少年と父と———神々の樹海外伝

クファンジャル_CF

第一部 少年と父と―――西暦2019年

知性強化動物のつくりかた

「父さんがしてる研究って、結局なんなのさ」


夕食の席でのことだった。

外は暗くなりつつある。リビングでちゃぶ台を挟み向かい合った父へと、刀祢とうやは問うたのだった。

「ふむ。そうだな。

簡単に言えば、動物の知能を引き上げる研究。かな」

「知能?」

「ああ。人間の代わりをしてくれる、すぐに育つ動物だ」

「動物でなきゃ駄目なの?人間のクローンとか」

「その案も最初はあったんだが、難しいという結論が出た。人道的な問題を抜きにしても人間は成熟に十数年かかる。間に合わない。

私たちがやっているのは、2年で大人になる知的な生物の開発だよ。

となると、人間とはかなり脳の構造から異なるものにせざるを得ない」

「どう違うの?」

「そうだな。例えばシマウマは生まれて45分したらもう走れる。おたまじゃくしだって泳ぎ出すし、亀の子供は生まれたらまず地中から這い出して海まで必死で歩かなければいかん。生まれついて行動できるわけだな。

だが、人間はそうじゃない。未成熟な状態で生まれてきて、脳の中はまっさらだ。歩くどころか生きることさえも覚束ない。立って歩くようになるだけでも、親が何年も付きっきりだ。

ここまではいいか?」

「うん」

「これは人間とそれ以外、どっちが優れているか、という問題じゃあない。脳の使い方の違いなんだ。人間の脳は生まれた時まっさらだが、ほかの生き物はある程度どうすればいいかが本能で決まっている。プログラムが書き込まれてるわけだな。

だからシマウマは生まれてすぐ歩くことができる。

だが、シマウマは決まった環境でしか生きられない。アフリカの限られた地域で生きることに特化しているんだ。人間は地球全土、それこそ赤道直下から南極にまで分布している———いや、南極には今は人間はいないがまあそれは置いておくとして。人間は後から書き込むことで、どのようにでも適応できる脳を持っているからだ。これはこの地球で、人間だけが生まれ持った特性なんだ。

人間は、時間をかけて学習して知能を獲得するという生存戦略を選んだわけだな。

そのためにも、親の負担は大きくなる。無防備な時期が長いからな。だから、人間は集団を作ることを選択した。いやまあ選択したというのは言葉の綾で、進化の過程で集団を作る個体群が成功した、という方が正しいだろうが」

「ふうん。でも、その期間を短くしようとしてるんだよね?」

「ああ。

そこが難しくてな。知能と成長速度は相反する要素だ。これをいかにして縮めるか、がわたしたちの研究の一番難しい所だよ」

言うと父は、コロッケをぱくり。

うまいな、と呟いてから続きを口にした。

「人間の脳はまっさらに生まれたあと、周囲から感覚刺激をたくさん受け取って、ニューロンの間にシナプスを作っていく。脳細胞同士の繋がりを作るわけだな。こいつを2年かけて行った後、刈り込んでいく」

「刈り込む?」

「ああ。使う部分のシナプスは強化していく。逆に、使わない部分は減らしてしまうのさ。例えば英語圏の人は"L"と"R"の発音の違いを区別できる。この部分のシナプスが強化されるからだ。けど、日本人は区別ができない。日本語にはこの二つの発音の区別がないからね。使わないうちに退化してしまうんだ。

こうやって環境に合わせて"最適化"していくことで、人間の脳は完成していく」

「なるほどなあ。じゃあ、動物の脳をまっさらにして、シナプスができるスピードを滅茶苦茶速くしたら解決?」

「というわけでもない。

人間は言葉を聞いて理解して話す事ができるが、動物の脳にはその機能はない。だからそいつを付け加えてやらなくちゃいけない」

「言葉かー。

やっぱり喋れないと困る?」

「もちろん困るが、それだけじゃないな。知性に言語は必要なんだ。少なくとも、私たちが知る形の知性には。

言語には構造がある」

「構造?」

「そう。

例えば1+1は?」

「2」

「うむ。

じゃあ、『1+1=3は真か偽か』という命題があったとしよう。

答えは?」

「偽でしょ」

「その通り。

数学は最も論理的な構造を持つ人工言語だが、言語には大なり小なり似た性質がある。すなわち物事を論理的に判断するための基盤になる構造だ。

1+1は2という事実を知っていれば、1+1は3ではないという答えは自然と導きだせる。それが論理構造だ」

「分かったような分からないような」

「そうだな。じゃあ、言葉なしで今の内容を考えられるか。そこをまず想像してごらん」

「無理だよ」

「うむ。無理だ。難しいことを考えるにはよくできた言語は不可欠なんだよ。だから言葉を理解する機能は必須なわけだ」

「なるほど」

「もっとも、人間の言語は物を考えるために発達したというよりはその逆だな」

「逆?」

「人間の脳は200万年前の祖先と大して変わっちゃいない。自然界で、聞き分ける必要がある音を判別するように進化してきた。言葉の方がそういう"自然の音"を理解する脳に心地よいように発達してきた。というのが近い」

言うと父は立ち上がり、冷蔵庫へ。

戻ってきた彼の手にあったのは缶ビールだった。ぷしゅ、とプルタブが起こされる。

「ふぅ。こいつはうまいな」

「飲みすぎは駄目だからね」

「ああ。

それでどこまで話したかな。そうそう。言語の発達の所までか。

人間の脳はそういう機能の流用の痕跡が至る所に見られる。文字を読む能力だって自然界の幾何学的な構造———直線や円なんかを認識する機能だし、音楽だってそうだ。それらの能力を獲得した上で、知性という形にまで昇華していったのは人間という生物の脳の凄さを表していると思う」

「凄いのか。やっぱり」

「そりゃそうだよ。人間が。いや、地球の生物が無価値なら、そもそも戦争は起きてなかっただろうな」

「……そうだね」

「戦争が終わったのは不幸中の幸いだ。平和な間に、できるだけの準備をしておくのが父さんの仕事だよ」

「僕は、何かできるのかな」

「勉強しなさい。科学技術はこれから先、急速に進歩していくだろう。人類史上例をみないほど急速に」

「うん」

「さて。ご馳走さまだ。父さんは先に風呂に入ってくるよ」

「分かった。食器だけ片づけといて。後で洗っておくから」

「ああ」




—――都築博士と都築刀祢の会話。西暦二〇一九年。遺伝子戦争終結の翌年、人類史上初の知性強化動物が生まれる前年の出来事。

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