DNAはデジタル

「生命とは最古のコンピュータだ。命はデジタルなんだよ」


【イタリア共和国カンパニア州 ナポリ市街レストラン】


「DNAはたった4種類の塩基からなる組み合わせで情報を保存する紐状の物体だ。驚くべきことに、これは一部のウイルスを除くすべての生物に共通する。もっとも、種によって長さは異なる。バクテリアなら数百万だが、ヒトのDNAは三十億塩基からなる長さをもつ。いわば四つの記号によって記述されたデジタルデータなわけだ。これこそが生命の設計図と言えるだろう」

パスタをぐるぐると巻き取りながら話しているのはゴールドマン。対面ではよくわかっていなさそうなペレと、そして彼女の手にする録画機能をオンにされたタブレット。

「生命がデジタルデータを採用したのは、人類が電子機器を発明する遥か以前、生命誕生の頃からだ。何故それが可能だったかと言えば、生命は電気信号ではなく化学反応を用いた情報処理を行っていたからだ。アナログな方法だな。現実の物体を利用したんだ。四つの分子。ATGCの4種類の並び順でデータは表現できる。これを並べるために必要なのは分子の重合反応で事足りるんだ。

さらに、複製を容易にするためにDNAはAとT、GとCが向き合うと引力が働くという原理を持ち込んだ。このおかげで4つの分子を、例えばATGCという並びのそばに置くとTACGという並びが勝手に出来上がる結果になった。コピー出来るんだ。写真のネガとポジのようにね。表現が古いかな」

ゴールドマンは皿の上に具をよっつ、並べた。さらにその隣にもよっつ。

「このデータを部分的に読みだしたものがRNAだ。リボ核酸の略称で、リボース、リン酸、塩基からなる。こいつを経て生み出されるのがタンパク質だ。タンパク質はDNA同様の紐なんだよ。

もちろん目で見てもわかりはしない。あまりに細かいからね。それに絡まり合っている。」

絡まりあったパスタを皿のはしに置いた。

「このように、自力でデータの複製から復号、立体化までをしてしまうのがDNAの仕組みだ。工作マシンとコンピュータが一つになった素晴らしいメカニズムだよ。完成したタンパク質はその特性に從って様々な機能を発揮できる。

この仕組みは純粋な情報処理にも使用できる。対になる分子が結合する性質と、DNA鎖を操作する酵素を用いてね。DNAコンピューティングと言うわけだ。こいつは既存のコンピュータとは異なる挙動をする。かつては解を取り出すのが大変だったが、生命工学の進歩した現在ではだいぶ様子が変わってきた。すでに実験段階を越えて実用に供されているものもある。

このようなDNAを装置として捉える考え方は、近年ますます強まってきた。テクノロジーの進歩は早いが、しっかりと付いてきて欲しい。

さて。今日の講義はここまでにしておこう。

ペレ。もういいぞ。ありがとう」

ペレからタブレットを取り返すと、ゴールドマンは録画をオフにした。

これで教材の撮影は終わりだった。軍の広報サイト、一般向け及び子供向けの生命科学のページに掲載するための動画である。ゴールドマンはこの国における知性強化動物研究の第一人者と見なされている。こういう仕事も入ってくるのだった。

「さ。ペレも何か頼むかい」

「〜〜〜〜っ」

店員にペレのぶんの料理も頼むと、ゴールドマンは昼食を開始した。

パスタはだいぶん、冷えていた。




―――西暦二〇二九年。世界的なベビーブームの最中と報じられた翌年、生物学的情報処理が著しく進展した時期の出来事。

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