第2話 博士《ドク》

 博士ドクは鳴り響いた警報音に溶接の手を止め、丸眼鏡の脇に付いたボタンを押した。レンズがスッと透明になり、その奥にある金色の、やや濁った瞳がギョロっと動く。


「――来おったか」


 白髪頭から伸びるその尖った耳を動かすまでもなく、外から響いてくるエンジン音。


 フム、音についても今後の課題だな。


 ガラス戸を開け、テラスに出る。テラスと言っても研究室とほぼ同じ大きさを持つ、広場だ。屋外での実験用に造らせたのである。


 空を見上げると、大音響と共に紫色の筋が疾走はしった。


 ――あれも、目立ちすぎるかな。


 紫色は何度か研究棟の周囲を旋回していたが、その音が次第に息継ぎをし始める。それに急かさせるようにテラスの直上で急上昇すると――光が消え、音が止まった。光を出していたモノの自由落下が始まり、それが必死に手足をバタつかせているのが見える。博士はフンっと鼻息を鳴らすと手に持ったリモコンのボタンを押した。その瞬間、巨大なクモの巣状のネットが何層にもなってテラスからせり上がり、先程までの音の主を包み込む。


「――着陸は、まだ無理じゃろう。停止飛行ホバリング機能は、まだ開発中だからのぅ。まぁそれ以前に、エネルギー切れだったようじゃが」

「……もう少し保つと、思ってたんですがね」


 ネットを幾つか突き破り、テラスギリギリで受け止められたミラは、ウイングを収納しようとしても動かない事に気付く。衝撃で歪んでしまったのか。


「構わんよ。どうせソイツは一回きりの使い捨てじゃ。広げたまま落下した分多少の落下速度が抑えられ、ネットに引っかかった際のショックも和らいだろう。それはそれで、貴重なデータじゃ。あすこの実験用プールにでも落ちられたら引き上げるのも一苦労だったろうから、それに比べればマシじゃよ」


 そう言い置いて、博士は室内へと戻る。追って入ったミラを見ようともせず、彼女が行くべき場所を指した。全身魔導鎧フル・メイルの脱着装置だ。一刻も早く、溜め込んだ実験記録を確認したいのだろう。


「……どうかね、新型は」


 機械が自動で魔導鎧メイルの接合部を解除し、脱がせていく。


「いいですよ、魔導鎧メイルは。でも飛翔ユニットはまだまだですね。音声認識が甘いし、挙動が急激すぎます。まぁ、姿勢制御自体はかなり良くなった感はありますが――」


 マスクが脱がされ、ミラはほっと息をついた。肩までの黒髪がさらっと流れる。


「それにしても、この装置を使わないと着る事も脱ぐ事もできないっていうのは、何とかならないんです?」

「機密漏洩を防ぐ為っちゅうお偉方からのリクエストじゃ。文句ならに言え」


 博士の素気ない返事にミラは肩をすくめ、バイザーの位置を直した。顔の半分を覆う大きさの、金属製バイザー。付けたままでも全身魔導鎧フル・メイルのマスク脱着が問題無くできる、博士自慢の品だ。内側には魔導ディスプレイが装備され、裸眼以上の視野を確保している。


「フム……まぁ大体、想定の範囲内じゃな」


 早速情報が転送され始めたモニターを眺めながら、博士は顎をしごく。


「――いい加減、ちゃんと発表すればいいじゃないですか。こんなモグリの実験を続けてないで」

「フン、お前さんもいち早く開発品サンプルに触れると喜んどったろう。それに、中途半端なものを奴らに見せるなんぞ、ワシのプライドが許さんわい」


 博士の言葉に苦笑いを浮かべるしかない。


「フン、機械的には問題無し、と。やはりプログラムか……」


 博士は呟きながらキーボードを猛烈な勢いで乱打し始めた。同時に、頭が光を持ち始める。

 

 魔導細胞の発光現象。


 魔導士マジシャンが魔導を用いる際、部位は個々に異なるが、体の一部が発光する。魔導士が支配層だった時代は、神秘現象として畏怖の象徴であったという。


 脳細胞の半分に魔導細胞を持つ博士は魔導士マジシャンでありながら、軍事政権内における魔導研究の第一人者。魔導兵器の開発から魔導力の根源追求の為の医療研究まで、それこそ本人の弁として「魔導を知る為なら何でもやる」事を実践し続けているマッド・サイエンティストである。


 魔導パックの小型・高効率化に成功し、魔導鎧メイルを開発。博士が発明した数々の新兵器がなければこの軍事政権が覇権を握ることはなかっただろうと言われ、魔道士マジシャン排除を掲げる政権内でありながら、最重要人物の一人として存在している稀有な存在だった。

 しかしこの場においては、白衣を着た老人のハゲ頭が光っているという、どう見てもコメディでしかない光景であったが。


 机の上にあった見慣れないモノに興味が湧いて、ミラは手を伸ばした。先程まで、博士が溶接していたものだ。30cm程の細い金属製の棒――いや、筒だ。片方には穴が開き、もう片方にはコードが繋げられている。

 

 ……何だろう?

 

 軽く振ると、穴から細い棒が伸びてくる。警棒――にしては、長過ぎるような。


「気を付けろよ」

 突然話しかけられて、それを取り落しそうになった。「うっかり触ると、指が蒸発するぞ」


 ――蒸発?


 次の瞬間、無意識に筒のスイッチを押したのかブン、と音を立てると細い棒の部分が光に包まれた。


「剣、ですかコレ」

「触媒を中心に力場を形成させて、その中に発熱タイプの魔導エネルギーを循環させとるんじゃ。名付けて『魔導サーベル』といった所かな。本当は、そんな無粋な触媒なんぞ使いたくないんじゃが、現状だとそれが精一杯なんでな。新型の全身魔導鎧フル・メイルには、標準装備させる予定じゃ」


 口を動かしながら、手も止まる事が無い。やはり、この変人は天才なのだ。認めたくはないが。


「――さて」


 博士は手を止めて一度伸びをすると、ミラに向けて手を伸ばした。


「何です?」

を寄越せい。お前さんの場合、バイザーそいつとマスク内のディスプレイを連動させとるんじゃが、どうも上手くいっとらん部分があるようじゃ。調整してやる」


 ――他人の前で外すなんて、いつ以来だろうか。


 何故か若干の緊張を感じながらバイザーを外して、博士に渡す。博士はミラの素顔をチラッと眺め、再び机に向かうとバイザーにケーブルを接続した。


「……毎度の事じゃが、お前さんが魔導士マジシャンじゃないっていうのを疑いたくなるな。普通のアシッド人じゃあ、有り得ん数字じゃぞ」

「普通じゃないっていうのは、確かですけど」


 そう言うミラの伏し目がちな長いまつ毛の奥に、鮮やかな金色の瞳が光る。


「検査をしたの博士じゃないですか」

「まぁ、そうなんじゃがな」


 混血人エム。ミックスの頭文字。それは侮蔑であり、蔑みの名称。魔道士を単なるエネルギー源と定義し、完全隔離政策を進める軍事政権にとって、その存在は忌むべきものだった。


 なまじ軍事政権以前ではそれなりに両人種の交流があった分、政権樹立以後に生まれた混血人も多く、その多くが秘密裏にされたという話もある。しかし長引いた戦争で人口が減少している現実に、混血人にもアシッド人としての資格を与えようという動きが広まった。即ち、法律でアシッド人である事の基準を明確にしたのだ。


 その基準となったのが、『<魔導細胞>の有無』である。


 魔導エネルギーの源であり、魔道士のみが生まれつき持つ特別な細胞。先程の博士の頭が光ったように、魔導を使うとそれが存在する部位が光を放つ。細胞の数や位置は様々であるが、数が多ければ生み出される魔導エネルギーは大きくなり、位置は水を生み出したり炎を操ったりといった、魔導力発現の方向性に関係しているらしい。


 ――このような事も全て、博士が発見したのだ。


 血液検査による判別方法も確立され、これによって一定数の混血人がアシッド人としての権利を得たとされる。だがその多くは身体に一目でそれと分かる魔導士の特徴を有しており、差別は無くならなかった。混血人達はアシッド人の中でも最下層の立場とされ、もっとも身近なスケープゴートとして、不遇の存在であった。


「ほれ」


 さほど待つ間もなく、博士はバイザーを差し出した。


「ついでに、魔導パックも交換しといたぞ」

「まだ予備があるから、良かったのに」


 ミラはそう言いつつバイザーを被り、視界の端の点滅に気付いた。

 ……命令書? 明朝0900より、博士の護衛任務を命ずる――。


 博士の方を見ると、ニヤッと笑って親指を立てた。


「そういう訳で、よろしく頼む」

「……何があるんです?」

「『発表会』じゃよ。遺憾ながら、長いことやっていた研究に目処がついてな。その成果をお偉方に聞かせてやらにゃいかんのだ。本当はもう少し、形になるまで隠しておきたかったんだが」


「専任の護衛がいるんじゃ?」


 今この瞬間も、ドアの外で待機している筈だ。が、


「信用できん」


 博士はにべもなく言い放った。


「だから、少佐に直接頼んだんじゃ。いいか、これは命令じゃぞ。それもお前さんの上司直接のな。分かったな」

「――了解しました」


 ミラは内心ため息をつきつつ、敬礼をした。

「では、明朝0830にお迎えに上がります」


「ん。ではよろしく。ワシは実験結果の検証が残っとるから、後は好きにしてくれ」

「失礼します」


 扉を開けて外に出ると、件の護衛がギョッとして身構えるが、次の瞬間慌てて敬礼をする。常にバイザーを装着しているミラの存在は有名で、こういう時は便利だった。


 既に深夜の街中に人通りはほぼ無く、時折車が走るばかり。タクシーを捕まえるのは難しいだろう。宿舎までの道を歩き出す。からの風の冷たさが厳しい。コートが欲しかったが、流石の全身魔導鎧フル・メイルもコートを着ての装着にまでは対応していないのだ。


 風に吹かれて、細かい金色の光が路面に揺れる。

 

 ――魔素か。もう、こんな所まで。


 上を見ると、建設途中の人工地盤の警告灯が幾つも点滅しているのが見える。上へ、上へ。成長しているのかそれとも、


ミラは襟を立て、足を速めた。


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