第15話 偵察者
「保坂エマ。ロイの妹です」
ハキハキと喋る子だった。
対してロイは見たことないほど不服な顔で、成増を盾に妹と距離をとっている。沈黙のたびにエマがロイをにらむものだから、盾にされる成増はいい迷惑だ。
廊下をちらと見る。
とくに追手などはいないらしい。真司は扉に鍵をかけ「それで」とエマに向き直った。
「──どうしてここに?」
「兄に会いに来たんです」
「連絡すればよかったのに」
「連絡先を知りません」
「兄妹なのに?」
「ええ。兄妹なのに」
「…………」
不可解な顔でロイを見る。
当の彼は憤然とした表情をエマに向けた。
「おまえ、どうやってここがわかったの」
「調べればわかるわよ。本気でわたしから逃げたいのなら、今後はおなじところに二年も勤めないことね」
「……調べたってどうやって。興信所にでも行ったのか?」
「興信所なんか使うわけないでしょ。あなた目立つのよ、自分じゃ気づいていないんでしょうけど。友だちの友だちの、そのまた友だちづてで噂を聞いたわ」
「…………」
興信所を使っていない、と聞いて真司はすこし肩の力を抜く。下手に調べられて、一文字の秘密やらなにやらが漏れ出ないとも限らない。
成増は眉を下げた。
「目的が気になりますね。連絡先も知らない兄のもとへ来るなんて、よほどのことがあったのじゃないですか」
「連絡先を知らないから来たんです。こんなこと、あなたの電話番号ひとつでも知ってたらしなかった」
「まさか──クリスたちに何かあったのか」
「何もないわよ。それより……このおじさんたちはだれ?」
「おまえには関係ない。目的を言ってはやく帰れ」
「まあ!」
途端、エマの眉が険しく歪む。
その顔を見たロイは「しまった」という顔をした。が、時はもう遅い。彼女はずいと身を乗り出してロイの顔面を両手で挟むや、怒涛の勢いで責め立てたのである
「関係ないわけないでしょ。血をわけた兄妹なのよ。ただでさえ両親もいなくて心細かったのに、あなたはわたしのために大学進学もあきらめてフラフラとどこかへいっちゃうし。自分の兄がわたしのせいで音信不通になって、どこでなにをやってるかも分からない気持ち、あなたにわかる? もちろんクリスおじさんたちは優しいわ。だけどそれだけじゃ埋まらない寂しさだってあるのよ。ロイはいつもそう! こっちの気持ちも考えずに先走って結論を出して」
「わ、わかった。わかった!」
「…………」
「もうわかった」
「ホント?」
「ああ」
と、ロイは無理やり笑みをつくって見せる。
これまで見たことのないような爽やかな笑みに、真司と成増はフッとちいさく吹き出した。
勢いのままに喋って息を切らすエマ。彼女の瞳に浮かんだ涙を指ですくって、ロイはやさしく彼女を抱きしめた。彼女も、甘えるようにロイの首へ手を回す。
「……ずっと心配してた」
「ごめん」
「わたし大学生になったの」
「うん」
「もうクリスの家も出たわ」
「ああ」
「それでロイといっしょに住みたいとおもって、こうして会いに来たの」
「ああ。…………あ?」
ロイがエマを引き剥がす。
彼女の瞳に浮かんだ涙はすっかり消えて、いたずらっ子のような微笑みを浮かべてロイを見つめている。和やかな空気が、一変してぴりついた。エマは敏感にもその変化に気付いたのだろう。眉をひそめて、真司と成増に目を向けた。
「なあに。わたしなにかまずいこと言った?」
「エマ──それは、それはできない」
「どうして」
「オレがいま住んでるのは、島だ。ここから船で沖の方へ行ったところ。そこがオレの勤務場所でもあるからな。でもおまえは……どうせ都心あたりの大学だろ。とてもじゃないけど、オレの住まいから都心までなんて通学出来ない」
といった彼の顔は、わずかに綻んでいた。
ホッとしているのはだれが見ても明らかだ。なるほど、本当にすぐ顔に出るらしい。しかしエマがその顔を見て不機嫌になったのは言うまでもない。
都心じゃないし、とつぶやいてぐるりと真司に目を向ける。その端麗な顔を近付けた。
「島外から通うのはダメなんですか?」
「えっ。いやそれは、就業時間にさえ間に合えばぜんぜ──イッ」
と、ロイが肘鉄で真司の腹を打つ。
黙ってろと言っているらしい。
「ダメだ。オレはあの島から出るつもりはないし、おまえと住むつもりもない。連絡先は教えてやるから、それで諦めてくれよ」
「イヤ!」
「エマ」
「だって、……せっかく会えたのに!」
「そうだぜロイくん。妹さんが可哀想だろう」
ふたたび真司が口を挟む。成増はあわててシッと指を口に当てたが、エマはパッと笑顔になった。
おいアンタ、とロイが怪訝な顔を真司に向けた。
「冗談じゃないぜ。オレの妹が危険にさらされてもいいのかよ。アンタだって、息子がおなじこと言ったら断るだろ」
「まあそうだけど。そうじゃなくてさ、君があの島から手を引けばいいって話だよ。いまならまだ引き返せる」
「引き返せる? 無理だよ。アンタがいちばん分かってるはずだ、倉田さん。ガキのころに父親に言われて──アンタずっと抱えてきたんだろ。オレだってそうだ」
アンタが言った、とロイは肩を怒らせて真司を指差す。
「『彼らの夏を終わらせる』って。青白い顔の彼らだって、アンタが見せた。それを知っていまさら──引き返せるほどオレは、物分かりは良くないんだよ」
「…………」
いったいなんの話を、と言いたげにエマの目線は三人の男たちに揺れた。成増はゆるりと首を振り、彼女の肩を叩く。
「エマくん、といったね。大丈夫、ずっとじゃない。いまの──いまの彼の仕事は、そう長くはかからないはずだから。その仕事が終わったらいっしょに住んだらいい」
「いま……ロイは、そんなに危険なことをしているんですか?」
「うん。保坂ロイくんとそちらの──倉田真司さんは、いまこの国を守らんとしている。とても繊細で、むずかしい仕事だ。僕はまだ彼らに会ってそれほど経っちゃいないけど、彼らにしか出来ないことだとおもってる」
「…………」
「ロイくんは意地悪で言ってるんじゃない。君を守りたいだけ。それは分かるね」
「ええ」
「すこしの間だ。待っててくれるかい」
「…………わかった」
いやに素直な返答だった。
成増の見事な弁論に舌を巻くロイの首もとに、エマはふたたびかじりついた。ロイは二十六歳、エマは大学入学と言うから十八歳だろう。真司は、寄せる年波とともにゆるくなる涙腺に力を込める。
八つ下の妹であるだけに、ロイも無碍にはできないようだ。やさしくエマの頭を撫でて苦笑した。
「しかしおまえ、熱海くんだりまでよく来たな」
「道中は長かったけれど──でも、ここにロイがいると思ったら、たのしかったわ」
「あの四回ノックするってのも」真司が首をかしげる。「どうやって知ったんだい」
「ああ──」エマの視線が左に揺れた。
「それは聞きました。あの、ガタイがよくて日に焼けたおじさん」
「…………」
料理長のことか、とロイが眉をひそめたがエマは首を横に振った。どうやらこの宿の周りをふらふらと歩き回る不気味な男を見たのだという。
真司はすばやく窓に寄った。
カーテンで身を隠しながら外を覗くが、それらしきすがたはどこにもない。ロイはエマの両肩を掴んだ。
「その男なんて言った?」
「わたしに言ったわけじゃないわ。四回ノック、小刻みに。四回ノック、小刻みに──ってつぶやいてたの。なんのことかと思ったけど、気になって試しにその通りやってみただけ」
「触られなかったろうな」
「もし触られてたら、いまごろあそこに大きな骸が転がってるわよ。わたし大学でも空手部入ったんだから」
と、窓の外を指差してエマはかわいらしくわらった。艶やかな大きい瞳がくしゃりと三日月に弧を描くと、あどけなさの残る少女である。
ロイは真司へ顔を向けた。
「一文字の人間かな」
「可能性は、ある。彰の行方を探すために俺たちの動向を探ってるとかな、──ずいぶん疑われたもんだ。それで、ほかになにか聞いたかい」
「いえ。……でもほんとに不気味な人だった。宿の周りをふらふら歩いて、左に曲がるたびにわらって言うの」
『トリカジいっぱーい』って。
「なに?」
真司の声が裏返った。
立っていた窓際から、身をひるがえしてエマのそばに膝をつく。その勢いにキョトンとする彼女を横目に、
「小此木だ」
と、ロイは声を尖らせて言った。
「…………」
「それは、どうでしょうね」成増が首をかしげる。
「小此木さんというと、専務が感染したという事実を知っています。一文字の人間は小此木さんのことも、少なからず疑っているはずですよ」
「そ、そうか。現に今日、俺はあのくそばばあに言われたぜ。小此木と口裏を合わせている可能性もあるって」
「一文字は、本気で信用した人間でなければ利用しません。一文字の手先というのは考えにくいですよ」
「でもエマが見たのは、おそらく小此木だろ?」
「……じゃあいったいなんのために」
真司はうなだれた。
ひとつだけ、と成増は緊張したようすで上唇を舐める。
「気になっていたことはあります。エマくんがくるすこし前、話していた専務感染経路についてです」
「────」
「先ほどの話を思い出してください。感染の機会について、一文字専務が倉田さんから離れたのは、焼却中以外にもう一度あったと」
「ま、まてそれは」
青ざめる真司。
そうだ、とロイは背筋を伸ばす。
「アンタさっき言ったよな。そのあいだは小此木といっしょにいたはずだって。仮に専務が箱から船に戻るまでの道程で感染したとなれば、アンタだって無事じゃ済まなかったハズだ。あそこは人の歩く道なんて一本しかないんだから。でもアンタは無事だった」
「となると、十五分以上いっしょにいた船頭が自然と怪しくなる」
成増は言いきった。
ふたりの推論を聞いてなお、真司はまさか、と口内でつぶやく。──いや『まさか』というのは本心じゃない。
本当は心のどこかで、おかしいと思うときはあった。あの時も、あの時も……心の隅に生まれた疑惑と違和感は、今日まで拭いきれなかった。
でも信じたくなくて、その可能性を視界から外していたのだ。けれど──。
「──おかしいと」声が震える。「思ったことは何度かある」
「彰の感染が発覚したとき、アイツは──彰の顔色と食欲を見てすぐに感染していると結論付けた。でもその情報は、一文字が握るほかは井塚文書にしか書かれていないことだ。俺だって五分前に読むまでは知らなかったんだから」
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