演習

「本当に大丈夫なんだろうな?モニカ、ペレの手綱を離すなよ」


【イタリア共和国 ナポリ沖 高度十一キロメートル】


どこまでも続く雲海だった。太陽は輝き、大気はとてつもなく冷たい。自然が生み出したいかなる生命もたどり着くことのできぬ高度。

故に、雲を切り裂いて出現した巨体は、自然に形作られた者ではなかった。

大きく躍動する赤黒い肢体は、まるで溶岩。仮面で顔を隠し、簡素な衣を身にまとった精緻なる女神像である。背面飛行するは両腕を広げ、空の大きさを存分に堪能していた。顔が隠されていても分かる。その様は本当に楽しそうで、このような異常な環境下でなければ生身の人間と見紛うばかりであった。

不意には身をひねった。続いて飛び出してきたのは、矢。青白い金属でできた幾本ものそれが、溶岩の女神像のいた場所を立て続けに通り過ぎていく。強烈な———それこそ戦車でも木の葉のように舞うであろう威力の衝撃波を残して。

立て続けに飛来した百トンの質量を気にも留めず、は高度を上げた。

直後。

雲海より飛び出してきたのは幾つもの巨体だった。先ほどの矢と同じく青白い金属で構成され、腰には剣と矢筒。戦衣を纏い、大弓ロングボウで武装した、一角獣リオコルノの頭部を持つ巨人たちが上昇してきたのだ。三柱のは虚空より取り出した矢を大弓ロングボウと、膨大な熱量を注ぎ込んだ。

弓にプールされたそれは矢へと一挙に流れ込み、そしてその熱運動―――本来バラバラな分子の運動方向が束ねられ、慣性を無視して飛翔。射出時の速度は、音の三十倍にも及んだ。

一斉射撃。

巨人たちの攻撃は正確だった。だから、回避されたのは敵手の力量が卓越していたからに他ならない。

楽しそうに———本当に遊んでいるように巨躯をひねった溶岩の女神像は、虚空より輝く火球を。かと思えば両手で保持したそれを、まるでバレーボールのように無造作に投じたのである。

咄嗟に散開しようとした巨人たちの直前で孤立波ソリトン化したプラズマ火球は破裂。高エネルギーをまき散らし、感覚器センサーを一時的に盲目とする。

距離を取ろうとした巨人たち。そこへ第二射が投じられた。不幸な巨人の一柱が直撃を受け、その上半身をバターのように溶融させる。かと思えば一拍置いて、その巨体は砕け散った。

仲間の犠牲で稼いだわずかな時間。それで立ち直った巨人の一柱は剣を抜き放つと、女神像へ襲い掛かった。

強烈な刺突。女神像の心臓を正確に狙った一撃は、しかし静止する。女神像の二本の指に挟み取られていたからである。

反撃は致命的だった。押し当てられた掌より膨大な熱量が流し込まれ、そして破裂する。

斃した巨人への興味を失い、溶岩の女神は最後の敵手へ向き直った。大弓ロングボウをこちらに構えた相手の攻撃が放たれるよりわずかに早く、彼女は手を伸ばす。

—――背後へと。

女神の掌を貫通していたのは青白い矢。先ほど放たれ、回避されたそれは戻ってきたのである。主人の意のままに飛翔する誘導弾であったのだ。

必殺の奇襲を防がれた巨人はしかし動揺を抑え込み、新たな矢を放った。容易に躱せる間合いではない。速度でもない。

だから、溶岩の女神像は回避しなかった。飛来する矢を掴み取ると、最後の敵手へそのまま振りかざしたのである。

巨人は腰の剣へと手を伸ばしたが、しかし間に合わぬ。一気に距離を詰めた女神は、矢を巨人へと突き立て———

「はい、ペレちゃんストップ!!」

まさしくその瞬間、溶岩の女神像は静止した。背後より伸ばされたサファイアブルーの手。新たに出現した翼持つ女神像によって、引き留められたから。

「演習終了。みんな、お疲れ様」

演習の監督官———サファイアブルーの"ニケ"を操るモニカの言葉と同時に演習モードが解除され、撃破認定を受けて退避していた巨人たちが再び認識できるようになる。

その数十二。

それが、溶岩の女神像———ペレへと挑みかかったリオコルノ達の総数だった。

「よく頑張ったわ。さ。帰りましょう」

一同へ告げたモニカは、率先して降下していった。


【イタリア共和国カンパニア州 ナポリ海軍基地】


「やれやれ。ひやひやさせてくれるな」

ゴールドマンは汗をぬぐった。たった今終了したリオコルノ達の演習がもたらす心労故だった。

神格には高度なデータリンクシステムとそれを利用した演習モードがある。危険を冒さずに真に迫った実戦形式の訓練が可能なのだ。命中判定が出たり、あるいは演習区域外に届くと判定された攻撃は自動的に強化現実ARへと置き換わるのである。その有用性は明らかなため、人類製神格にも神々のものと同じ規格のそれが搭載されている。

とは言え相手がペレとなれば話は変わってくる。彼女は正常な神格ではない。いや、人類側神格は大なり小なり異常を発現しているものだが、ペレは別格だった。言語によらないコミュニケーションは可能と言っても、やはり言葉が通じない以上は不安があったのだ。ペレが仮想敵役をやりたがったのでやむなく、許可を出したのである。

ペレの戦闘能力は人類側神格の中でも群を抜いていた。でなければ、いかにリオコルノが性能で劣るとはいえ、十二人を相手にして圧勝などできるわけがない。それが彼女の言語野を犠牲にして発達した、特異な脳神経系のもたらす結果なのは明らかだった。偶然の産物なのか、神々によって意図的にこのようにされたのかは不明だったが。

オペレータからマイクを借りたゴールドマンは、上空の人類側神格たち。そして知性強化動物たちへと告げた。

「早く帰ってこい。熱いシャワーを用意して待ってる」




—――西暦二〇二三年。再び門が開く二十九年前、ペレが保護されて七年目の出来事。

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