脳みそは大食らい
「脳が必要とする大量のエネルギーを蓄えているのは脂肪だ。人間が太るのは知性の証なんだよ」
【イタリア共和国エオリエ諸島サリーナ島 ベルッチ家】
「これ、お祖母ちゃん?すごい。とっても美人だね」
古いアルバムを見ているのはリスカム。大掃除の最中に発見したものを開いているのだった。
写っているのはベルッチ家の人々。ニコラとその妻。アニタ。その夫のパオロ。モニカ。などなど。
「おやまあ。随分懐かしいもんが出てきたじゃないか」
「あ、おばあちゃん」
横から覗き込んできたのはアニタである。彼女は懐かしそうに昔の自分の姿を見た。
「この頃は若かったわ。今じゃこんなおばさんだからねえ。前より太ったし」
リスカムからはお祖母ちゃんと呼ばれてはいるが、アニタはまだ五十代を過ぎたばかりである。肉体的には成人の孫を持つには少々早い。
もっとも、今は写真の面影はあまりないが。
「リスカムちゃんは太る心配はないね。軍隊でたくさん仕事してるんだろう?」
「うん。それにもうリスカムは太らないの。神格を組み込まれる前だったら太ったんだけど」
神格の管理下にある肉体は太る余地がない。食事を主体としたエネルギー補給では間に合わないからだった。代謝だけでも膨大なエネルギーを消費するし、その超人的運動能力を発揮すればたちまち蓄えたエネルギーを使い果たしてしまうだろう。それを補っているのは巨神からのエネルギー供給だった。さらには、発熱も第二種永久機関としての機能が処理している。神格とは巨神あってのシステムなのだった。食事はどちらかと言えば肉体を構成する各種物質の補給と言う意味合いが強い。
「前にゴールドマンおじさんが言ってたけど、人間が太りやすいのは優れた知性を持ってるせいなんだって」
「そうなのかい?」
「うん。人間の大きな脳はたくさんの糖分を常に血液中から受け取ってる。そのエネルギーがほんの1、2分途絶えただけで致命傷になるくらい。だから人類は、脂肪にしてエネルギーを蓄えることを選んだの。現代みたいにたくさん食べ物が手に入る状況だと、太りすぎちゃうけど」
アニタは戦時中を思い出した。物資の供給が滞った日々のことを。農業と漁業が盛んなこの島はまだある程度自給自足出来たが、島の外は悲惨の一言だった。それでも、脂肪を蓄えるという人体の能力のおかげで助かった人はいたのかもしれない。
それを思えば、太りやすいという能力は現代でもミスマッチとは言い切れないのだろう。
「人間には脂肪を合成する能力があるから脂肪分0の食べ物を食べても太れるの。すごい能力だよね」
「そうだねえ」
物は言いようであった。太るのも凄い機能と、最先端の生命工学の結晶に言われれば悪い気はしない。
会話しながらもアルバムのページをめくるリスカムは、ふと手を止めた。写っているのは見慣れない少年。
「ジュリオだ。モニカのお兄さんだよ」
「このひとが……」
「ああ。門がすべて閉じた年だったね。一月のことさ。乗ってた船が沈んだ」
遺伝子戦争では多くの船が沈んだ。軍艦も民間船舶も関係なく。神々は知っていたのだ。物流を止めれば人類文明は死ぬと。遺伝子資源の奪取の障害である人類に対し、徹底的なダメージを与えることを画策したのである。それを阻止するため、多くの軍人が命を散らしたのだった。
「ジュリオが兵学校に入ったのは、モニカを探すためだったのさ」
「お母さんを?」
「ああ。海軍の士官なら船に乗って世界中に行けるからね。モニカが行方不明になってから、あの子はずっと悩んでた。島に留まってられなかったのさ。
軍であの子達が再会したのは、神様の思し召しだったのかもしれないねえ」
「そっか……」
しんみりとするふたり。
やがて気を取り直した彼女らは、アルバムを閉じると片付けを再開した。
古いアルバムは、リスカムの写真が閉じられた新しいアルバムとともに仕舞われた。
―――西暦二〇二八年。ジュリオ・ベルッチが神々の捕虜となって十年、フランソワーズ・ベルッチ誕生の十四年前の出来事。
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