ポンコツな高嶺の花は理想を守りたい

もちのき

高嶺の花はポンコツ?

 図書館で読んだ本を返そうと、本棚が立ち並んでいる中に入った途端、奥に黒い物体が見えた。気にせずに本を返すために奥に入ると、そこに蹲る丸い物体から、突如ぶつぶつと怨念のような声が聞こえてくる。


 喉からせり上げてくる悲鳴が出ないように口を強く結ぶ。危ない人がいる。


 そっと足を後ろに動かしたところで、その物体に見覚えがあることに気が付いた。


「高嶺さん?」

「へ?ひ、ひぇ!?」


 高嶺さんは丸まった状態で、器用にもピクリと跳ねる。


俺の姿をみた瞬間、顔が一気に真っ青に変わった。きっと、今の姿を見られなくなかったんだろう。俺はそっと高嶺さんから目線を外す。


 普段の高嶺さんからじゃ想像できない気の抜けた声。きっとこれは俺のようなモブが見てはいけないシーンだ。話しかけなければよかった。


 沈黙に耐えられなくなり、横目でそっと高嶺さんを確認すると、口を丸く開けてあほ面といってもいい表情を浮かべていた。学園の高嶺の花でもあほ面は本当にアホさがにじみ出るらしい。


 失礼なことを考えていると、高嶺さんがいきなり立ち上がった。


「にゃ、にゃんのようッ⋯⋯」


嚙んだ。今この人思いっきり噛んだぞ。


「えっと⋯⋯」


 これは突っ込んだらいけないよな。高嶺さんの白い肌が真っ赤に染まっていく。


「高嶺さん、大丈夫?」

「なんのことかしら?」

 

 高嶺さんは長い艶やかかな髪を手で払い、俺に冷ややかな目をむけた。顔は決まってるのに、何故か足をクロスさせてるせいで、体がプルプル震えている。


「いやさっき⋯⋯」

「さっき?なにかしら?」

「やっぱりなんでもない。ごめん」

「ええ、そう⋯⋯」


 無理があることに自分でも気が付いているのか、どこか気まずそうだ。


「じゃ、じゃあ俺はこれで」

「ちょ、ちょっと待っ!」


 後ろからべしゃっと人が倒れる音が聞こえた。恐る恐る後ろを見ると、そこにはうつ伏せになって綺麗なバンザイの状態になっている高嶺さんがいる。


 両端に並べられた本棚に当たらなかったことが奇跡だ。とても綺麗にこけるなと感心していると、呻き声が聞こえてきた。


「えっと、高嶺さん大丈夫?」


 流石に無視するわけにもいかないので、側に行きしゃがみ込む。


 ……返事がない。ただのしかばねのようだ。


「高嶺さん?」

「うっ」

「う?」

「うっ……。ぐすっぐすっ」


 え?もしかして泣いてる?


 あの高嶺さんが?あり得ないよな。普段の様子を考えると……。


 いやでも。先ほどの少し抜けてそうなただの女の子を思い出すとありえないわけじゃない気がする。


「えっと、高嶺さん?どこか擦りむいた?痛いのか?」

「うぅぅー」


 駄目だ。高嶺さんが小学生みたいな声出してる。幼児退行してる。


「と、とりあえず起きようか。綺麗な黒髪が床に触れるのはあまり良くない」


 綺麗に掃除されているように見える図書室の床だって実際は目に見えない埃や菌が蔓延っている。


 高嶺さんも流石に床に髪が触れて汚れるのは嫌だったのか、鼻を鳴らしつつもゆっくりと起き上がってきた。

 

 高嶺さんの腰ほどまである黒い艶やかな髪が床に広がっている。衛生面で良くないのはわかっているが、今時珍しい濡れ羽色の髪が放射線状に広がる光景は、誰が見ても綺麗だというだろう。


 俺自身、書いている小説の登場人物の容姿に参考にさせてもらったくらいだ。


「高嶺さん?大丈夫?」


 ずっと鼻を鳴らして、涙目である高嶺さんに再度話しかける。だが返事はない。


「まだ、床に髪ついてるぞ?」

「ふへ!?」


 高嶺さんが慌てて自分の髪を床から引き上げる。だが、髪を前に集めるようにして引き上げているせいか高嶺さんが貞子みたいになり始めた。


「……立った方が早いんじゃないか?」


 その手があったか!とでも言いたげな顔をしてこっちを見てくる。なんか、イメージの高嶺さんとだいぶ違うな。


 俺が立つと、高嶺さんが続いて立った。これで落ち着いたかと思いきや、また目が潤み始める。


「いたい……」


 高嶺さんが涙目でおでこを抑えている。


「どうした?怪我したか?」

「うっうぅぅーいたいよー」


 今にも目から涙があふれそうだ。


「ちょっと、額見せてもらってもいい?」


 恐る恐る手が退けれ、額があらわになる。覗き込むと、思いっきり顔からこけたせいか、額の真ん中が赤くなってしまっていた。


「あちゃー」


 これは痛いな。


「そ、そんなに私の傷口ひどい?」


 不安を覚えたのか、高嶺さんがいよいよ、涙声になり始める。


「いや、傷口はない。でも赤くなってるからもしかしたら腫れるかもな」

「うぅ…」


 高嶺さんが恐る恐る目を開け、両手で額をぺたぺたと触る。触って痛かったのか顔をしかめている。


「あまり触らないほうがいいぞ。酷くなるもしれないから」

「ひゃい!」


 高嶺さんは背筋を伸ばしピンッとかしこまる。


「いや、そこまで固くならなくてもいいんだが……他に怪我してるとこはないか?」

「ほ、ほか?」


 しゃがんで、膝頭を確認している。それはいいんだが、警戒心が薄いのかスカートが少しめくれかかっている気がする。


「ない!」


 いつものクールとはかけ離れたにぱっとした満面の笑みをまっすぐに向けてくる。案外、素はこっちなんだろうか。


「それはよかった。あと、スカートには気をつけたほうがいい」

「っ!み、みた?」

「見てない」


 これは本当だ。スカートがめくれたのを見た瞬間、目を逸らした。


「そ、そっか」

「立てるか?」

「え、うん」


 スクッと立ち、長い髪を風で揺らすその姿は先程が夢だったんじゃないかと思うほど、学園の高嶺の花だ。


 でも、赤くなっている額が夢じゃなかったことをこれでもかと主張している。


「酷くならないうちに保健室いって額冷やしてきた方がいいんじゃないか?」

「それは無理!」

「むり?」

「無理よ!」


 頑なに保健室に行くのを拒否している。その顔は強張っていて、何かを恐れているようだ。


「なんで無理なんだ?」

「私のイメージに相応しくないわ」


 イメージ。確かに高嶺さんは学園の有名人だ。そうしないといけないと思わせる周りからの圧力も強いだろうし、何より本人がそのイメージを崩したくないのだろう。


 確かに、いまの額が赤くなっている姿は高嶺さんのクールな完璧美人という印象を崩すのかもしれない。


「わかった。保健室は無理だね。じゃあ早く帰った方がいい」

「えぇ……」


 返事をするものの、高嶺さんはとても不安そうな表情を浮かべ動こうとしない。


「高嶺さん?」

「え、えっと……」


 説明しようとして口を開け、また閉じてを繰り返している。


「なにか問題があるんだな?」


 こくっこく!と勢いよくうなづく。


「何が問題なんだ?」

「あ、あの!このおでこどう隠そうと思って……」

「……あぁ」


 イメージを壊すから保健室行くことも拒否する人だ。この怪我を見られるの自体まずいのだろう。


「髪で隠せばいいんじゃないか?」

「髪で?」

「それだけ髪が長かったら前に持ってくれば隠せるだろう」

「えっと……」


 高嶺さんが自分の後ろ髪を前に勢いよくばさぁ!ともってくる。


「こう?」

「……それは貞子だな。顔見えないし正直怖い」


 高嶺さんがガーン!とショックを受けた顔をしている気がする。髪で顔が見えないからあくまでそんな気がするだけだが。


「そうじゃなくてだな」


 スマホで長い髪の女の人が後ろ髪を前に持ってきて、斜め前髪を作っているヘアアレンジを見せた。


「こんな感じのやつ。これなら隠れるんじゃないか?」

「なるほど!」


 数回うなづくと、高嶺さんは前に持ってきた髪を手繰り寄せて、耳にかけた。


「こんな感じかな?」

「うん、大体そんな感じなんだけど……それだと赤くなった額見せて歩くよりまずいと思う」


 鏡を見ずにやったのもあると思うけど、前髪がバーコードリーダーのようになっている。


 高嶺の花がバーコードリーダー……これこそイメージ崩壊間違いなしだ。


 その後も高嶺さんは手鏡を出して頑張っていたが、バーコードリーダーの呪いは解けなかった。4回目のトライになると流石に察してくる。


「もしかして、高嶺さんヘアアレンジ苦手?」

「そ、そんなこと」

「あるよね?」

「うぅ……」


 高嶺さんがしょぼんと肩を落とす。このままだと額の赤みがどんどん悪化していく一方だ。


「俺がやってもいいか?」

「え、いいの?」

「不快じゃなければ」

「よ、よろしくお願いします」


 高嶺さんがペコリと頭を下げたので、下げ返す。


「では、失礼して」


 高嶺さんが前に乱雑にまとめた髪を手櫛でとき、一つにまとめる。片手で自分のリュックサックのポケットから編みピンを取り出し、髪を耳にかけ、耳の近くで止めた。最後に前髪をすこしふんわりするようにほぐして


「ん、これでいいかな。一応自分の目でも見てみて」


 高嶺さんに手鏡を渡し、確認してもらう。


「おぉー!ちゃんと隠れてる!ありがとう!」

「どういたしまして。じゃあ早く帰った方がいいよ」

「うん、ありがとう!」


 高嶺さんは鞄を持つと、図書館の入り口の方へ向かう。


「あれ?村上くんは?」

「俺の名前覚えてたんだ。俺はもう少し用事あるから」

「クラスメイトだからね。そうなんだ、じゃあまた明日!」

「うん、気をつけて」


 高嶺さんが去っていく。はぁーと一息吐いた。


 クラスメイトといえど、もう関わることはないだろう。


 とっさに本棚の中に隠した「女子高生の制服百選」という本を取り出し、見つからなくて良かったと再度安堵のため息を落とした。


 

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