げたフランシスが目にしたのは、低空をゆっくりと飛行していく二体の人型。向こう側が透けて見える水色の彼女らの大きさは、50メートルはあるだろう。馬を思わせる頭部に甲冑を纏い、槍を引っ提げた巨像。ケルピー級と呼ばれる第一世代型神格である。
「だいぶ様になってきたな」
「ええ」
ケルピー級はイギリスを中心に開発され、現在では様々な国家でライセンス生産されている神格だった。ここタンザニアでも配備が進んでおり、その総数は結構なものになる。
「戦時中は乗用車ぶった切って二輪馬車に仕立て上げてたってのになあ」
「もう二十年近いですからねえ」
フランシスは昔を思い出した。遺伝子戦争中、アフリカ全域でインフラが破壊し尽くされ、あらゆる物資が欠乏していたのだった。動かなくなった乗用車の天井と前半分を排除して牛や馬に引かせるという光景すら戦後しばらくまでは普通にあったのだ。
今は、核融合炉から供給される豊富な電力と整備された道路。上下水道。そして、教育。それらインフラに支えられた工業化が進み、経済成長は著しい。ケルピーのライセンス生産によって培われた技術を用いて、第二世代型神格の独自開発まで進めているほどだ。
会話に気を取られていたフランシスがふと横を向くと、ケルピーが並走していた。木々の向こう、こちらと同じくらいに高度を落として手を振っていたのである。
更にはフランシスの脳内無線機へコール。
『先生ー!』
「声がでけえ」
どうやら哨戒飛行がてらこちらの顔を見に来たらしいと悟ってフランシスは苦笑。時々訓練を付けてやっただけだがかなり懐かれていた。とはいえ職権乱用である。まあその辺は自分も同様だったが。今回も、彼女らの訓練をした後にちょっとした気晴らしがてら保護区内へ来たのだった。
手を振り返すと、ケルピーたちは高度を上げていった。あのまま通常の飛行ルートへ戻るのだろう。
フランシスはしばしそれを見送ると、視線を周囲へと戻した。
—――西暦二〇三六年。ンゴロンゴロが形成されてから三百万年、アフリカで人類が発祥してから二百万年ほど経ったある日の出来事。
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