安らかなる眠り

「眠りをなくすことは困難だ。脊椎動物みなが採用していることからも、それは明らかだ」


【イタリア エオリア諸島サリーナ島 ベルッチ家】


「そう言えばゴールドマンおじさん。もう、リスカムは歯磨きしなくていいの?」

土曜日の朝のことだった。知性強化動物に問われたのはゴールドマン。

「健康のために必要か?と言われれば必要はないな。神格は虫歯にならない。その他の疾患にもね。けれどやっておいたほうが良い」

「どうして?」

「物理的に取り除かない限りは食べかすが残るし、口臭の温床にもなる。なによりはしたない」

「そっかー…」

「さ。磨いておいで」

「はーい」

洗面台へ向かうリスカムを見送るゴールドマン。

「体は大人だが、まだまだ子供だな」

「たしかにね」

振り返ると、顔を出していたのはモニカだった。リスカムとは逆に子供の肉体と二十一歳になる実年齢を備えた女性は、苦笑しながら椅子に腰掛けた。

「ゆっくりと眠れたかい?」

「まあね。やっぱり家のベッドでなきゃ熟睡できない。なんでかしら」

「脳が習慣を覚えているんだろうな。神格を組み込まれる以前の」

モニカの脳は睡眠時、半分だけ眠るように出来ている。右脳と左脳を交代で休ませられるように作り変えられているのだった。神格一般の特徴ではなく長期行動を目的とした、彼女のような一部の神格のみの仕様である。さらに彼女は呼吸も食事も不要だった。巨神から供給される電力で賄えるようになっているのである。著しく肉体が損傷した場合はそうも言っていられず、通常の人間同様の食事や休息が必要となるが。そのお陰でモニカは惑星間航行すら単独で可能だった。年単位で巨神を稼働させられるからである。本来は星間通信のための能力。いつ来るかもわからぬ通信を待ち受けるための機能の一つだった。

「まったく。面倒な体にされたもんだわ」

「不満かい?」

「半分ずつだと、昔の夢を無理やり見せられる気がするから。おじさんに言わせれば、記憶を整理してるんだ、ってことになるんでしょうけどね」

「そうだな。レム睡眠時には大脳皮質が覚醒状態に近くなるが、刺激に応じてそれは過去の記憶を呼び起こす。記憶映像に合致するストーリーを脳が作り出すわけだな。

夢を見ない、と本人が思ってる場合でもそれは忘れているだけの事のほうが多い」

「忘れてるならそれで十分。どうせなら睡眠そのものがいらないようにして欲しかったけど」

「そうもいかない。睡眠は脳の損傷を修復する役割がある。睡眠なしでは神格もその不老不死を保てないぞ」

「不便ね」

「神々のテクノロジーと言ってもしょせん、自然進化で生み出された仕組みをいじくり回しているに過ぎない。睡眠の不要な脳を作るなら、人間を改造するよりは新しい肉体を設計した方が早いのさ」

「なるほどね」

「一口に眠りと言ってもその形は生物ごとに様々だ。深い眠りをするのは人間を始めとする哺乳類と鳥類だけで、それ以外の脊椎動物ではそうじゃない。一部の原始的な哺乳類もね。鍵があるとすればそのへんだな」

ゴールドマンはコーヒーを一口飲むと話題を変えた。

「ま、リスカムが元気そうで何よりだ。ペレにやられてへこんでると思ったが」

「あの子もしっかり休んで気持ちをリフレッシュしたんでしょうね。

その点は褒めてあげる。リオコルノたちに眠りを与えてあげたことを」

ゴールドマンは苦笑し、そしてコーヒーを飲み干した。




―――西暦二〇二三年。リオコルノとペレの演習より少し後、リスカムらがペレに対して初めての勝利をもぎ取る二年前の出来事。

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