《休止中》CS・悪霊 Evil spirit ――異世界死生――

ナ・ココ・なご

第一部 悪霊(承継編)

第1話 プロローグ

◇◆


 淡き光が黒に陰る。

 昨日までの日常をくびり殺すように、戦火の炎がその両腕で大都市を締め上げていた。夜闇を焦がし尽くす業炎が火の粉を巻き上げ、夜闇の間隙を満たすのは幾多の断末魔。その叫びが上がる度に都市の色は褪せていき、黒魔術師の侵略し続ける軍靴の音だけが高らかに響き渡っていた。


「重層防壁が突破されました。北部避難区域が敵の手に落ちてしまっています!」

「迎撃部隊4番から9番までの系譜通話が途絶と同時に、エーテル貯蔵庫が消滅。都市の防衛機能が維持できません」

「中央エーテル結晶石結界帯に高位黒魔術師2体の転移を確認しました。現在、守護部隊が交戦中です」


 都市中央守護職室を満たす通信手たちの絶望的な報告。その全てが都市の陥落が間近である事を告げていた。敵侵攻の警告音が鳴り響いてから1時間弱の攻防で、堅牢さを誇っていた大都市は為す術もなく破壊されてしまっている。至る所から立ち昇る黒煙が視界を塞ぎ、失意が止めようもなく積み上げられていく。それも、たった5人の黒魔術師によって。

 都市の防衛を一手に引き受けている守護職は、戦況が記載されていく配置盤を凝視し唇を噛み締めた。黒魔術師の圧倒的な力の前では都市の重層防壁も紙細工に等しく、戦力もまた児戯の如く遊ばれている。まさに一方的な蹂躙が繰り広げられていた。それでも、なんとか理性の手綱を握れているのは、上位次元に在る高次存在からの援軍を待つという希望が残されていたから。だからこそ、この絶望的な状況下においても士気を保ち続け籠城戦を維持することができていた。時間を一秒でも長く稼ぐことが即ち援軍到達を意味し、高次存在の援軍とともに劣勢を挽回することに繋がるのだから。


「制御室に繋げ。制御式の稼働状況を確認したい」


 守護職しゅごしきは通信手から手渡された魔動器を手に取った。上位次元からの援軍を呼び込むためには、聖霊魔術制御式による上位次元―――上位階層との連結が不可欠だ。制御式始動の連絡を受けてから5分は経過している。既に先遣隊が転移してきても良いはずだ。壮年の守護職の野太い声が響く。「聖霊魔術制御室、制御式の展開状況はどうなっている? 黒魔術師は既に最終防衛線間近だ、急いで援軍を迎い入れろ。‥‥‥? 制御室、制御室っ」しかし、手に取った魔動器からは沈黙のみが返ってくる。気付けば通信器を持つ自らの手が震えていた。まさか、奴ら制御室を陥落させたとでもいうのか。領域魔法によって守られている都市で最も堅牢な場所を。


「迎撃部隊1番をエーテル制御室に向かわせろ! 何としても上位層との連結を展開・維持せねばならん」

「守護職。あれを、あれはっ!」


 通信手が悲鳴をあげ、そのまま椅子から崩れ落ちた。中央守護職部の中央に設置されてある戦況を伝える索敵魔術陣には、現在の都市上空がリアルタイムに大きく映し出されている。

 都市上空が縦横に不気味に切り裂かれていた。その裂け目から虚空の黒き渦『黒点』が現出していたのだった。


「黒点が‥‥‥黒点が現出! しかも既に鳴動を起こしています」

 通信手が魔動器から伝えられる情報を口にし、自分の言った言葉が信じられないと口元を両手で覆った。


「そうか。そういうことか。黒点を呼び出し鳴動を引き起こせるのは魔女、もしくはその直系のみ。既に災呪の穢れが来てしまっていたのか」


 守護職は自らにまとわりつく絶望を、大剣を鞘から抜き放つことで振り払う。

 災呪の穢れは死の象徴である。現在の都市の状況を見渡せば、その全てに合点がいった。そして災呪の穢れがいる状況下においては、もはや未来はない。だが、だからといって座して死を待つつもりなど毛頭ない。武人として決するのみ。ただ、守護職しゅごしきとしての疑問はいくつか残っていた。上層よりもエーテル量の乏しい天異界1層に、なぜ黒魔術師は襲撃を掛けたのか? なぜ次元跳躍―――黒点という労力を支払ってまで現出してきたのか?

 数々の疑問がその答えを求めるが、都市のいたる所で生じている爆発による振動がその思考を消し去った。爆発による振動が守護職の体を揺らすたびに、黒魔術師に対する激情が募っていくのだ。この都市を黒魔術師に喰われるがままにするなど我慢ならない。

 既に黒点の一部が変容し、魔女の刻印の中に渦生かじょうが呪胎し始めていた。さらなる都市の蹂躙が始まろうとしているのだ。

 壮年の守護職は指令室内を見渡し、絶望と嘆きが支配する部下の蒼白な顔を見止め猛々しく吼える。

 

「領域魔法『三焔マハーバリ』を黒点に対して使用する。諸君、我々は黒魔術師ちくしょうエサくそとなるためにこれまで生きて来たのではない。全ては女神と我らが系譜原典の為にこそあるのだ」


 領域魔法は聖霊魔術の最高位。展開される制御式は都市を覆うほどの規模であり、かつ緻密な制御が求められる。消費するエーテル量も甚大だ。そうであるからこそ、一矢報いることも不可能ではない。叶うのならば深手を負わせ、上位次元階層に座する聖都が黒魔術師に対する攻勢の手掛かりとなって欲しいものだ。

 守護職の一声がその場の者たちを奮い立たせ、彼らを最後の攻防に向かわせる。

 が―――、


「‥‥‥中央エーテル結晶石が結界もろとも消失しました」


 残酷までの事実が奮い立つ力を崩潰ほうかいさせ、凍り付いた静寂だけが残された。

 領域制御式の発動準備に取り掛かっていた武官の一人が必至に魔動器を発動させようとするが、エーテルを失った機器は反応を返すことはなかった。


 足音が聞こえる。


 一人ではない、幾人の軍靴を鳴らす音が希望を失った指令室に鋭利に突き刺さってくる。

 中央エーテル結晶石があった最重要区画から延びる閉鎖廊は指令室と直結している。それを隔てているのは何重もの隔壁と重層聖霊魔術による封印であったが、足音は止まることもなく近づいてきていた。

 凍り付いた指令室内はざわめきすら生じない。終わりを待つ数瞬があまりにも長く感じられた。足音は止まり、その最後の防壁扉が赤く飴細工のように融け落ちていく。

 極度の恐怖が指令室にいる者たちの目を塞ぎ、抗うすべを、意志を、闇の中に引きずり込んでしまっていた。

 動いたのは守護職ただ一人。溶け落ちる扉に対して大剣の大技を放ち、その分厚い扉の向こう側にいる者達へ向かって爆散させる。

 が、

 何事もなかったかのように静かに塵煙舞う闇の中から黒衣の男を先頭にして、黒い軍服を着た数名が室内に入って来た。

 黒衣の男は無言のまま不可視の力で守護職であった男の首と体を容易く引き千切り、その背後に控える5人の黒魔術師にバラバラにした体の部位を手渡した。5人の軍服の黒魔術師たちは恭しく守護職であった体の部位をそれぞれに受け取ると、術式によって砕き赤黒い球状に凝縮させていく。ちょうど手の平に包み込まれるまでの大きさに凝縮したそれを「聖女の慈悲に感謝を」両手で感謝を示して、食したのだ。

 黒衣の男は、満足そうに配下5人の高位黒魔術師を見渡し、彼らの肉玉吸収が終わるのを待つ。そして指令室に残る者たちを振り返り、告げた。


「貴方がたの悲しき命に終わりと、あらん限りの聖女の慈悲を」


 言葉が投げかけられるのと同時に、部屋にいた者たちの頭部が捻じり潰れ体ごと赤黒い球状に凝縮されていく。数瞬前までは人の形をしていたそれは赤黒球体に成り果て、天井からいつの間にか浸食してきた渦生かじょうの糸が纏わりついていく。その糸を通して血肉の球体が吸い上げられていくのだった。黒魔術師以外に誰もいなくなった中央守護職室。その索敵魔術陣に映し出されていたのは黒点から産み落とされた渦生かじょう。その表皮から幾万の糸のような触手が都市に降ろされ浸食していく姿が見えていた。

 

 天異界の浮島に存在した都市。

 数千年にも渡って並居る敵対勢力を打ち払っていた城塞都市は、ほんの数時間のうちに都市もその大地であった浮島そのものも天異界から消え失せた。

 それは天異界の中層から下層―――3層から1層までに存在している幾多の都市が陥落していく狼煙となった。天異界は黒く塗り潰され、全ての命が黒魔術師のえさに成り果てていく。


 そう、これが『黒き大侵攻』の始まり。

 終焉を迎えつつあった聖霊世界。その衰弱しきった世界からのか細き叫びすらも踏み潰して、蹂躙していく黒魔術師。その大侵攻に為す術もなく、世界は食われ続けていた。


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