十の化身

「キューバ産だそうだ。どうかね副長、君もひとつ。気が落ち着く」


【西暦二〇一六年九月 午後十一時 喜望峰沖 

  130メートル級戦闘警戒艦"波頭を砕く者号"戦闘指揮所CIC


もはや日常茶飯事である機器の誤作動に手を焼いていた副長は、上官より差し出された物体を怪訝そうに見た。細長く、植物を巻いたらしい形状である。相手。鳥相に船長服を身に着けた神が口にくわえているのも同じものだ。

「艦長、これは?」

「葉巻、だ。この世界の文化だな。火を付けて、煙に含まれる成分を摂取する。こんなふうにね。

おっと。環境AI。火を付けるがこれは異常ではない。換気のみ強化」

『承知いたしました、艦長。火災報知器の例外処理。換気を強化』

命令が受理されたのを確認すると、艦長はこれまた地球産の点火器ジッポーライターで着火。の先端に淡い火が灯り、煙をくゆらしはじめる。

その反対側をくわえた艦長は、息を吸い込んだ。

不思議な臭いが漂い、換気口から吸い出されて行く。

「とまあ、こういうふうに使うわけだ。頭がすっきりする。少しばかり有害成分が含まれているがね」

「はあ……」

まだ若い副長の要領を得ない様子に艦長は苦笑。まあ無理もない。似た嗜好品は神々の世界にもあったが、災厄時。超新星爆発以降、めっきりその伝統は途絶えてしまった。この異郷で数百年ぶりに煙草を手に入れた年寄りの喜びは理解できないだろう。味は故郷のものとはあまり似ていない。だがどこか不思議と懐かしい、そんな煙だった。

「この世界はいい。我らが故郷からは失われてしまったものが数多く残っている。素晴らしい」

「同感です。ですが、それらが時に厄介を引き起こしもします。いかに酷似しているとはいえ、やはりここは異郷です。豊富な海洋生物。異なる自然環境。重力分布も違いますし、凶暴な原住知的生命体も棲息しています。兵たちは最善を尽くしていますが、センサーの誤作動をはじめとするトラブルは毎日のように起こっています」

「分かっている。先日警報を鳴らした生き物は———クジラ、と言ったか。あれだって激突すればロクな事にならんが、それより厄介なのはの方だ。破壊工作を目論むヒトが接近してきた場合、うまくフィルタリングできそうかね?」

「技術班はもう少し時間が欲しい、と。やはり目視での警戒が必要です」

「やれやれ。科学がどれほど進歩しても、結局最後はになる、か。神格たちの様子はどうかね」

「三柱ともバイタルは正常。精神的にも安定しています。問題ありません」

「厄介な話だ。神格の信頼性が損なわれていなければ、こうも面倒をかけられることはなかった」

「はい」

副長は頷いた。"天照"の事故以来、神格の反乱は相次いでいる。可能であるならばひと時たりとも目を離さないのが最良だった。彼らが信用できるのであれば、哨戒の全てを任せてしまっても問題ないのだが。兵器としての神格には、それだけのポテンシャルがある。

「副長。異常です。兵員が一名ロスト」

「ふむ」

声をかけてきたのはオペレータの一人。彼の指すモニターに映し出されているのは、現在配置についている乗員のバイタルデータだった。

そのうちの一名の表示が消失ロストになっている。

「またセンサーの誤作動か?」

「環境AIに問い合わせます。……異常なし。ああ、バイタル取得を再開しました。やはり誤作動のようですね。空電のせいでしょう」

「厄介だな……」

最近は近距離でも無線環境は悪い。激化する一方の戦争のせいだった。神格をはじめとする超兵器群の威力は、遥か遠方の無線に影響を与えるほどのエネルギーをまき散らすのである。おおかたどこかでエネルギー兵器が用いられたのだろう。

納得しかけたオペレータと副長であるが、そこに異を唱えたのは艦長だった。彼はオペレータに指示を下す。

「待ちたまえ。音声で呼びかけなさい」

「はっ。もしもし。聞こえるか。CICより4番、どうぞ。繰り返す。CICより4番、どうぞ。……返事ありません」

「ふむ。カメラを」

オペレータは、命令に従った。

映し出されたのは月夜に照らされた甲板。地球のものとは異なる箱型の艦体は大半が水面下に没し、甲板と海面の距離は非常に近い。

そこまではいつも通りだった。それ以外の全てが、いつもと違っていた。

転がっていたのは兵員の死体。喉をかき切られたのだろうか。画像が荒いため詳細は判断できかねたが、彼のすぐ後ろにある艦内へのハッチは、開いていた。

「―――!?環境AI、侵入者はどこだ!」

『―――報告。侵入者の反応ありません』

「そんなはずはない、探したのか!?」

「やめたまえ。環境AI。ハッチからここまでの全通路のカメラ画像を。リアルタイムだ。それと全乗組員に通達。侵入者に警戒せよ。武器の使用を許可」

経験豊富な艦長は、時間を無駄にしなかった。混乱するオペレータに代わり、環境AIでも確実に実行できる命令を下したのである。

オペレータのモニターでは足りず、CIC内の全周囲壁面モニターに艦内の様子が投影される。

室内に揃った全スタッフが目を皿のようにして、侵入者を探し———

「―――!」

それは、影のようだった。

モニターの一角に映っていたのは、ポンチョを羽織り、目深にフードを降ろしたヒトの一団が素早く移動している様子。手作業によるものだろうか。彼らのポンチョに塗りたくられた幾何学的な紋様は、どこか不思議なまじないのようにも見える。対ロボット・対知性機械迷彩だった。

「クソっ!環境AIが反応しないのはこいつのせいか。こんなチープな手で!」

「落ち着け。間もなく彼らはここに踏み入ってくるぞ。警戒中の神格を呼び戻せ。環境AI、CICのドアをロック。誰も入れ———」

衝撃。

振り返った一同が目にしたのは、合わせ目が、防爆扉。

それは抵抗空しく、不可視のパワーによってより大きくなっていく。

「遮蔽を取れ!白兵戦用意!!」

副長の命令は、まるで悲鳴のようだった。銃を手に、制御卓や扉の左右へと身をひそめるスタッフたち。

やがては扉は、左右に開いた。

待ち構えていたCIC要員らによる一斉射撃は強烈だった。侵入者が何者であろうとも、まともに受ければ生命はなかったであろう。

だから、侵入者が無事だったのは銃弾の雨に耐えたからではない。命中する寸前で、そのことごとくがしていたためである。

分子運動制御によるものだった。

運動エネルギーの全てが熱量へと変換され、赤熱する銃弾のことごとくが落下していく。

踏み込んできたのは、顔を深くフードで隠した、ヒト。そいつは腕を一閃すると、その権能を行使した。乗員たちに対して、分子運動制御を行使したのである。

宙に持ち上げられ、そして落下する乗員たち。彼らはぐったりとしていた。体内の熱量を運動エネルギーへと無理やり変換され、消費されていたから。

著しく体温が低下し、無力化した乗員らを一瞥すると、ヒトは。いや。神々より離反した眷属人類側神格は、後続の仲間たちへと命じた。

「拘束しろ」

後続のヒトたちは速やかに命令を実行する。驚くべき手際だった。

「さあて。責任者は誰だ?」

人類側神格はフードを上げると、その素顔を露わとした。長く伸ばした銀髪を束ね、整った顔立ちは凛とした風格にどこか幼さも漂う。グラマラスな肢体と相まって、不思議な魅力を醸し出した少女だった。

「―――お前か」

「ぅ……」

細腕に見合わぬ剛力で引きずり起こされた艦長の顔色は悪い。そんな高齢者の様子も、人類側神格の感銘を呼び起こすに効果はなかったようだ。銀髪の少女は容赦なく、艦長を席に座らせるとその手をコンソールへ置いた。

「さあ。艦長の引継ぎと行こうじゃねえか。権限を委譲しろ」

「―――断る。環境AI、艦機能を不可逆破壊せ———」

「―――馬鹿が」

艦長は命令を言い終える事ができなかった。即座に喉を掻き切られ、事切れたからである。力を失う死体。

次に少女の視線が向いた先は、副長である。

「お前はこいつのような馬鹿じゃないよな?断れば今度は部下から殺すぞ」

「―――け、権限の委譲には、上級士官二名か艦隊司令部の承認が必要だ!艦長なしでは———」

「知ってるよ。遺伝子鍵の認証は死体からでもできる、ってのもな。声紋もとった」

少女が掲げたのは板状の機械。透き通るような黄金色のそれは、先ほどの声。艦長が言い終える事の出来なかった命令を再生した。

追い詰められた副長は、必死に逃げ道を模索した。

「―――だが、神格は艦長に登録できん」

「分かってるよそれも。オレたちの体は遺伝子レベルで極限まで改造されてるからだろ?いちいち言わせんな。何のために手下を連れて来たと思ってんだ?代用の肉体に使う以上、人間の遺伝子は遺伝子鍵として登録できる。少なくともこの艦みたいな比較的新しい船はな。

どうする?まだ何か言い訳があるか?それともあと2,3人殺すか?」

副長は、観念した。自らのコンソールに手を当て、要求に従ったのである。

粛々と、艦長。そして副長権限が委譲されていく。

異変が起こったのは、その作業の最中だった。後方より銃声が響いたのである。各所に分散していた兵員が集まってきたのだ。

廊下を挟んで銃撃戦が開始される。扉は閉まらない。無理にこじ開けた影響だろう。

「おかしら!敵です」

「分かってる」

少女たちの注意が逸れた一瞬の隙をついて、副長は通信機に飛びついた。更には現状、彼女が動かせる最大戦力。すなわちこちらに集結しつつある、三柱の眷属に対して命令を下したのである。

「CICに敵だ!!神格がいるぞ、私たちごと破壊しろ、今すぐ!!」

副長が言い終えるのと、少女に殴り飛ばされるのはほぼ同時だった。モニター上では眷属たちの戸惑う様子と、やがてそのうちの一体が身構える様子が映し出される。

甲冑で身を守った青い巨神の構成原子が、励起し、やがて臨界に達した。

—――ああ。死ぬ。

副長の脳裏に浮かんだのはその一点。自らの最期を彼女は、待った。

結果から言えば、最期は訪れなかった。何故ならば、艦の中枢目掛けて投射された重金属粒子の束。青い眷属の放ったそれは、吹き散らされたから。

虚空より顕現しつつある、黄金色の巨体が発した強電磁場によって。

「―――しばらく保たせろ。外はオレが片づける」

やがて、そいつは実体化を終えた。

黄金の怪物。透き通るような素材で出来たそれは、人型を基調として各所に様々な動物の意匠を凝らした甲冑のようにも見える。されどその質量はけた違いであった。高さこそ標準的な巨神同様の50メートルほどであるものの、前後に分厚く、そして異形なのだ。牛。馬。鳥。鹿。猪。それらの意匠を持った甲冑に身を包む巨体は、神像というよりは魔獣像と呼ぶべき姿であった。

少女に操られているのであろうそいつは、月夜の海。自らを取り囲む、三柱の敵神を見た。

斜め後ろの眷属が、その半透明な全身の原子を励起する。発光が臨界に達し、強烈なレーザーが投射されるのと黄金の魔獣像が手を向けるのは同時。

奇怪な事が起こった。

黄金の魔獣像は色を変えた。透き通るような硝子ガラスと化した巨体に直撃したレーザーは、無数に枝分かれし内部で。更には像の手に集まると、一方向へと射出されたのである。

レーザーを投射した当人。半透明の眷属へと。

自らの中心に空いた穴を呆然と見た眷属は、そのまま落下。水没しながら霧散していった。

それを見た残る二柱の眷属は、それぞれが攻撃を放った。火球を投じ、重金属粒子の束を放射したのである。

「無駄だ」

少女の言葉通りとなった。

火球は魔獣像の周囲を一周して元の軌道を戻り、重金属粒子の束は跳ね返ってやはり攻撃者を襲う。それぞれ腕を、頭部を砕かれる眷属たち。

魔獣像操る、強力な磁場の威力だった。

「仕上げだ」

魔獣像が。その巨大な甲冑がバラバラとなり、そして青い眷属へと殺到したのである。たちまちのうちに取り込まれ、身動きを封じられる巨体。

そして、そこから者が向かった先は違った。もう一方の眷属、火球を投じた敵へと突っ込んだのである。一振りの剣を手にして。

強烈な斬撃が、眷属を切り裂いた。

砕け散る敵神を背に振り返ったのは黄金の戦士。戦衣を纏い、兜で顔を深く隠したその姿は女性的なふくらみを備えた細身のもの。女神像であった。

もはや正体を現した女神像は、身動きできぬ最後の敵へと。強烈な刺突が繰り出される。

それで終わりだった。

外の眷属を全滅させた人類側神格は、部下に告げた。

「権限の移譲を進めろ。オレは艦内を掃除してくる」

制圧は、たちまちのうちに終わった。




【西暦二〇三四年 イギリス 捕虜収容所】


銀髪の少女だった。

捕虜収容所、管理棟でのこと。

かつて自らが副長を務める艦を奪った相手を前にして、ムウ=ナは茫然としていた。

「なんだよ。オレの顔になんかついてんのか?」

「―――お前は、あの時の……!」

「うん?ああ、ひょっとして会ったことあるのか。悪いな。覚えちゃいねえんだ。色々心当たりが多すぎてな。

ま、お互い恨みは幾らでもある。だがそれをほじくり返すのはひとまず止めにしとこうや」

少女―――人類側神格"ワルフラーン"、人間名フランシス・マリオン。通称、フランシス・"ドレーク"・マリオンはあっけらかんと言った。最後の大海賊との名も高きこの人物は、アフリカを主な舞台として遺伝子戦争を戦い抜いた伝説的傭兵団の長である。いや、長であった。遺伝子戦争の終結とともに部隊を解散し傭兵を廃業した、ということまではムウ=ナも知らなかったが、しかしその顔を見忘れることは決してないだろう。あの後彼女は、両手を縛られた状態で海に放り出されたのだから。部下たちと共に。

味方に救助されたのはムウ=ナだけだった。

「そんな目で見るなよ。そうだな。例えばオレだって言いたいことがたくさんある。お前らに命令されて、巨神で子供を握り潰した時の夢を未だに見たりするしな」

「……っ!

そう。そうよね。ごめんなさい」

「分かってくれりゃいい」

狭い部屋だった。採光は鉄格子のはまったちいさな窓のみ。机を挟み、監視の兵に見守られながら両者は言葉を交わしていた。

「何でオレが来たかは分かるか」

「……この子のことね」

ムウ=ナは下腹部へと手をやった。もはや人間の目からも明らかな、膨らんだお腹へと。

「私たちの子供はどうなるの?」

「お偉いさん方は揉めてる。決めかねてるってのが正直なところだ。生かすか殺すかは五分五分ってとこだな。覚悟はしといてくれ」

「……」

「オレがここに来たのは、生かすと決まった場合のためだ」

銀髪の人類側神格は、怪訝な顔を浮かべる神へと告げた。

「産婆をやれとさ。お前さんたちの出産なんて、誰も立ち会ったことがねえからな。なんでよりによってオレなんだか。そういう技術も脳にインストールされてるのは事実だが」

世界中の捕虜を調べたが、神々の出産に関する技術を持った者はいなかったのだ、とフランシスは語った。神々の世界では少子化が著しく進んでいる。そのような貴重な経験を持つ者が戦場に出されることはまずないから、当然ではあったろう。

「ま、そう言うわけだ。もしあんたとオレがもう一度会うことがあれば、それは吉兆だと思ってくれ」

「……分かったわ」

ムウ=ナは頷いた。



—――西暦二〇三四年。地球で初めて神々の子供が生まれる前年、フランシス・マリオンが傭兵を廃業して十五年目の出来事。

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