第44話 裏側で

 一ヵ月前、大手グループの会長が死んだ。

 被害者が伊豆の海上水面に浮かんでいたところを、地元ダイバーが発見。死因は溺死ではなく、海に投げ込まれる前に受けた身体損傷による大量失血死であった。

 一文字玉枝かどうかの身元確認は、夫の恒明氏に依頼したものの、ひどく取り乱したようすで確認出来ず。一文字社役員のひとりに再依頼をして判明。

 被害者の息子である一文字彰氏も、その三ヶ月ほど前に消息を絶っていることが、社員への聞き込みにより発覚。なぜ捜索願を出さなかったのかと恒明氏に確認したところ、

「昔から奔放な子で、大人になったいま三ヶ月いなくなるくらいどうということはなかった」

 と発言した。

 しかし一方で、母親の玉枝は息子の失踪に対し、ひどく取り乱していたとも証言があがっており、捜査本部では一文字恒明氏への疑惑が浮上している。


「アリバイが崩れないんだよなァ」

 静岡県警刑事部捜査第一課所属の警部補、立花大介はつぶやいた。

 ホワイトボードに貼られた遺体写真は目も当てられぬ様相で、殺害動機は怨恨の線が濃厚だと見られている。傷口の形状から、凶器に使用された包丁が特定されたが、どこにでも売っているような代物で、犯人特定には至らなかった。

 死亡推定時刻は七月二十日午前二時から五時、殺害場所もいまだ未特定である。今回、死体が発見された場所が伊豆の海上だったこともあって我が静岡県警が動いているが、事件自体は一文字家の存在する警視庁管轄下にあると判断。先日より警視庁と静岡県警の合同捜査がはじまったところであった。

 立花さん、とおなじく静岡県警刑事部捜査第一課、巡査部長の寺田慶太がメモ帳を片手に顔を寄せてきた。先ほどおこなっていた被害者の夫である一文字恒明の、三度目となる事情聴取の報告であろう。

 いつもハネた後頭部の寝癖もそのままに、寺田は細目をいっそう細めてつぶやいた。

「恒明、ありゃだめですね」

「んー」

「次は自分が殺されるかもしれないって錯乱しちゃって。なに聞いても響きません」

「佯狂かもしんねえよ」

「演技ってことですか? あんな、小心者のステレオタイプみたいな人がそんな器用なことできますかね」

「それも演技の可能性だってある。一族でここまで会社をでかくしてきたんだ。ただ者じゃねえと思った方がいいね」

 そういうもんですかぁ、と寺田が口を尖らせたときである。会議室ドアががちゃりと開いた。

 

「邪魔するぜ」


 のっそりと現れた人影。

 おもわずアッと声を漏らした立花が、あわてて敬礼をした。

「沢井警部補!」

「お疲れ様ッス」

 沢井龍之介、警視庁捜査一課に所属し、平成の平塚八兵衛と称賛されるほどの検挙数と人情を誇ると噂の人物である。ノンキャリアながら早くから警部補という役職に滑り込み、現場主義を掲げるという、地方署員からすれば花のある存在でもある。

 例に漏れず立花も、この沢井という男に憧れて捜査一課を目指したようなものだった。対面するのはこの合同捜査で初めてだったが、その名はよく耳にしていた。

「どうしました」

「東南東小島ってなぁ捜査入ったか」

「あ、いえ。会社の一支部ですよね」

「おう」

「本社の佐々木って人事課長に話を聞いたら、被害者も被疑者も、各支部へ視察に行くことはあるそうなんですが、あそこには基本行かないそうなんス。遺体発見場所も近いわけじゃないし、とくに関係もなさそうなんでハネてたんスけど、まずいですかね?」

 と、寺田はすこし不服そうに眉をしかめた。

 たしかに彼のいう通り、遺体発見場所は伊豆沖といえど海岸からおよそ二百メートルほどのところであるのに対し、東南東小島は伊豆沖十五キロほど。小島支部に行ったところで時間の無駄だろうと判断したのだが、沢井はがっちりとした下顎を手で撫でさすり、呻いた。

「なんか引っかかるんだよな──東南東小島」

「はあ」

「あの支部、支部長ってのがいるんだろ。名前分かるか」

「たしか」立花がホワイトボードに視線を移す。

「倉田。倉田真司ですね、つい数ヵ月前に配属されたそうです」

「ふーん」

「人事課長はずいぶん買ってましたよ。以前いた常務が、その倉田真司の父親だったそうなんですがね。一族経営のなか、唯一斬り込んでいける貴重な人材だったそうで。その息子である真司もまた、けっこう発言力とかも強いらしいス」

「その倉田真司、玉枝に恨みは?」

「そういう話は聞いていませんね」

 寺田はメモ帳をぱたんと閉じる。

 そうか、とうなる沢井に立花は詰め寄った。

「どう見ます」

「その倉田って男には一度話を聞きてえ。連絡先知ってるか」

「あ、人事課長に聞いてみます」

 といって寺田は携帯電話を片手に会議室をあとにした。

 そのうしろ姿を見送ってから、沢井はホワイトボードを睨みつけたまま動かない。

 先日の合同捜査会議において、沢井は恒明の徹底マークを指示した。しかし会議の中ではとくに東南東小島に言及することもなかったのだが、なにかきっかけでもあったのか。立花は疑問をそのままぶつけてみる。

 いや、と沢井は奥歯にものが挟まったような言い方をした。

「なんちゅうか、こういうのを刑事の勘と言うもんか。確信めいた証拠があるわけじゃないんだが──どうにもここには一度行っておかなきゃなるめえと思ってよ」

「ははあ。さすがは平成の平塚八兵衛」

「なんだそりゃ」

 初耳だぞ、と沢井は苦笑した。

 たしかに『平成の平塚八兵衛』という呼び名は、所轄を中心にひそやかに称えられているだけであって、本人の耳には届いていないようである。立花は急にはずかしくなって「すみません」とうつむいた。

 まもなく、一文字の人事課長と連絡がとれたという寺田が戻ってきた。

「東南東小島支部の夏休みはすこし早いらしくて、もうほとんどの社員が本土に帰省してるそうです。倉田さんもこっち戻ってる可能性あるんで、一度電話してからの方が空振りは避けられるかもしれませんね。僕ちょっと電話してきます」

「ああ──いや待て、寺田。俺がする」

「えっ」

「聞きたいことがあるからな。電話番号のメモ貸してくれ」

「あ、はい」

 寺田からメモを受けとると、沢井はそそくさと会議室を出ていった。

 こんどはそのうしろ姿を見送るかたちとなった寺田が、不満そうな顔で立花を見る。

「あの人、ホントにそんなすげえ人なんスか?」

「いっしょにやんのは初めてだから、俺も。でもたぶんあの嗅覚だから実際功績あげてるんじゃねえのかな。なんか俺ちょっと鳥肌立っちったよ」

「はあ」

 沢井はすこし時間が経ったころにもどってきた。

 どうやら携帯電話はつながらず、小田原にある実家の方に電話してようやくつながったようであった。妙にさっぱりした顔で「明日だ」と携帯を振っている。

「熱海港から出る朝の便でむかう」

「自分も行きます」

「ああ」

「倉田さん、事件についてなにか言ってましたか」

「まあ──明日が楽しみになるくらいには、話のわかりそうな男だったよ」

 といって、沢井はその精悍な顔を妖しくゆがめてわらった。


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