第24話 自由の風、安寧は拓くもの。

 ふと視線を感じて、ツチダは中央守護職室を見渡す。通信手や魔動器操作官など多種にわたる軍人が神妙に自分の言葉を待っているのに気づいたからだ。偉丈夫のミハイロフでさえもが体を小さくしている。またも自分は難しい顔をしていたのか、ツチダは苦笑しながら立ち上った。


「皆、そのままの姿勢で聞いて欲しい。既に知っているとは思うが、黒魔術師の手によって境寧きょうねいの都アダンが食われた。天異界の宙を見上げれば日に日に光が失われる状況。不安が伝染し恐怖が膨らみ、逃げ出したい一心だろうと思う。だが、私の指示に従い今日においても作業に勤しんでくれていることに頭が下がる思いだ。本当に感謝している。だからこそ、俺はこの場で皆にはっきりと言おう。浮島に住む住民も軍人も、ただの一人とて黒魔術師にはやらぬ。戦力の差を覆す方法は考えてある。だから、俺を信じて、作業を完遂させて欲しい」


 いつの間にか守護職室に詰める部下の全員が立ち上がり、ツチダの宣の終了に合わせて敬礼の姿勢をとっていた。ツチダは一つ頷き、彼らに作業に戻るようにと促す。同時に、彼はそのまま指令席に腰を落として息を吐く。俺を信じろ、か。理性ではなく感情に訴えかけ、言葉でたばかる。古今東西、そのように言葉を使うのは部下を死地に導く愚将そのものだ。しかし、部下自身も理性を保つためにその言葉にすがりつくほかないことを知っている。そうだ、俺は成功させねばならない。

 ツチダはぬるくなった茶を一気に飲み干した。


「ミハイロフ。進捗はどうなっている?」

「はっ、状況は6割までは完了しております。この調子でしたらあと3日、いえ2日で全ての作業を終わらせてみせます」

「ああ、期待している」


 そう言ってツチダは再び情報閲覧魔動器を起動させ、作戦に不備はないかの検討を始めていくのだった。


 黒魔術師との戦闘において常識となっていることがある。それは勇敢に戦って死ぬこと。死地に飛び込み勇敢に戦い続けることが聖霊世界においては美徳とされていた。それは長く続く戦争がそうあれと望んだのか、それとも積み重なる怨嗟が咲かせた死の華なのかは分からない。ただ一つ言えるのは、その美徳が指揮権を持つツチダにとっては気に食わないということ。未来ある部下をみすみす黒魔術師のえさに供させるなど馬鹿げていると思う。それは、とどのつまり黒魔術師を強化させることにさえ繋がってしまうのだから。そんな思想を持っていたからなのか、第一層の、しかも辺境の浮島に飛ばされてしまった。以前、自分が居た天異界上層―――3層において六律使いとツチダは羨望の目で見られていた。まあ、だがそれも過去の話だ。重要なことは戦略において黒魔術師を凌駕することに他ならない。だから、戦術という局所おいて、この浮島を放棄することはさして問題にならないと結論付けている。それに、こと当該浮島で予期し得る黒魔術師との戦闘において趨勢は既に決しているのだ。ツチダには得てして名誉欲に目が眩み逆転勝利劇を求める性格の人物ではなく、合理的な現実主義者だった。そうであるから、数日前に滅んだ都市アダンの様な末路を無為に繰り返すのはツチダの矜持に反する。


 撤退戦を成功させる。


 初めからツチダはそうすると腹に決めていた。当初の撤退先はツチダが所属する同じ系譜の浮島を選出していたが、系譜原典からの指示書を見て早々に転移先を変更した。住民を見捨てる指示など到底受け入れることはできない。系譜の上位飛躍などクソくらえだ。既に系譜原典を見限ることは決まったのだ。そうなると、どのタイミングで撤退を実行に移するかが問題になる。そもそも撤退戦で重要なことは戦史をめくれば明らかな通りに敵の追撃を如何に躱すのかに尽きる。すぐさまに撤退を開始するか、それとも黒魔術師の戦いに撃って出て敵の陣形を崩し、しかる後に撤退を行うのか。いずれにしても的確な状況判断が求められるといえる。

 一つ一つ検討していこう。

 今すぐに撤退を行うこと。黒魔術師が来る前に撤退を行えばこちらの損害はないが、系譜を外れることが出来ない。そうなれば、かねての原典系譜の指示通りにいずれ枯渇したエーテルで戦うはめになり黒魔術師の糧になってしまうだけ。

 では、二つ目。黒魔術師に攻撃を仕掛けて相手のバランスを崩しその後に撤退する。この場合は上手く行けば撤退の時間を稼ぐと同時に、系譜原典の目を眩ませる策も十分に効力を発揮することが出来るだろう。ただ、黒魔術師の戦力次第ではこちらの損害が大きくなる可能性を多分に孕んではいるが。


「内憂外患だな」


 そう言ってしまいたくなるのも仕方がないというものだ。黒魔術師だけでなく、己が所属する系譜すらも気にしなければならないとはな。だが、浮島に生きる人たちを生かす方法は片手で数えるほどもない。「やはり、これしかないか」ツチダは宙に小さく制御式を描く。それは緻密な立体制御式―――複合魔法だ。俺が戦線に立ち黒魔術師を相手取ろう。そうすれば黒魔術師の数人は足止めはでき、味方の損害を軽微に留めること可能だ。それに、大将が後方で胡坐をかいているよりは戦意の減退を押し留めることはできるはずだ。彼は作戦に穴がないかを確認するため、手元の端末を操作し始めた。

 そんなツチダの姿を見て、何かを感じ取ったのかミハイロフがじっとツチダを見ながら、筋肉舞踏を始めていたのだった。



 そのちょうど二日後。それは予期した通りにやって来た。


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